映画ブログを書き始めて2年近くになる。
実は小学校のころもっとも苦手としていたものが夏休みに書く読書感想文であった。いつも24時間テレビが始まる頃になると重い腰を上げ、手塚治の特別アニメを横目に観ながら悶絶しながら書いていた覚えがある。しかも400字詰め原稿用紙x3枚のほとんどを感想ではなくただのあらすじで埋め潰すことに普請していた。
そんなボクがなぜブログで感想なんぞを書くようになったかと言うと、最近の自分の映画の見方に疑問を持ったからである。
これまで四半世紀以上映画を観てきたが、子供の頃、ボクにとって映画はかけがえのないものだった。なけなしの金を払って映画館に行き、面白かったものは一日居座って何度も観たものだ。(昔は自由席で入れ替え制でもない←もちろん犯罪)
ビデオデッキさえもないのでTVで観る映画もその時一度きりの真剣勝負である。必死にカジりつき脳裏に焼き付けた。そして次の日には興奮して友人と語り合うことでさらに脳みそのシワ奥深くに刻まれていった。
そんな映画たちは今でもボクの血となり骨となっているのだが、現在のボクにとって映画はどうなっているのだろう。
HDDに撮りため、観たいものだけ選別。めんどくさいと3倍速ぐらいでみたりする。DVDは何枚もレンタルしてきてざっと眺める程度。映画館に至っても数見るためにシネコンで何本かハシゴしたりする。
完全に消費対象となり下がっている映画たち。深く感動した映画でさえも自分の中でそれほど反芻することなく、次の映画を上書きすることですぐに忘却の彼方へと消えていってしまう。映画を昔のように熱く語ってくれるような友人もおらず、ネットで誰かの感想を読んでみる程度。
そんな自分の映画の見方に辟易としていた時、ふと自分でもブログ書いてみるかと思った。
心に残ったシーン、喜怒哀楽、何か引っかかったもの、思いついた疑問、そんなものを書き留めておきたい。全部は無理であっても、稚拙な文章であっても、少しでもそのとき映画に感じた気持ちを忘れることなく記しておきたい。。。そしてそれが今も奇跡的に続いている。
で、2年たった今どうなったかというと、映画を観るとき「ブログにどんな能書きを垂れてやろうか」と穿(うが)った気持ちで映画を観るようになってしまったww。もともと文才はないくせに大変困ったものであるww 夏休みの苦しさを思い出せ!
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さて『トイ・ストーリー3』の感想ブログで、お前はいったいウダウダと何の話をしているかという疑問が沸くかもしれない。
つまり言いたいことはこう。
この映画、そんなボクの不順な動機を一笑に付す映画であった。
実はこのシリーズ、映画好きのくせに一作も観てなかった。他のピクサー作品はほとんど観ているにもかかわらず、いまいちアメリカ~ンなキャラに馴染めず避けてきていたのだ。
しかしこれだけ高い評判の『3』は能書き垂れとしては観ておかねば(そして能書きを垂れねば)と思い、まずは前準備として、ピクサーに関する書籍を2冊(『メイキング・オブ・ピクサー』『ピクサー流マネジメント術』)読んだ。うむ、ピクサーの哲学とはこういうものかと納得。
そして『1』『2』を観た。いやいやとてもよく出来ている。マイベストオブピクサーである『モンスターズインク』よりいいじゃないの。
さて『3』である。
これ、能書きなんぞどうでもいい。とにかく感動感動感動の嵐で、いい大人も涙腺決壊すること間違いなし。こんなにハラハラドキドキワクワクし、こんなに笑わされ、こんなに暖かい気持ちになれる映画があったなんて。
泣き所は軽く5箇所はあった。ハンカチが何枚あっても足りない。『トイ・ストーリー』シリーズを観続けてきた人であれば、冒頭のアンディの空想シーンから既に、もうすぐ訪れる別れの予感に早々に崩れ落ちてしまったかもしれない。
最後もなんとも清清しい気持ちで自然に涙があふれる。よかったねアンディ、ウッディ、バス、みんな、そして大好きなポテトヘッド。
子供の頃に感じたかけがえのなさ、心にストレートに訴えかけてくるストーリーに脊椎が感動し、体が動き出し、DNAが喜ぶ。消費映画になんか絶対に成りようがない脳みそに深く深く刻み込まれるクオリティー。こんな映画に能書き垂れることなぞできない。素直に観て素直に感動しよう。
今こそ映画消費マシーンであったDVD/Blue-Rayの役割を見直し、そのありがたみをかみ再度かみしめる時。BOXを買って何度も何度も観るつもりだ。
ありがとう、おもちゃのみんな、ありがとうピクサー。
オッサンがここまで改心して褒めまくる映画だ。皆も観なさいw
■『トイ・ストーリー3』予告編(吹替版)(Youtube)
評価:★★★★★★(5点満点の6点w)
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