先日、矢口史靖監督の『WOOD JOB! ~神去なあなあ日常~』を観ました。受験に失敗し恋人にもふられた高校生が、ひょんなことから林業の世界に飛び込み成長していくという話です。
矢口監督のほんわかコメディテイストが心地よい良作だったのですが、中でも長澤まさみさんの好演が光っています。田舎村の男まさりな女性の役柄のため、化粧なしの髪はバサバサななのですがこれが可愛く、長澤まさみ大ファンの友人にLINEしてみました。
自 「WOOK JOB!観たんだけどさ、長澤まさみって結構かわいいね。」
友 「おまえは長澤まさみの本気を観たことがあるのか!?」
自 「へ?」
友 「おまえは長澤まさみの本気を観たことがあるのか!?」
「シロートは『モテキ』を観て出直して来い!」
ボクは普通に褒めたつもりだったのですが、どうも友人は“結構”かわいい、というところが気に入らなかったらしいのです…。
前置きが長くなりました。
そんなこんなで『モテキ』を観ました。
本気でした…。ヽ(*´Д`;)ノアゥア
ヤバイです。可愛すぎです。
彼女についてアレコレ書こうと思って、今こうしてブログっているのですが、いやはやこんなのとても太刀打ち出来ん。そんなレベルです。基本性能の高い女子ってこういう人のことをいうのですよ。
ボーイッシュ好き男子総立ちのマッシュっぽい超絶ショートボブ。トロンと誘う目つきとポヤンとした口元。Tシャツから伸びるスラっとした腕、短パンからそそり出る健康的な おみ足。
イカン、イカンよ。いやいいよ。
いや、もともと彼女カワイイんでしょうが、監督さんもこんなエロ魅力的によく撮ったなぁってもんですよ。
「あなたにとって長澤まさみとは何か?」
を問いかける悶絶必至の作品。思わぬ眼福にあずかり大満足でしたー。
さて、お話についても少しだけ。
ポップカルチャーの世界で働く若者たちを背景に、イマイチモテない三十路前の草食系男子が突如女子にモテだす、いわゆる「モテ期」を描いた作品です。
ただしドラマで描かれていた(らしい、未見)、突然のモテモテを次々とクリアしていくという現実離れした恋愛コメディという感じではなく、映画ではその一年後を描き結構マジメな純愛劇となっていたと思います。
そして作品を彩る音楽たちが何と言っても最高です。
大江千里の『格好かっこ悪いふられ方』や岡村靖幸の『カルアミルク』(!)、B'z、TM NETWORKなどの80~90年代のJ-POPたちは、ボクの学生時代を直撃しそのまま当時の自身の経験値をもサルベージしてきます。橘いずみの『失格』の場面では過去と妙なシンクロを起こし気持ちがぐにゃぐにゃになりました。
ところでこういう選曲がなされている昨今の作品って、いかにも我々世代がその映画を作る側になってきたのだと実感させられます。
そんな心地良いところに長澤まさみビッグウェーブが襲ってくるのですから、抗うのは無理というもの。身を任せて鑑賞したもん勝ちです。突然踊りだす演出もミュージカルというよかは、フラッシュモブ的で楽しいです。
軽く観られる恋愛映画ながら、気がつけば長澤まさみに心を占拠される恐ろしき映画。マジヤバ自己責任で御覧ください。 (*´Д`)ハァハァ
あ、麻生久美子も好きさ。
真木よう子がツンデレしてくれなかったのは期待はずれ。
うぉー、オレのモテキはいつだ―。
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世界の宮崎駿、最後の監督作。
一年越しでやっとこさ鑑賞です。
零戦を創った男、堀越二郎の半生を描いた作品。
昨年のロードショー上映時には、本作について『戦争賛美だ』、みたいなよくあるイザコザがネット上を賑わせていました。それで個人的にも少し色メガネを持ってしまい今日まで鑑賞せずに来てしまったのですが、観終わってからそれを深く後悔しました。
これは間違いなく宮崎駿監督の集大成。いや、集大成というか宮崎駿監督が本当に創りたかったものの一つの到達点だろうと。
世界を焼き尽くす巨人や猫のバスとかは出てきません。もちろん空を飛ぶと言っても、魔法の石を巡る冒険活劇でもありませんので、お話は地味です。
創作の部分もありながらも伝記ものですので、これまでのジブリとは趣きが違います。大人向けの実写の邦画があのジブリ絵で描かれているといった風情です。
ボクはジブリで一番好きなのは『紅の豚』なんです。どこが好きかって飛行機へのこだわりとエンジニアや職人への愛あふれるところ。
宮崎監督が航空機(特に飛行艇)が大好きなのは有名な話ですが、本作は好きなだけ、そしてこだわって、その好きなものがトコトン描かれていました。
ピストンの動きや漏れ散る油などの緻密なエンジンの描写。ドイツの飛行機を称えるその論評の妙。そしてなにより飛行機を愛するエンジニアたちの清清しさ。
舞い散る雪や風景には3GCGを使いながらも、愛すべき飛行機たちは手書きにこだわる。
そんな一つ一つが、もう楽しくてしょうがないといった様子です。
カントクくん(庵野秀明)の声優初挑戦もよかった。抑えたトーンの中に秘めた強い意思と情熱。本人の素が、二郎のキャラとよくマッチしていたと思います。
恋愛映画としてもステキでした。感想は割愛w
戦争云々といったところは全く関係ありませんでした。関東大震災から戦争へと突き進む激動の時代を背景にはしていながらも、「古き良き時代の気持ちのよい人々が精いっぱい情熱と愛情をもって生きる」、その姿を描くことの楽しさ嬉しさに溢れた傑作でした。
ところでまだ観ていないのですが、もはや“右派の急先鋒”とも見える百田尚紀氏の『永遠のゼロ』ですが、その立ち位置の違いを『風立ちぬ』と比較して観て見るのも面白いかと思いました。借りてこよ。
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筋肉自慢たちのお祭り映画、第三作目。
あいかわらず最高の出来。
毎回確実にレベルアップしているのが嬉しいです。今回も、要らなかったものを排除、必要な物を追加、そして全体のスケール感底上げが図られています。
二作目では、一作目で「オレまだいけるで」といいながらも肉体の衰えの見えてしまう残念な長回し格闘シーンを排除し、カットで繋ぐテンポのよいアクションに変更。そして圧倒的な豪華キャストの追加とラスボス(ヴァン・ダム!)とのコッテリな対決シーンで最高のカタルシスをもたらすのに成功していました。
さらに本作ではより一層の練り上げ感が感じられます。
ひとつは“全員に見せ場を作った”こと。
前作までにいたメンバー内で扱いの低い“捨てキャラ”を排除。今回は登場人物が増えまくったにもかかわらず、すべてのキャラを立たせ、しかも見せ場・活躍の場を与えられています。それでこそ“仲間感”が出るってもんです。
もうひとつは“若返りと成長・育成要素”の追加。
ロートル軍団であること自体が『エクスペンダブルズ』のウリではあるのですが、それを三作も続けては疲れたオッサン映画から抜け出せません。旧メンバーを捨て、新人メンバーで構成した新エクスペンダブルズが、ハイテクでスマートに仕事をこなす。ああ、これからは彼らの時代なのだな、と思わせておいて~の、オヤジたち登場! 最後のバーでの盛り上がりも最高です。
そして“お笑い担当”が参戦。
これまでドルフ・ラングレンとジェット・リーの凸凹コンビが息抜き的なお笑い要素という感じでした。しかし今回は完全にお笑いキャラをひとり設定。まさかのバンデラスがオイシイとこ全部持って行ってます。軽妙なスペインなまりの英語で繰り出すマシンガントークが作品全体にコミカルさを追加しています。さらに『デスペラード』バンデラスですからガンアクションも健在です。
そのほか“スナイプスの刑務所移送という導入部”とか“私生活で問題のあるメル・ギブソンが悪ボスである”などストレートでニクイ演出ががいっぱい。
この、観客を楽しませること、そしてたぶん自分たちも楽しむことに定石通り真っ向から取り組む、それが『エクスペンダブルズ』の魅力なんです。
『ランボー』とか『コマンドー』とかのドンパチアクション好きな人、必見です。
さあ80年台に戻ろう!アタマ空っぽで見られるぜ(^^)v
次は人類最強のオヤジ・セガールの登場でしょう。
女子はあいかわらずジェシカ・ビールを希望。
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「伝説のSF小説の映画化!」という触れ込みで一部話題の『エンダーのゲーム』を観ました。
昔は映画に対して斜に構えていたというか、特にSFであればアラ探しをして楽しむという観方をしていた時期が長かったりします。
しかし年を経てきた今となっては、作品プロットさえ良くできていれば枝葉末節など結構どうでもよく、勝手に脳内補完をし楽しめるようになりました。
それは子供の頃の“想像力をふくらませていく”というような夢のある感じではなく、“ああ監督の言いたいこと、撮りたい画はもうちっとこうなのだろう。(だからそう思って観てみよう)”とか、“このプロットであれば、きっとさらに素晴らしいサブストーリーや深みがあったはずだろう。(だからそう思って観てみよう)”といったおとなの寛容さや前向きな諦めといった感じです。
お話はと言えば、“一人の類稀なる才能を秘めた少年が、異星人の侵略を阻止するため仲間とともに幹部養成学校に放り込まれ、さまざまな葛藤を経て成長していく話。”です。なるほど『ガンダム』やら『エヴァ』やら、日本のアニメやコミックに影響与えまくりなプロットです。さすが伝説の小説と言われるだけはあります。
ところで既にSF作品のアイデアというのは小説という形で70年代までに出尽くしたと言われています。
少年時代にハヤカワSF文庫をそこそこ読み、アニメ、コミックそして映画で二次創作物、三次創作物を浴びるように観て育った世代である我々SF映画好きが、どんな作品を観てもそうそうオリジナリティや驚きを得ることが難しいのはもはや当然の悲劇です。さらに昨今のリメイクブームはそれを加速させています。
観たような映像、たぶん大きく端折られているであろうダイジェスト感たっぷりなストーリー、おざなりな人物描写、そんな作品群たちが群れをなして襲ってきます。
さてそこで我々に必要となってくるのは何か?
前述の“おとなの寛容さ”です。
これは原作を読んでいないからこそできる芸当かもしれません。しかしそんな映画の見方をできる自分を最近は結構面白いと思っていたりします。
そういう観方ができるようになると“ちいさな幸せさがし”も上手になります。
本作での“ちいさな幸せ”は
・主人公エンダーのクレバーさと凶暴性が自身の中で葛藤する表情の演技の巧さ。
・まさに未来のゲームと言える、司令室からのコントロール場面。
・エンダーのゲーム?というオチ。
(エピローグの方は映画的にはぶった斬りでもよかたかも。)
です。って、3つかよっ!
この映画を褒めているようにはとうてい見えない文章を書いてきてしまいましたが、決してそんなことはありません。“おとなの寛容さ”さえ持てば『ガンダム』や『エヴァ』並の壮大な作品と肩を並べること請け合いです。
いや、ほんとにソコソコ面白いSFです。今の時代に生まれたのが少し残念なだけです。
・・・さあ原作読むか。
ところで<サード>という呼ばれ方はきっと<ニュータイプ>的なものなのだろうと勝手に脳内変換していたのですが全然違いました。少子化政策によって2人の子どもしか許されない時代の3人目の子が<サード>ということらしいです。そんな境遇にあるエンダーは差別やいじめに合うべくして合っていた、ということらしいです。そんな説明あったっけ?まあそれを知って少し話に深みを感じられ、ちいさな幸せが増えました。
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「スーツアクター」って言葉、知ってます?
齢、四十を越えても仮面ライダーを見続けている私のような輩には聞き慣れた単語ですが、まだまだ一般向けの言葉ではないような気がします。まあ“中の人”の事です。
しかし“ゆるキャラ”全盛の時代ですが、その中の人をスーツアクターとは言わないですよね。
スーツアクターとは
“日本の特撮映画・テレビにおいて着ぐるみを着用してアクションやスタントなどの演技をする俳優”
のこと。(でもこの定義だと、ふなっしーの中の人(北○さん)はスーツアクターになるかも。)
とりあえずこのような映画界(邦画界)の縁の下の力持ちにスポットを当てた作品というだけで、個人的には観る価値ありでした。
スーツアクターや日本のアクション業界の裏事情を描きながら、アクション一筋で真っ直ぐな男と、生意気な新人の成長がうまく絡んでいきます。
出てくる役者、物語もすべて単純でわかりやすく、古き良き昭和の香り漂います。
アクターたちの仕事や夢への誇りや姿勢、アイドル上がりの生意気俳優が徐々に仲間と心を通わせていく過程、またそれぞれの家族との関係。生きることに不器用な人間を優しい目で応援する、昔ながらの良きムービーです。単純に熱いものがこみ上げてきます。
たぶん福士蒼汰くん(仮面ライダーフォーゼ)を売り出したい研音が、唐沢寿明さん(東映アクションクラブ・ライダーマン)という同事務所のトップ俳優と組ませたいと思った時、「ああ二人ともライダー系じゃん」ってできた企画だろうなあと裏事情が透けて見えたり、そもそも水嶋ヒロくん(仮面ライダーカブト)の企画だったのでは?とか邪推したりするところもあります。
しかしスーツアクターというマイナーで地味な題材を採用し、研音の2大俳優を担いで、あの“東映”が作品を作り上げるというこの愛あるチャレンジに賛美を送りたい。
日本の伝統芸能ここにあり、ということが確認できただけでも十分に嬉しいのですが、それ以上に「努力、想いは実る」という愚直なまでにストレートな話に胸が熱くなりました。
以下、この世界が好きなだけに蛇足です。。。
実はそうそうたる本物のスーツアクターの方々が最後の大立ち回りの忍者として出演されているのをエンドロールで知りました。それだけのリスペクトがありながら、作品中、日本でアクションを目指す人が“落ちぶれて”スーツアクターになっている、みたいに見えてしまうところがあり、そこがひとつ残念ポイントかなと。確かに作品の主題がそこにあるので描き方は難しいところです。
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【ネタバレあり】
「人類の脳は10%しか使われていない。それが100%覚醒したとき。。」
リュック・ベッソンらしく中二病的なプロットです。
いいです。飯田譲治さまの『NIGHT HEAD』みたいです。
『トランスフォーマー』のマイケル・ベイも中二病感満載ですが、ちょっぴりスタイリッシュでオシャレ感があるのがベッソンらしさでしょうか。
ある人物が人を超越した能力を手に入れるという“結果、なんでもあり”な設定は、かなり昔から使い古されたものです。
こないだ見たジョニデの『トランセンデンス』にも通じる感じですし、日本の誇る『AKIRA』や、昨年話題の『クロニクル』(そもそもAKIRAインスパイア作品)を彷彿させる描写もあります。
そんな作品たちに近しく、物や人をふっ飛ばしたりと分かりやすい超能力描写のいわゆる娯楽SFの様相から始まっていきますが、本作はヨーロッパ・コープ製作なだけに少しエスプリ(知的)風になっていきます。
さて脳が覚醒していくとどうなるか。
物質を操る、電波を操る、意識を操る、より高位な波動を操れるようになりながら、どんどん“神”と呼ばれる“意識”に近づいていく。
徐々に感情が消えていき、人間らしさがなくなっていく。
自分がこの先どうなっていくのかを早々に理解し、ママに携帯で感謝を述べる。
人間の感情があるうちに、自分は人としてどうすべきかと、モーガン・フリーマン演じる脳科学者に教えを請う。
「キミの見たもの、キミの知識を人類に残しなさい。」
それを覚醒度の「%」と、かつてない斬新な描写とともにテンポよく見せていく。
最後はもう人類の思考力の及ばない領域に入っていきます。
このような場合、哲学的に突っ走ってイメージ映像を入れ込み観客を煙に巻き「THE END」、となりそうなところを、いわゆるタイムパラドックスものとして分かり易く落としてくれているところは、さすが娯楽の帝王ベッソンと思います。
娯楽作としての体を一切崩さず、脳科学やスピ系を入れ込んだ意欲作。
「死は、ない」
「思い出に」
などのセリフがオシャレでした。
ところで能書きはこれぐらいにして、、、
セロン様なき今(まだいます)、パツキンセクシーと言えばスカヨハです。
この映画、もうずーっと90分間、美しきスカヨハを見続けられます。しかもアップばっかり。
私を含むファンな人にはタマラナイ出来です。
P.S.1
クスリで脳が覚醒するといえば、ブラッドリー・クーパーの『リミットレス』も面白かったです。
P.S.2
ヨーロッパ・コープの映画は愛車プジョーが走り回るから好きさ(^.^)
P.S.3
ところでなんで台湾なのに韓国マフィアやねん!
でもチェ・ミンシクはさすがの貫禄で良かった。
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『ムトゥ 踊るマハラジャ』で一大ブームの兆しを見せたインド映画ですが、残念ながらそこからしばらくは下火に。そして最近はまたじわじわ盛り上がりを見せています。
当時のテンション高く歌い踊るそのモノ珍しさを楽しむところから、ここ数年は作品の質とエンタメ性の高さが再評価されてきている様子です。(今やってる『めぐり逢わせのお弁当』『マダム・イン・ニューヨーク』はぜひ見たいところ。)
そんな巷で高い評価を得ている一つがこの『きっと、うまくいく』。
すごくありきたりな映画なんです。 でもいいんです。
物語は、インドのエリート理科系大学で学んだ三人の学生たちの青春ストーリー。友情を主軸に、家族、ライバル、恋愛などを経て最後は成功と、完全なる王道ストーリーです。
頭がキレて個性的、そして人情家な主人公ランチョーが、学内の厳しい競争主義の矛盾を鋭く突きながら、友人や周囲の人間たちに影響を与えて行きます。
簡単な、それでいてとても説得力ある言葉で教授たちの硬直した考えを溶かしていき、友人たちには夢の大切さを熱く語る。そんなランチョーの活躍がとにかく痛快。
笑いあり涙ありで3時間という長尺に様々な要素を混ぜ込み、さらに過去と未来が入れ子で語られる。にも関わらず、見事に分かり易く1本の映画として成立させているのも見事。伏線も全て拾い上げ、見る前の期待値も高かったけど、観終わった後の爽快感といったらなかった。
歌に踊りにと、いかにもなところはあるのですが、本作にはよくあるインド映画への好き嫌いをあまり感じさせない見やすさがあります。
学長のキャラといい表現の直接さといい、どことなく昭和な、もしくは香港映画の薫りもしました。それで元気になれるのか!?
インド映画に先入観を持つ方にはぜひフラットな気持ちで見てくれると嬉しい。きっと心の財産になります。
元気になりたい人、ぜひどうぞ。
P.S.
ところで8年ほど前インドに行ったことがあるのだけど、TVのほとんどのチャンネルで流れていたのは まさしくあの歌と踊り、そして延々と続くクロケットの試合でした。
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サンドラ好きなのと、驚異の映像とのウワサから観賞。
ものすごい膨大な空間を舞台に繰り広げられる二人芝居。しかも途中から一人芝居。
目を見張る映像は圧巻だったが、人は驚くほどスグ慣れる。物語のシンプルさこそが面白い。
宇宙空間に1人放り出される恐怖、音もなく亡くなる仲間、迫り来るデブリの脅威、酸欠のカウントダウン、機器の故障、中国語の操作盤w。宇宙空間で次々と起こるトラブルが、とことん静かな無重力空間の中で展開されていく。こんなに静かにハラハラドキドキする映画がかつてあっただろうか。映画見続けてきて初めての体験に少し心が色めき立つ。
ソユーズに到着したサンドラが浮遊する場面は子宮の胎児のメタファーで映画にありがち。当初“あざとい”と思ったが、見終わって全体を通してみれば、命と宇宙とはこんなにも繋がっていたのだと日が経つにつれ感じさせる。
ラストシーンは、羊水から誕生しグラビティを感じるサンドラ。心の深いところに訴えてくる“感じる”映画と思った。
…なので邦題『ゼログラビティ』は、原題まま(『gravity』)のが断然良かったのではないかと思われ。
P.S.
ところでアルフォンソ・キュアロン監督って誰?と思い調べると、『トゥモローワールド』の監督でした。映像にコダワリあるわけです。メキシコ出身。『パンズ・ラビリンス』も超好きだぞ! 今後の活躍を期待。
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噂になっていた“黒ディズニー”映画を観に行ってみた。
世界中でもっとも幸せな場所ディズニーワールドを舞台に、家族旅行にやってきた父親が不気味な幻想に悩まされていくというスーリー。
そしてこの映画の売り文句は「ディズニーに無断で撮影しますた!( ̄ー ̄)/ニヤリッ」というもの。しかもこのポスタービジュアルときたもんだ(↑参照)。
これをもって「見なければなるまい」と思うボクは、世の中を"ひねくれて"見ている側の人間なのだろうか。世に数多いるディズニー大好きっ子がこの映画のウワサを聞いたらどういう反応をするのだろうか。
まあなんにせよ個人的にはイロイロ期待値は上がる。ミッキーがあんな事やこんなことに…(○´艸`)ムフフ。インディペンデント作品である一抹の不安はありながら、ホクホクを足を運んだのです。
さて見終わった後、劇場に流れる微妙な空気…。観客は老若男女入り混じった多彩な顔ぶれでしたが、一様に皆がポカーン顔です。一言で語れば「不条理系」映画。なにがなんだか~。
とりあえず皆が期待するようなもの(ディズニーを貶めたり辱めたり、はたまた強く風刺したり)は提示されません。あくまでも舞台をディズニーワールドに置いただけで、オッサンに幻想なのか妄想なのか不可解な事態が起こっていき、それが暴走し、ついには…。というストーリーでした。これなら確かにディズニー側からはクレームが無いわけだ。
「期待を上げといて、すっかり落とされる」、なんて映画は掃いて捨てるほど観て来ています。そういう作品は終わった瞬間は「ムッキーッ!金返せ!」な感じはあるのですが、こちとらもうそんなことには慣れています。こういう時は数日寝かせてみるのです。さすれば頭が勝手に深読み&脳内補完して楽しい映画に仕立て上げてくれたりします。ワケワカメな映画だ!と切って捨てるには惜しい雰囲気もありますし。
さて、以下から私的ネタバレ。観てからどうぞ。
妄想が暴走の先、最後にジムは死にます。作品内で詳細は提示されませんがおそらく自殺です。
冒頭で彼は会社から電話一本で理不尽なクビを宣告されました。家族と夢の国に旅行に来ている最終日に…。その上、嫁も子供も言うことをきかない。ジムはもう被害者意識イッパイだったはず。映像上はジムがそれほど切羽詰まってイラついていないように見えるのは、それがもう現実逃避=妄想へと進んでしまっているから。
彼は『エスケープ・フロム・トゥモロー』という題名にある通り、「会社も首になってしまい夢の国から帰らなければいけない現実=明日」から逃避し続けたのでしょう。。。
だから最後のカットはハッピーエンド。彼が死ぬ間際に観た映像なのでしょうね。
…と、いう感じで観てみると面白いと思いました。全部理解が及ぶ人はいないと思いますが、見返すと面白さマシマシかも。ツタヤでレンタルしたらもう一回観たい。
ディズニーワールド自体は「厳しい現実」と対比とさせるには最も適した場所だったということです。そういう意味では賞賛と捉えてもいい。
なんかこういうのも歳を経て理解できるようになってきました。人生や仕事で頭グチャグチャになってるときってここまでではなくてもジムと似たようなもんです。被害者意識いっぱい。この映画も若い頃だと「ワケワカメ」。も少し歳取って「馬鹿なオッサン」。今だと笑いながら一歩引いて共感もできる。昔嫌ったりした映画をもっかい見てみるといろんなものが見えるのだろうなとか考えます。
ディズニー風刺が見られなかったのは残念でしたが、最近分かりやすい映画ばかり観過ぎていたので、たまにはこんな映画も面白いなと思いました。しかし普通のディズニー好きな人にはとてもオススメできませんぜ。
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