世間で名作と評されていながら、自身においては若かりし頃に観たきりであまり覚えていない作品ってのが多数あります。ところが世の中に映画ってのはゴマンとあるため新しい作品を斬って投げていくだけで実は精一杯で、ボクの中ではそれら名作は顧みられることなく埋もれていきがちです。
ここのところ少し時間ができたので、そんな過去の作品達を『TSUTAYA旧作いつでも100円』にてざっくり見直しを始めました。今回の『ディア・ハンター』もその中の一つ。もう四半世紀前の中学時代に一度観たきりで、「ロシアンルーレット怖ぇ~」と「3時間長げ~」が当時の感想w。その後いわゆる反戦映画(もしくはアメリカのベトナム戦争言い訳映画)の一つでしかなく、世間の評判高すぎるんでない!?と思い込んでいましたが、その3時間を観終わってみると全く違う感想を持つに至りました。
確かに反戦映画としての体裁はしていますが、それ以上にこの作品はもっと普遍的な人間ドラマと言えるものだと思いました。いつまでも変わらない故郷の日常が、非日常を経ることにより二度と取り戻せないものに変わってしまう悲劇を丁寧に描いています。
前半にて非常に時間をかけて描かれる結婚式と鹿狩り。以前観た時はなぜこんなにも冗長で退屈なシーンを延々と続けるのだと思った覚えがありますが、あれが“いつまでも変わらない(と思い込んでいた)もの”であり、鹿猟りで描かれる一見険悪そうな仲間との雰囲気も含め、これらが日常の象徴であったことがよく分かります。また当時は逆にそこだけが印象に残ったとも言えるベトナム戦争での捕虜のシーンですが実は全体からみれば時間的にはかなり短かく、それは以後“変わってしまったもの”を描くためのキッカケでしかないことが見て取れます。
確かに今観てみると、よく言われる偏見じみたベトコンの描き方や、史実としての信憑性のなさなど作品としての問題点もよく分かります。ただ本作はたまたま舞台をベトナム戦争に置いてみただけで、例えばこれをヤクザ(ギャング)の裏社会などに置き換えても作品としては成り立つと思われます。
故郷の凱旋パーティーに足を運べずモーテルで一夜を過ごすマイケル。スティーブンとの病院でのぎこちないやり取り。ニックがいたからこそバランスのとれていたリンダとの三角関係。そして精神を壊した親友を取り戻すために命をかけたロシアンルーレット。結果あの時あの時間はもう二度と取り戻せないことをこれでもかと叩きつけます。
最後の葬儀後のシーン。人種のるつぼアメリカにおけるロシア移民のマイノリティである彼らがそれでもアメリカを称える歌を歌うところなどは、日本人であるボクには肌で感じられない部分であり、本作を十分に理解できているとは言いづらいです。しかしなにかもう単純にスゴく胸に突き刺さる、つらく切ない苦しい映画でした。傑作だと思います。
ボクの中でのクリストファー・ウォーケンとは完全に『デッドゾーン』だったのですが、今日から『ディア・ハンター』に変更しますw。(そもそも『デッドゾーン』であることに意義あり)
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