明るいときに見えないものが暗闇では見える。

映画を消費モノにさせないための咀嚼用ブログ。自己満足風。
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【SOMEWHERE(2010)】

2011年12月04日 | 映画



『スーパー8』でのエル・ファニングちゃんのまぶしき美少女オーラが忘れられず、「ソフィア・コッポラの新作だから観とかないとな」とちょっと言い訳気味wに借りてみた本作。


- 空虚なハリウッドセレブの日常

- そこに現れた成長した娘

- 淡々と流れる美しく充足した時間

- そして前を向いて歩き出す男


ときには冗長に、ときには蛋白に、そして濃密にと、とてつもなくソフィア・コッポラな空気感の中で描かれる数日間。

作品自体はヴェネチアの金獅子賞らしい。でもストーリー自体にはあまり深みはない。一歩間違えば"ただの身勝手な父親の妄想話"でしかないし、ジョニーが変わりたいと思ったのは、たまたまあんなカワユイ娘だったからなんじゃね?とか邪推してみたりもする。

しかしそんなことはある意味どうでもよく、"忘れていた幸せ"のシーン達がとにかく心地よく胸に染み入る。ポールダンスとスケートの対比、ジェラートはチョコがおいしい、プールに潜ってお茶をたしなむ。この居心地の良さと言ったらどうだ。

スゴく好み分かれる作品だと思うのだけど、仕事疲れの木曜の夜に観たのが効いたらしく心にしみた。感情のスキマに潤滑油のように流れこむ映像、包みこむような空気とそこに流れる自然体な音楽、それだけでこの作品には価値があると思う。


過剰な長回しが多いため、できれば気が散らない映画館で見られるとよかった。きっとフェラーリのエキゾーストノートも劇場の音響だともっと空虚に感じられたかも。


とてもとてもソフィア・コッポラらしい作品。いいとこ悪いとこ含めてボクは好きです。


しかしソフィアは「ほんとうに少女が好きなのだ」と再認識(あと、パツキン好きw ね)。キルスティン・ダンスト、スカーレット・ヨハンソン、そして今回のエル・ファニング。『スーパー8』でも輝いていたが、エルの可憐さは行く末が楽しみすぎるデスヨ(^m^)。


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