明るいときに見えないものが暗闇では見える。

映画を消費モノにさせないための咀嚼用ブログ。自己満足風。
それと苦手な文章の練習用。

【ブラインドネス】 東のヨメ

2010年05月06日 | 映画



未知の原因により人類すべてが盲目化するという話で、すっかりパニックホラーSFを期待していたのだがどうも違うっぽい。どちらかと言えば人間の業の深さとその救済を描いた人間ドラマ。

どっしりどよーんとした気分にさせてくれる秀作『シティ・オブ・ゴッド』『ナイロビの蜂』のフェルナンド・メイレレス監督。あいかわらずこの監督の映画は気分悪いw。本作でも極限における人間の所業を淡々とカメラの向こうから捉え続ける。

主人公はごく普通の女性でありこの世界で一人だけ目が見える。収容所では献身的に夫と患者達を助け、また混乱の中人々もコミュニティーをつくり互いに助け合う。しかしこの監督の元では結局人は性悪説的に描かれw、彼女を取り巻く状況は徐々に姿を変え人の醜さを見せつけられることとなる。汚物の垂れ流し、暴君の登場、食料の独占、その引換えとしての女性への乱暴。目が見えるはずの彼女さえも取り仕切りのチンピラにレイプされてしまう。「一人だけ目が見えるのになぜ反抗しないのか。」と思うのはハリウッド映画の見過ぎだろう。どんな理不尽な状況に陥っても手を下さないそして下せないところが彼女の最後の理性の砦なのだ。もの凄く鬼気迫るリアリティが感じられた。 …この点においては。

しかし自分が男であるためか、同じ状況に置かれれば必ず別の行動を取ることが容易に想像される。暴君達にはもっと適当な対応ができるだろうし、ワガママな患者達に辟易しもっとズルく意地悪に行動することもあるだろう。また圧倒的優位性から自らが暴君として君臨してしまう可能性も否定できない。そのため彼女の行動にリアリティは感じられても全く賛同ができない。見ていてストレスばかりが溜まっていくのだ。

また、見える彼女の目線で物語は進むため、全世界が盲目であるという大変な状況にも関わらず我々観客も傍観者としてしか世界に関われない。目が見えないことの不安や恐怖が実感として迫って来ないため、そのスゴイコトを体で理解できない。全盲者達の苦悶のセリフは空を切りあたかも単なる状況説明に聞こえる。また真っ暗な場面を入れることにより盲目の疑似体験をさせるというあからさまな手法を何箇所か準備しているのであるがむしろ逆効果。逆を言えば世界からの疎外感はよく出ている。人ってこんなに酷くなっちゃうんだ、どうしてこんな奴らのために自分が苦労しなきゃならないんだ。。みたいなヤな感じはとても深く体感することができるw。そこが彼女とのシンクロポイントなのだろうが、これもストレス要因でしかないのがザンネン。

結局は目が見えないことは単なる人の極限を浮かび上がらせるための一シチュエーションでしかないのであろうが、またそれも十分に生かせていたとは言い難い。普段は見えていなかった大事なものが見える、という終わり方も含め星新一の社会風刺ショートショート風でありがちで地味。ただ理性の儚さだけでなくその希望も描けた点には安堵した。最後の方で教会のシーンが出てきたが、もっとガッツり宗教ぽくしてみた方がメッセージがストレートに出てよかったかも。

想定していたものと結構かけ離れていたため、ちょいと厳しめ。

評価:★★☆☆☆

有名どころはジュリアン・ムーアだけかと思っていたらダニー・グローヴァーの登場はウレシイ。木村佳乃と伊勢谷友介が好演。あとジュリアンのサービスショットは不要だし、木村佳乃だけ見せないのは不自然w


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