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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

小平市民奨励学級

2018-12-06 19:46:33 | 報告
小平市民奨励学級というものがあり、そこで玉川上水の動植物についての連続講座をすることになったそうです。私にはタヌキの話をして欲しいという依頼がありました。

 そこで津田塾大学のタヌキを調べているのでその話をしました。正確にいうとタヌキの話ではなく、タヌキがいることで関連する他の生き物とつながり(リンク)を持つことの話です。
 まず玉川上水は細長い緑だということ、そのことは周辺の孤立緑地と比較すると、センサーカメラによるタヌキの撮影率が2倍以上高かったことでタヌキにとって良い生息地であることが確認できたということから始めました。


玉川上水と孤立緑地でのタヌキの撮影率


以下要点を書きます。
 玉川上水は細いが、まとまった緑地が接していると幅が広くなるので、そういうところにはタヌキがいる確率が高いはずだと思って、代表例である津田塾大学にセンサーカメラをおいたらすぐに撮影されました。そしてタメフン場が見つかったので、食べ物を定量的に調べました。それでわかったのは、春と夏は昆虫、秋と冬は果実、冬は相対的に哺乳類と鳥類が増えるというものでした。こちら


津田塾大のタヌキの糞組成


ここで2つの気づきがありました。
 ひとつは、タメフン場にたくさんの芽生えがあり、タヌキが種子散布をしていることが確認されたことです。このことから、動物は自分が果実を利用しているつもりだが、実は植物が動物を利用して種子を散布させているということがわかります。
 もうひとつは津田塾大学のタヌキが食べるギンナン、カキ、ムクノキ、エノキはいずれも高木であるが、これは関東地方の里山に住むタヌキでヒサカキ、キイチゴ、ヤマグワなど明るい場所に生える低木が多いのと違うということです。


津田塾大学のタヌキがよく食べる果実の種子(上)と里山のタヌキがよく食べる果実の種子(下)


それは津田塾大学のキャンパスの植生と関係があるはずなので調べたら、90年前に防風林として植えたシラカシが育って鬱蒼とした森林になっていることを反映したものだということがわかりました。

 タヌキの糞分析ということから少し横道に逸れました。それは仙台の海岸が2011年の3.11大震災で津波に襲われて壊滅的被害を受けたのに2年度にタヌキが「戻って」来たことです。その糞を分析したら、海岸に生えるドクウツギとテリハノイバラがたくさん食べられていました。


3.11大津波のイメージ


仙台の海岸に「戻って」きたタヌキの糞から種子がよく出てきた海岸低木


 これらは地上部が破壊されても地下部が残っていたので、2年後には開花結実したのです。この他ヨウシュヤマゴボウなどの外来種、コメやムギなどの農作物なども食べていました。このような融通性のおかげでタヌキは激変する環境でも生き延びているのだと思います。

 我が家には各地のタヌキの糞が送られてきます。家族は呆れ顔ですが、実は天皇陛下が皇居のタヌキの糞分析をして立派な論文を書かれました(こちら)。それ以来、私は「こんな地味で誰も興味を持たないような作業をしている人がもう一人ある、それは天皇陛下だ」と胸を張るようになったということを紹介しました。



そして陛下と美智子皇后様の生き物に関する短歌を紹介しました。

 玉川上水のタヌキにもどります。タヌキがいれば糞を利用する糞虫がいるはずだと思って調べたら、コブマルエンマコガネという糞虫がたくさんいることがわかりました。これは私の新発見です。このようにタヌキがいることは様々な生き物と関わりを持っていることがわかりました。

 この勉強会には子育て中のお母さんも来ると聞いていたので、こども観察会のことも紹介しました。こども向けの観察会のうち、糞虫の観察会をしたときの様ことです。まずトラップをかけたらうまく糞虫が採れたこと、それを観察して、スケッチしてもらったら素晴らしい作品ができたことを紹介しました。


子供達による糞虫のスケッチ


 この時に、発泡スチロールでタヌキの人形を作ったり、糞虫の粘土作品を作って解説したことなどを紹介しました。



最後に犬の糞と糞虫をプレゼントしたら、あとで「森には動物がいて糞をするから臭いはずだけど、糞虫が分解してくれるから臭くありません。だから糞虫は大切です」という意味の手紙が来たことを紹介しました。

 これに続けて、アイヌのミソサザイの民話を紹介しました。その中に「相手のことを知らないで見下してはいけない」、「神様はこの世に無駄なものは1つもお創りにならなかった」という言葉があることを紹介しました。それから、R. カーソンの「沈黙の春」の中に書かれている「地球は人間だけのためにあるのではない」という言葉を思い起こしてもらいました。これと同じ言葉はアイヌの民話の中にもあります。

 そのあとで道路の話をしました。市街地を流れる玉川上水は連続していることに大きな意味を持つが、現実には道路が横切っており、その程度によっては孤立緑地と同じようにタヌキが住めなくなる可能性が十分あります。最近の調査で、府中街道をタヌキが横切っている証拠をつかみました。交通事故の犠牲者もいるはずです。タヌキにとって最後の砦のような玉川上水が厳しい環境になってるようです。私は小平にタヌキがいること、そのタヌキが交通事故にあっていることを市民に知ってもらうための動きをしたいと思っています。


タヌキが道路を横断していることをアピールするためのイラスト

 私たちが都市に住むということは自然に迷惑をかけるということです。それは避けられないことではありますが、それを前提としたとしても、さらなる大きな道路が本当に必要であるか、道路が持つ、人にとってのプラス面と、道路をつけることで起きる自然破壊というマイナス面との折り合いをどうつけるかということは十分に考える必要があると思います。
 
 少し早く終わったので、司会のリーさんがご自身のエピソードを紹介しました。私がおこなっている観察会で訪花昆虫の記録をした後で、朝ごはんの時にパンにハチミツをつけようとして、今までなかったことだけど、その蜜を吸うミツバチの姿や動きが見えるようだったそうです。彼女は知識として知ることも大事だけども、実体験することで生き物との距離が近づくということを伝えたかったのだと思いました。
 それから、参加者から質問を促しました。具体的なタヌキの性質などに関するものや、どこどこでタヌキを見たという話が多くありました。おそらく「タヌキの話をする」と聞いた人は、私をタヌキそのものをよく知っている人と予測したのだと思います。しかし私は -- もちろんタヌキのことも一通りは知っていますが -- 興味の中心はそこにはなく、自然界におけるタヌキの存在の持つ意味にあるのですが、そのことはわかりにくいのだろうと思いました。
 タヌキのことではなく、人間と動物がどう共存するかということについて意見がないかと私が聞いたとき、ある男性が「自分であればもっとラディカルに主張するが、先生(高槻)は調べてわかった客観的事実を伝え、穏やかに話したのが印象に残った」という発言がありました。これに対して私が答えたのは、
「私は70年代の学生運動が盛んだった頃に大学に入りました。政治活動がありましたが、イデオロギーだけに基づく運動は真の力にならないという思いがあります。そうではなく事実に基づいて客観的に事実を伝える、動植物については素晴らしさを伝える、そうすれば、それを破壊するのは良くないと言わなくても、伝わるのだという確認のようなものがあります」ということでした。私が言いたかったのは、人が都市に住んで利便性を追求するのは当然のことかもしれない、しかしこの土地は人間だけのものではないという気持ちを少しは持ったほうがいいということです。

 玉川上水を横切る道路建設の反対運動をしている水口和恵さんは「この話をもっと多くの人に聞いてもらいたいと思いました」と言ってくれました。そして、後でメールで「人間の利便性だけを優先する人たちに聞いてほしいです」と伝えてくれました

コメント
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