三谷さんが日獣大の6年生のとき、3月の金華山シカ調査に参加したのですが、獣医の6年生は国家試験を受けて発表をまっているときです。金華山に電話があって合格の知らせがありました。そこで私はパロディーの証明書を作って「授与」しました。驚いたことにそれを未だに持っていたそうです(高槻)。
パロディーの国家試験証明書
小池さんはクマを中心に哺乳類の種子散布について精力的に研究しておられます。私もタヌキやテンで種子散布の研究をしており、小池さんには大いに期待しています(高槻)。
中川さんとの交流は長く、彼が大学院に入ったころ、私は東北大学におり、ときどき調査の前後に訪問してもらいました。その後アフリカなどでもサルの食生活についてすぐれた研究をしておられます。最近ではニホンザルのハグ行動の地域変異について公表し、注目されました(高槻)。
薬袋は「みない」と読みます。私は東北大学時代にラグビーをしていました。同学年に薬袋啓一君がおり、東京で東大や東工大と定期戦があると、世田谷の等々力にあったお宅に泊めていただいたものです。啓一君のお母様幸様は植物がお好きで、いっしょに岩手の早池峰山にのぼってハヤチネウスユキソウを見たことがあります。ご高齢ですが、今回最終講義を聞きに来てくださいました(高槻)。
蒼見先生は偶然知り合いになったのですが、私がモンゴルで植物を調べている話をしたら、自分は中国の内蒙古で生まれ育って、子供のころは花が友達だったという話をしてくださいました。お名前がブリチチゴといい、ヒエンソウのことです。私が大好きな花でその写真を見せたら大喜びしてくれました。クルマユリの花の写真をみせたとき、彼女自身が忘れていた記憶がフラッシュバックし、その花を見つけて家に持ち帰ったら、ふだんはやさしいお母さんが「とるならなぜ地下からもって帰らなかったか」と叱ったそうです。それで悲しくてその場所に行ったけど、みつからなくてそのまま夕方になってしまったという話をしてくださいました。まるで映画の一画面のように聞こえました。(高槻)