

☆14代・仲哀天皇の妻・神功皇后
☆明治期に最初の紙幣に印刷された伝説の女傑
☆熊襲を討つため、筑紫を訪れていた仲哀天皇
*神功皇后に神がかりをさせて神の託宣を得る
*託宣の内容は、熊襲ではなく海の向こうを攻めるように
*信じなかった仲哀天皇は神の怒りにより命を落とす
☆神功皇后は神託に従い、あらためて新羅を攻める
*神の助けを得た皇后の軍船
*魚たちに背負われあっという間に新羅の国へ
*新羅の王は服従を誓ったという
☆神功皇后のおなかには子が宿っていた
*戦いのときに生まれそうになってしまった
*皇后は石でおなかを押さえ、出産を遅らせたという
☆その石は、鎮懐石といわれ福岡の鎮懐石八幡宮などに伝わる
☆勇ましいイメージだが母神としても信仰される

☆神々が授けたものとする説もある、
☆神功皇后が弓の名手だったとする伝承が各地に残る

☆住吉大社(大阪)
*神功皇后が、三韓征伐後に航海の神、住吉三神を祀るためにつくらせた
*第一本宮~第三本宮が東から順に西に向かって直列にならぶ
*第四本宮には神功皇后が祀られる
☆住吉大社、宇佐神宮(大分)、城南宮(京都)、香椎宮(幅岡)
☆各地の八幡宮では息子応神天皇(八幡神)とともに祭神に列していることが多い

☆新羅への出兵
*航海の神である住吉三神、宗像三女神の加護を受けたとされる
*神功皇后を祀る神社が多い
☆朝鮮半島に出兵して新羅を降伏させる(三韓征伐)
*西国を活動拠点とした
*三韓征伐の後は畿内に帰還した
☆おなかの子とともに三韓征伐
☆『日本書紀』神功皇后が神託に従い新羅へ渡った様子が記されている


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日本を形づくった古事記の神様18(神功皇后)
(『日本の神様解剖図鑑』記事より画像引用)
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