活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

わたしの失敗  梁石日

2010-01-19 23:08:30 | 活字の海(読了編)
編:産経新聞文化部 文春文庫刊 定価:743円(+税)
初版刊行:2008年5月1日(入手版)



読んだ後に。

文字通り、あっけに取られてしまった。

それほどに、凄まじい人生が。
そこにはあった。



僕自身の人生だって。
僕にとっては、それなりに暗夜も波乱もあったものだった。

それでも。

梁石日。
氏の生き様の前では。

自分の人生など、凡庸以外の何者にも思えなくなってしまう。

それほどまでに。
氏の人生がもたらすインパクトは、激烈なものがある。


一体、どうしたら。
ここまで破滅的な生き方を、送ることが出来るのか。

それも。
まだ10代の、人生のトバ口に立ったばかりの頃ならいざ知らず。

27歳から29歳にかけて。
人生において、それなりに経験も積み、辛酸も歓喜も浴びてきた
はずの年齢に達して、尚。

彼の人生は、暴走を続けるのだ。


出身地の地元の長屋で。
親からの資金提供を元手にして、小さな印刷会社を興した彼。
それ自体は、問題ないが。


経営はうまくいかず、起死回生の投資と人材登用も全て裏目。

やがて、気が付けば。
借金は、毎日数百万円の利息を入れなければならないような、
凄まじい状況に陥っていたという。

金策と、仕事取りに駆けずり回る日々。

そうして、なんとかかき集めた金を銀行の閉店間際に捻り込む
ようにして突っ込んだ彼は。

なんと。
その足で連日、飲みに行っていたという。

勿論。
飲み代なんて、手元にある訳は無い。

殆どがツケか、借金である。
その連日の飲み代が、日に2~30万円に上っていたというから。

常軌を逸しているといわれても、仕方ないではないか。

自転車操業という言葉も生ぬるい、その地獄を振り返って。

彼は、こう述懐している。

「ああいう状況だと意識が崩壊していく。
 すごい勢いでね。
 いくら金をつくっても、どうせ右から左に消えていくんだ。
 百万円も百円も一緒だし、自分の金も借金も一緒。
 今日一日をしのげば何とかなると思っていた。
 
 そう思わないとやっていられなかったんだ」


その。
眼前に崖があると分かっていながら、アクセルから足を外せないような。
ゲシュタルト崩壊を起こしたような精神状態の中で。

彼は、日々何を見続けていたのだろうか?


驚愕することは。
氏の人生とは。

そのままなし崩しに墜ちて行くほどに、分かりやすいものではないこと。


その状況下において、尚。
銀行幹部や政治家を取り込んで、数千万円単位の融資を引き出したという
のだから。

どのような饗応が。
あるいは。
どのような交渉が、功を奏したのか。

その詳細は知る由もないが。
既に、トイチの街金融にまで手を出していた彼に、銀行が融資をするという
ことが、どれほど異常なことか。

そして、それほどの実力と運とを兼ね備えながら、尚。

破滅へと一直線に走っていく、氏の人生の無軌道さは。

億単位の借金を抱えて会社を潰してしまった後も。
いや。
その後、ますます拍車をかけていくこととなる。


追われるように流れた仙台で。
また借金をつくり、女遊びに耽溺する日々。

なんと、同時に8人の女性と付き合ったというのだから。


氏の放擲振りは、
その体内に横溢するパッションを通常の人生の枠では処理しきれない
結果だとも、思えてくるではないか。

その後も。
一文無しになって東京に流れた後は。

タクシー運転手として、10年ほどはおとなしい生活を送るものの。

50歳を目前にして、マルチ商法に手を出して。
またもや、数千万の単位でのお金の出入りを経験し、墜ちていく
その凄まじさたるや。


通り一遍の道徳論なぞ、弾き飛ばしてしまう。
破天荒としかいいようのない、その生き様は。

氏の書く小説に、どのように投影されているのだろう。


記事では、そうした彼の軌跡を以下のようにうまくまとめている。

「強靭すぎるバイタリティーに振り回された半生。
 その情熱は今、小説と言う内的世界で存分に暴れまわっている。」


だけれど。

正直、それはきれいにまとめ過ぎている感がある。

氏の人生は。
本当に、それで充足されるようなものなのだろうか。


氏の小説を未読な僕としては、そこにどのような熱量が渦巻いている
のかが不明なので、判断は出来ないのだけれど。

一つところに落ち着いた頃に、また。
氏のパッションは、壁を壊すが如く暴れだす。

そんな気がしてならない。

その生き様は、まるで。

自分の周囲にある数多のものを巻き込んで縮退を続けるブラックホールの
ようでもあるのだから。



それでも。
そうした、氏の人生を。
僕が知ることが出来たのも、活字というメディアの持つ力なのである。

で、あるならば。

活字好きとして。
氏のそうしたパッションを、小説世界が十二分に受け止める力を有して
いることを、願うばかりである。


(この稿、梁、じゃない。了)






わたしの失敗 (文春文庫)

文藝春秋

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