著者:ジョン・グリシャム 出版社:小学館文庫
初版刊行:2005年11月5日(入手版)
帯コピー:巨匠グリシャムのハート・ウォーミングコメディ
泣けます!
この本の書評。
実を言うと、二度目である。
一度目は、Mixiのレビュー欄に書いた。
ちょうど、去年のクリスマスに。
ラスト10%のクライマックスを前に、封印してしまっていた
本書を取り出して。
一気呵成に読み切って。
その勢いのままに、感想をUPしたときのものである。
別に、今読み返した訳でも無いのに。
なぜ、それを今もう一度?
と、問われれば。
それほど明白な答えは、僕の中にも無いのだけれど。
敢えて言葉にまとめるとすれば。
こうして、一人で過ごすクリスマスの夜に。
「スキッピング・クリスマス」のタイトルが、妙に懐かしく
思い出された故かも知れない。
主人公は、とあるアメリカ人の夫妻。
社会的にもまずまず成功し、そこそこ裕福な暮らしもしている。
その夫妻の住む町は、クリスマスのイベントが大好き。
毎年この時期が近づくと。
町中の家々に飾られるイルミネーションやツリー。
ボーイスカウトによる募金活動。
教会によるボランティアケーキの販売。
その他。
ありとあらゆるイベントが。
クリスマスを主軸にして、町を染め上げていく。
そうしたクリスマスも、娘がいた時分はまだそれなりに
盛り上がることも出来た。
その。
一人娘も成人し、海外ボランティアへと旅立っていった今。
夫婦は、ある決意をする。
それこそが、スキッピング・クリスマス。
夫のルーサーが、昨年のクリスマスのイベントに費やした費用を
計算してみたところ。
なんと!
驚きの6100ドル!
それだけのお金があれば。
夫婦二人で、のんびりまったりとカリブ海クルーズにでも出掛ける
に余りあるじゃないか。
もう、子どもを喜ばす時代も終わったのだし。
これからは、俺達が生きたいように生きる時間だ!
あんな、町を挙げてのバカ騒ぎとは縁切りだ!
その、ルーサー達の決意は、しかし。
当然のように、近隣住民の不審と反発を買う。
11月の終わりから、あたりの家々は。
庭の木に、飾り付けをし。
屋根の上にサンタのイルミを載せて。
町中が、競い合うように、煌(きら)びやかに彩られていく。
スーパーには、クリスマス向けの食材が満ちて。
パーティに備えて、しこたま買いだめする人々の列がレジに並ぶ。
そして。
人々は、お互いに意中の一家を招待し合う。
まるで、その営みが人々の絆の唯一の証でもあるかのように…。
それなのに。
クランク夫妻の家だけが。
まるで闇の底に落ち込んだように、何の飾り付けもしていない。
そればかりか。
ボーイスカウトの募金も。
教会のボランティアケーキの斡旋も。
他の家からの招待も。
すべて断るという体たらく。
あの家に、一体何が起こっているんだ?
町の調和を乱して、どうしようというんだ?
徐々に。
でも、確実に。
町の人々とクランク夫妻の間には、亀裂が広がっていく。
よき隣人だった彼らからの。
心無い陰口。
あるいは、純真に彼らを心配する声。
そうした言葉や態度に接するたびに。
クランク夫妻の心は揺れ動く。
その都度。
夫妻の心の支えとなるのは。
藍色に透き通る、カリブの海の色。
肌を刺す日差しと、それを遮ってくれるサンオイルの匂い。
クルーザーデッキでの、よく冷えたカクテルを飲みながらの午睡…。
そして、それは後一歩で夫妻のものとなるはずだったのだ。
あの、一通の手紙が到着するまでは。
夫妻の元に届いたのは、愛しの一人娘からのもの。
異国の地で知り合ったボーイフレンドに、是非故郷のクリスマスを
見せたくて急遽一緒に帰ることにした!
また、あの美しい輝きを見ることが。
そしてそれを、彼に見せられることが。
そして勿論。
久しぶりに両親に会えることが、とても楽しみ。
娘からの手紙の字句が、夫妻の心に突き刺さる。
どうすればいいんだ!?
懊悩するルーサーを前に、妻はきっぱりと宣言する。
迷っている暇は無いわ。
あの娘が帰ってくるのよ。
すぐにクリスマスの準備を始めなきゃ!
それから始まるのは、正に喜悲劇。
果たして。
夫妻のクリスマスは、どうなるのか?
家の飾り点けは間に合うのか?
パーティの準備はどうだ?
そもそも、来客の予定も無いのに?
ここから先は、ご自分の目で結末をお楽しみいただこう。
ただ。
これだけは、言える。
この夫妻にしても。
町の人々にしても。
そこまで極端な人、いる訳ないじゃないか。
そう思えることは事実である。
だけど。
どこにでもいる人々を、ほんの少しデフォルメするだけで。
これだけ面白おかしく動かしてしまうグリシャムの筆致の冴えは、
やはり流石!と言わざるを得まい。
この、小説のラスト。
正直、僕はあまり好きではない。
それが本当に、あなた方にとってベストだったのか?
本当に、それでよかったのか?
今もし眼前にクランク夫妻がいれば。
拙い英語で、必ずや問いかけずにはいられない程に。
実際。
本書の書評も、実に様々である。
AMAZON書評子の採点も。
分布に偏差こそあるものの。
☆1つから5つまで、それぞれに評価は分散している。
#単行本の方を、参照のこと。
主人公の。
どの行動に、どの程度まで共感できるのかによって。
その評価は分かれるところとなるだろう。
それでも、尚。
この物語、読んでおいて損は無い。
例え、ラストに共感できないと感じる人であっても。
いや、そう感じる人であれば、尚のこと。
物語の帰着を見極めたくて、ドキドキしながらページを繰る
ことは間違いないだろうから。
(この稿、了)
(付記)
家族持ちは、一部仕事の仕切りがどうしてもつかない不遇な(笑)
者を除いて、みな早々に家に帰った。
単身赴任仲間の連中は、いきつけのスナック等のクリスマスパーティ
チケットを買って(買わされて?)、それでも嬉しそうにやはり
早々に職場を後にした。
仲間内の飲み会はともかくとして。
お金を払って、お姉さん方との会話を楽しむ気分にはなれない僕は。
パーティへの参加は遠慮させてもらって。
一人。
のんびりと、凍てついた冬の道を歩く。
時折、通りかかったお店から洩れ出る有線のクリスマスソングを
聞きながら。
自分でも、WAMの「ラスト・クリスマス」や、定番・山下達郎の
「クリスマス・イブ」を口ずさみながら。
こんなクリスマスも嫌いじゃないと、嘯(うそぶ)く。
別に、キリスト教徒でもないけれど。
固いことは、言いっこなしの精神で。
誰にとも無く、呟く。
Merry。
Merry,Cristmas。
初版刊行:2005年11月5日(入手版)
帯コピー:巨匠グリシャムのハート・ウォーミングコメディ
泣けます!
この本の書評。
実を言うと、二度目である。
一度目は、Mixiのレビュー欄に書いた。
ちょうど、去年のクリスマスに。
ラスト10%のクライマックスを前に、封印してしまっていた
本書を取り出して。
一気呵成に読み切って。
その勢いのままに、感想をUPしたときのものである。
別に、今読み返した訳でも無いのに。
なぜ、それを今もう一度?
と、問われれば。
それほど明白な答えは、僕の中にも無いのだけれど。
敢えて言葉にまとめるとすれば。
こうして、一人で過ごすクリスマスの夜に。
「スキッピング・クリスマス」のタイトルが、妙に懐かしく
思い出された故かも知れない。
主人公は、とあるアメリカ人の夫妻。
社会的にもまずまず成功し、そこそこ裕福な暮らしもしている。
その夫妻の住む町は、クリスマスのイベントが大好き。
毎年この時期が近づくと。
町中の家々に飾られるイルミネーションやツリー。
ボーイスカウトによる募金活動。
教会によるボランティアケーキの販売。
その他。
ありとあらゆるイベントが。
クリスマスを主軸にして、町を染め上げていく。
そうしたクリスマスも、娘がいた時分はまだそれなりに
盛り上がることも出来た。
その。
一人娘も成人し、海外ボランティアへと旅立っていった今。
夫婦は、ある決意をする。
それこそが、スキッピング・クリスマス。
夫のルーサーが、昨年のクリスマスのイベントに費やした費用を
計算してみたところ。
なんと!
驚きの6100ドル!
それだけのお金があれば。
夫婦二人で、のんびりまったりとカリブ海クルーズにでも出掛ける
に余りあるじゃないか。
もう、子どもを喜ばす時代も終わったのだし。
これからは、俺達が生きたいように生きる時間だ!
あんな、町を挙げてのバカ騒ぎとは縁切りだ!
その、ルーサー達の決意は、しかし。
当然のように、近隣住民の不審と反発を買う。
11月の終わりから、あたりの家々は。
庭の木に、飾り付けをし。
屋根の上にサンタのイルミを載せて。
町中が、競い合うように、煌(きら)びやかに彩られていく。
スーパーには、クリスマス向けの食材が満ちて。
パーティに備えて、しこたま買いだめする人々の列がレジに並ぶ。
そして。
人々は、お互いに意中の一家を招待し合う。
まるで、その営みが人々の絆の唯一の証でもあるかのように…。
それなのに。
クランク夫妻の家だけが。
まるで闇の底に落ち込んだように、何の飾り付けもしていない。
そればかりか。
ボーイスカウトの募金も。
教会のボランティアケーキの斡旋も。
他の家からの招待も。
すべて断るという体たらく。
あの家に、一体何が起こっているんだ?
町の調和を乱して、どうしようというんだ?
徐々に。
でも、確実に。
町の人々とクランク夫妻の間には、亀裂が広がっていく。
よき隣人だった彼らからの。
心無い陰口。
あるいは、純真に彼らを心配する声。
そうした言葉や態度に接するたびに。
クランク夫妻の心は揺れ動く。
その都度。
夫妻の心の支えとなるのは。
藍色に透き通る、カリブの海の色。
肌を刺す日差しと、それを遮ってくれるサンオイルの匂い。
クルーザーデッキでの、よく冷えたカクテルを飲みながらの午睡…。
そして、それは後一歩で夫妻のものとなるはずだったのだ。
あの、一通の手紙が到着するまでは。
夫妻の元に届いたのは、愛しの一人娘からのもの。
異国の地で知り合ったボーイフレンドに、是非故郷のクリスマスを
見せたくて急遽一緒に帰ることにした!
また、あの美しい輝きを見ることが。
そしてそれを、彼に見せられることが。
そして勿論。
久しぶりに両親に会えることが、とても楽しみ。
娘からの手紙の字句が、夫妻の心に突き刺さる。
どうすればいいんだ!?
懊悩するルーサーを前に、妻はきっぱりと宣言する。
迷っている暇は無いわ。
あの娘が帰ってくるのよ。
すぐにクリスマスの準備を始めなきゃ!
それから始まるのは、正に喜悲劇。
果たして。
夫妻のクリスマスは、どうなるのか?
家の飾り点けは間に合うのか?
パーティの準備はどうだ?
そもそも、来客の予定も無いのに?
ここから先は、ご自分の目で結末をお楽しみいただこう。
ただ。
これだけは、言える。
この夫妻にしても。
町の人々にしても。
そこまで極端な人、いる訳ないじゃないか。
そう思えることは事実である。
だけど。
どこにでもいる人々を、ほんの少しデフォルメするだけで。
これだけ面白おかしく動かしてしまうグリシャムの筆致の冴えは、
やはり流石!と言わざるを得まい。
この、小説のラスト。
正直、僕はあまり好きではない。
それが本当に、あなた方にとってベストだったのか?
本当に、それでよかったのか?
今もし眼前にクランク夫妻がいれば。
拙い英語で、必ずや問いかけずにはいられない程に。
実際。
本書の書評も、実に様々である。
AMAZON書評子の採点も。
分布に偏差こそあるものの。
☆1つから5つまで、それぞれに評価は分散している。
#単行本の方を、参照のこと。
主人公の。
どの行動に、どの程度まで共感できるのかによって。
その評価は分かれるところとなるだろう。
それでも、尚。
この物語、読んでおいて損は無い。
例え、ラストに共感できないと感じる人であっても。
いや、そう感じる人であれば、尚のこと。
物語の帰着を見極めたくて、ドキドキしながらページを繰る
ことは間違いないだろうから。
(この稿、了)
(付記)
家族持ちは、一部仕事の仕切りがどうしてもつかない不遇な(笑)
者を除いて、みな早々に家に帰った。
単身赴任仲間の連中は、いきつけのスナック等のクリスマスパーティ
チケットを買って(買わされて?)、それでも嬉しそうにやはり
早々に職場を後にした。
仲間内の飲み会はともかくとして。
お金を払って、お姉さん方との会話を楽しむ気分にはなれない僕は。
パーティへの参加は遠慮させてもらって。
一人。
のんびりと、凍てついた冬の道を歩く。
時折、通りかかったお店から洩れ出る有線のクリスマスソングを
聞きながら。
自分でも、WAMの「ラスト・クリスマス」や、定番・山下達郎の
「クリスマス・イブ」を口ずさみながら。
こんなクリスマスも嫌いじゃないと、嘯(うそぶ)く。
別に、キリスト教徒でもないけれど。
固いことは、言いっこなしの精神で。
誰にとも無く、呟く。
Merry。
Merry,Cristmas。
スキッピングクリスマス〔文庫〕 (小学館文庫)ジョン グリシャム小学館このアイテムの詳細を見る |
仰るとおりですよね。
グリシャムの真意は分かりませんがw、ブログ中に書いたとおり、僕も違和感をはっきりと感じています。
ただ、ご指摘の通り、このラストの方が収まりがいいことは間違いありません。
また、こうした違和感の残る結末であっても読ませてしまう筆の冴えことが、グリシャムの真骨頂なんでしょうね。
確かに、序盤の流れで物語を進めるよりも、後半の流れにしてしまった方が、後味が良いのはわかるんですが……。
どうなんでしょう。グリシャムは始めから、この終わり方にしようと決めて書き始めたのかが、気になります。
是非、ご一読を。
何なら、お貸しします(w)。
ちなみに、僕も最初は表紙にだまされそうになりました。
ちっとも、グリシャム臭がしなかったので。
買ったのは稲毛海岸の駅傍にある古本屋ですが、古本にしては珍しく帯がついていたのでグリシャムの文字が目に入りましたが、そうでなければスルーしていたかも。
そう考えると、本との出合いもまた、縁ですね~。
娘さんのためにどうするか?ちょっと読んでみたい内容だな・・・
それとも、MOLTAさんの導入がうまいのか?