湿度が低かったせいか、室温37度のわりには比較的過ごしやすい日曜日だった。日曜日といっても、盆休みといわれても、能なしのサンデー毎日の身にとっては、何ら変わりはない。
変わりがあったのは、山形県庁から「朝日町ワイン」が届いたことだ。「JOINプレゼントキャンペーン」に応募したのが、当選したのだ。貧乏くじにはよく当たるが、こういうプレゼントに当たることは、非常に珍しい。
山形県庁・地域政策課さん、「国産ワインコンクール」銀賞受賞のワインありがとう! 感謝します!!
能なしのねぶたし我を行々子 芭 蕉
行々子(ぎやうぎやうし)への呼びかけのようになっているが、実際は、ほとんどひとり呟(つぶや)く体である。
「能なしの、ねぶたし。我を、行々子」という短く切れた調子には、もの憂く、うとうとした時の独語のような口調があって、実におもしろい句である。
「能なしのねぶたし」から「我を」への微妙なうつりゆき、「我を」の「行々子」への急転する続きぐあいなど、技巧としても抜群である。
「能なしの」は、連体修飾語ととるか、主語ととるか、人によって意見が分かれるところである。
主語ととれば、芭蕉自らをさして言ったことになる。しかし、それでは割り切れすぎて味わいに乏しくなるように思われる。
「能なしの」は、ただただ眠たくて仕方のないというところへ畳みかけるように流れ込まないと、この句の微妙な陰影は消えてしまうのではないか。だから、「能なしの(我が)」眠たいというのではなく、「能なしのその上に(おまけに)こうして眠たくて眠たくて仕方がない」という呟きととりたい。
「能なし」にはもちろん、『幻住庵記』における「終に無能無才にしてこの一筋につながる」や、『笈の小文』における「無能無芸」などが思い出される。
「我を」は上を受けて、「その我を」の気持で読みつぐと理解しやすい。「を」は「を相手にして」とか、「に対して」という意であろう。下に何かが省略された語法ではなく、「我に対して仰々しく行々子はわめきたてる」意ととりたい。
「行々子」が季語で夏。
「行々子」はヨシキリのことで、ギョシギョシと声が聞かれるところからこの異名がある。別に葭原(よしはら)雀ともいう。南方から渡来する夏季の鳥で、葦原にすみ、鶯に似てやや大きく、五、六月ごろの繁殖期には昼夜を分かたず、実にやかましく囀り続ける。その名に「仰々し」の意を重ねて生かした用い方になっている。
「行々子よ、何の能もない上に、ただただ眠いだけのこの私だ。その私を
相手としてそう仰々しく鳴きたてて、いったいどうしろというのだ。そっと
しておいてくれよ」
郭公の声の入り来るニュータウン 季 己
変わりがあったのは、山形県庁から「朝日町ワイン」が届いたことだ。「JOINプレゼントキャンペーン」に応募したのが、当選したのだ。貧乏くじにはよく当たるが、こういうプレゼントに当たることは、非常に珍しい。
山形県庁・地域政策課さん、「国産ワインコンクール」銀賞受賞のワインありがとう! 感謝します!!
能なしのねぶたし我を行々子 芭 蕉
行々子(ぎやうぎやうし)への呼びかけのようになっているが、実際は、ほとんどひとり呟(つぶや)く体である。
「能なしの、ねぶたし。我を、行々子」という短く切れた調子には、もの憂く、うとうとした時の独語のような口調があって、実におもしろい句である。
「能なしのねぶたし」から「我を」への微妙なうつりゆき、「我を」の「行々子」への急転する続きぐあいなど、技巧としても抜群である。
「能なしの」は、連体修飾語ととるか、主語ととるか、人によって意見が分かれるところである。
主語ととれば、芭蕉自らをさして言ったことになる。しかし、それでは割り切れすぎて味わいに乏しくなるように思われる。
「能なしの」は、ただただ眠たくて仕方のないというところへ畳みかけるように流れ込まないと、この句の微妙な陰影は消えてしまうのではないか。だから、「能なしの(我が)」眠たいというのではなく、「能なしのその上に(おまけに)こうして眠たくて眠たくて仕方がない」という呟きととりたい。
「能なし」にはもちろん、『幻住庵記』における「終に無能無才にしてこの一筋につながる」や、『笈の小文』における「無能無芸」などが思い出される。
「我を」は上を受けて、「その我を」の気持で読みつぐと理解しやすい。「を」は「を相手にして」とか、「に対して」という意であろう。下に何かが省略された語法ではなく、「我に対して仰々しく行々子はわめきたてる」意ととりたい。
「行々子」が季語で夏。
「行々子」はヨシキリのことで、ギョシギョシと声が聞かれるところからこの異名がある。別に葭原(よしはら)雀ともいう。南方から渡来する夏季の鳥で、葦原にすみ、鶯に似てやや大きく、五、六月ごろの繁殖期には昼夜を分かたず、実にやかましく囀り続ける。その名に「仰々し」の意を重ねて生かした用い方になっている。
「行々子よ、何の能もない上に、ただただ眠いだけのこの私だ。その私を
相手としてそう仰々しく鳴きたてて、いったいどうしろというのだ。そっと
しておいてくれよ」
郭公の声の入り来るニュータウン 季 己