涼 州 詞 王 翰
葡萄美酒夜光杯 葡萄の美酒夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
醉臥沙場君莫笑 醉うて沙場に臥すとも君笑うこと莫(な)かれ
古來征戰幾人回 古来征戰幾人か回(かえ)る
血のように真っ赤な葡萄のうま酒を、夜星の光でもひかるという
美しい杯で飲む。
飲もうとすると、琵琶を馬上で誰やらベンベケベンベケ速いテン
ポでかき鳴らしている。
したたか飲んで酔いつぶれ、そのままへべれけになって砂漠の上
に倒れ臥してしまった私を、諸君どうか笑わないでくれたまえ。
昔から、こんな辺地に出征して、無事生還できた人がどれだけい
るだろうか。
書道学校に通っていた昔、この詩をどれほど書いただろうか。楷書・行書・草書の三様で書いてみたが、行書が最も作品らしくなった記憶がある。
涼州詞(りょうしゅうし)は、楽府(がふ)の題名で、辺地の風景や征役の苦しさを主題にするものが多い。
葡萄酒を夜光の杯で飲む、というのが起句。葡萄酒は今日では普通の飲み物であるが、当時は西方から伝わってきた珍しいものであった。
だから、葡萄の美酒といった時すでに、中国ではない西の方なのだ、という雰囲気が出てくる。しかも、夜光の杯は、白玉にしても硝子のコップにしても西方のものであるから、まず、異国情緒たっぷりの宴会の様子になる。
ところが、承句で、馬の上で琵琶を弾いているいう。しかも、せきたてるようにというのであるから、なにやらあわただしい雰囲気。花むしろにどっかりと腰を据えて悠然と酒を飲む宴会ではない。
寝ころがって酒を飲んでいる者もあれば、馬に乗って琵琶をかき鳴らしている者もいる。殺伐とした何かに追い立てられるような寸暇の気晴らし。
転句で、“沙場”という語が出て、ここが砂漠の戦場であることが明らかになる。そこへ、へべれけに酔っぱらった兵士の姿、人に向かって、どうかこの酔態を笑わないでください、と言う。なぜか。
「昔から、戦争へ出て、いったい何人が無事に帰れましたか」と、最後の句で、読者は冷や水を浴びせられたような厳粛さにうたれるのである。
明日をも知れぬ命、その過酷な運命を紛らそうと、束の間の歓楽。笑ってくださるな、といって誰が笑えるものだろうか。笑うどころの話ではない。「笑」の一字、千鈞の重みがある。
戦場のやりきれないような気分が、これほどうまく表現されている詩はそう多くないだろう。辺塞詩の最高傑作の一つと言われている。
ところで、昭和二十年八月六日、晩夏の広島の空に炸裂した閃光は、十余万の老若男女を焼いた。その四分の三は、瞬死・当日死または翌日死であったといい、現在も、いたましい被爆者が無数におられる。
糸杉の影の糸杉原爆忌 照 敏
日本民族の怨念、あるいは昇華である悲願や祈りをこめて、幾多の秀句生んだ新しい季語が、「原爆忌」である。
“忌”といえば、俳句の世界では、俳人の忌日をさすものであったので、「原爆忌」という語に疑問を持つ人もあり、立項されていない『歳時記』もある。
しかし、前例としては「震災忌」がある。
しわしわとただしわしわと原爆忌 季 己
葡萄美酒夜光杯 葡萄の美酒夜光の杯
欲飲琵琶馬上催 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
醉臥沙場君莫笑 醉うて沙場に臥すとも君笑うこと莫(な)かれ
古來征戰幾人回 古来征戰幾人か回(かえ)る
血のように真っ赤な葡萄のうま酒を、夜星の光でもひかるという
美しい杯で飲む。
飲もうとすると、琵琶を馬上で誰やらベンベケベンベケ速いテン
ポでかき鳴らしている。
したたか飲んで酔いつぶれ、そのままへべれけになって砂漠の上
に倒れ臥してしまった私を、諸君どうか笑わないでくれたまえ。
昔から、こんな辺地に出征して、無事生還できた人がどれだけい
るだろうか。
書道学校に通っていた昔、この詩をどれほど書いただろうか。楷書・行書・草書の三様で書いてみたが、行書が最も作品らしくなった記憶がある。
涼州詞(りょうしゅうし)は、楽府(がふ)の題名で、辺地の風景や征役の苦しさを主題にするものが多い。
葡萄酒を夜光の杯で飲む、というのが起句。葡萄酒は今日では普通の飲み物であるが、当時は西方から伝わってきた珍しいものであった。
だから、葡萄の美酒といった時すでに、中国ではない西の方なのだ、という雰囲気が出てくる。しかも、夜光の杯は、白玉にしても硝子のコップにしても西方のものであるから、まず、異国情緒たっぷりの宴会の様子になる。
ところが、承句で、馬の上で琵琶を弾いているいう。しかも、せきたてるようにというのであるから、なにやらあわただしい雰囲気。花むしろにどっかりと腰を据えて悠然と酒を飲む宴会ではない。
寝ころがって酒を飲んでいる者もあれば、馬に乗って琵琶をかき鳴らしている者もいる。殺伐とした何かに追い立てられるような寸暇の気晴らし。
転句で、“沙場”という語が出て、ここが砂漠の戦場であることが明らかになる。そこへ、へべれけに酔っぱらった兵士の姿、人に向かって、どうかこの酔態を笑わないでください、と言う。なぜか。
「昔から、戦争へ出て、いったい何人が無事に帰れましたか」と、最後の句で、読者は冷や水を浴びせられたような厳粛さにうたれるのである。
明日をも知れぬ命、その過酷な運命を紛らそうと、束の間の歓楽。笑ってくださるな、といって誰が笑えるものだろうか。笑うどころの話ではない。「笑」の一字、千鈞の重みがある。
戦場のやりきれないような気分が、これほどうまく表現されている詩はそう多くないだろう。辺塞詩の最高傑作の一つと言われている。
ところで、昭和二十年八月六日、晩夏の広島の空に炸裂した閃光は、十余万の老若男女を焼いた。その四分の三は、瞬死・当日死または翌日死であったといい、現在も、いたましい被爆者が無数におられる。
糸杉の影の糸杉原爆忌 照 敏
日本民族の怨念、あるいは昇華である悲願や祈りをこめて、幾多の秀句生んだ新しい季語が、「原爆忌」である。
“忌”といえば、俳句の世界では、俳人の忌日をさすものであったので、「原爆忌」という語に疑問を持つ人もあり、立項されていない『歳時記』もある。
しかし、前例としては「震災忌」がある。
しわしわとただしわしわと原爆忌 季 己