壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

虫の声

2009年08月27日 21時00分40秒 | Weblog
        行水も日まぜになりぬむしのこゑ     来 山

 来山は、小西氏、名は伊右衛門。別号は満平・十万堂・湛翁(たんおう)・湛々翁・未来居士など。
 承応三年(1654)、大坂に生まれる。享保元年(1716)没。
 初め前川由平(まえかわよしひら)に俳諧や書を学び、のち西山宗因の門に入って談林俳人となる。
 『大坂八五十韻(おおざかはちごじゅういん)」を偏したりするも、俳諧革新の運動が起こると、「行水の捨てどころなき虫の声」で有名な鬼貫(おにつら)らと親交して、その流れに乗り一家を成す。
 また、元禄五年(1692)の『咲やこの花』以降は、雑俳点者としても活躍した。
 性格は洒脱磊落の反面、主情的で、俳風は都会趣味的、人事の句を得意とした。

 この句、一年ほど前に当ブログでちょっとふれたが、季語は「むしのこゑ」で秋。
 虫というのは、草むらにすだく虫で、立秋の頃から鳴き始める。
 「行水」は、古くは潔斎を目的に行ない、垢離(こり)をとるのと同じ意味をもっていた。江戸時代にはすでに宗教的な意味を失い、たらいに湯を入れて手軽に湯浴みし、汗を流すという風物詩になっていた。しかし、当時はまだ季語にまではなっていない。

 「日まぜ」は、一日おきのこと。
 無意識のうちに季節の推移に身をゆだねていたが、ある日、ふと虫の声を聞きながら、先日までは今ごろ毎日行水を使っていたのに、と季節の微妙な変化に気づき、感慨をもらした句である。好感のもてる素直な句作りというべきであろう。

    「暑い夏の間は、毎日行水をしていたが、涼風が立ち、虫の声が聞かれる
     ようになったこの頃では、いつの間にか一日おきになってしまったことだ」


      日暮らしの里や捨て身の虫の声     季 己