馬の頬押のけつむや菫草 杉 風
芭蕉の最も篤実な門人であり、芭蕉のパトロンとして尽した杉山杉風(さんぷう)の句である。
この句には、「新堀にて」と前書きがある。
新堀は、万治(1658~61)のころ、浅草田圃(たんぼ)の千束池(せんぞくいけ)から水を引くために造られたものだという。
馬の背にゆられながらここまで来て、「さて」と、春の野におりて一休みしている場面である。
「馬は、足元の青草をしきりに食(は)んでいる。その草叢に、菫草(すみれぐさ)が可憐な紫色の花を咲かせているのに、ふと、気がついた。馬の頬を押しのけて、菫の花を摘みとることだ」との意。
この句は、「馬の頬」を取り出したところに、いわゆる俳諧性があるが、それがきわめて自然で、菫草との取合せにも成功している。
「押しのける」の言葉にも実感がこもっていて快い。
暁台(きょうたい)の句に、「菫つめばちひさき春のこころかな」というのがあるが、可憐な菫の美しさに心ひかれる、こまやかな詩人の感情という点で、杉風の句と相通じるものがある。
亀の背に乗りうたた寝の残り鴨 季 己
芭蕉の最も篤実な門人であり、芭蕉のパトロンとして尽した杉山杉風(さんぷう)の句である。
この句には、「新堀にて」と前書きがある。
新堀は、万治(1658~61)のころ、浅草田圃(たんぼ)の千束池(せんぞくいけ)から水を引くために造られたものだという。
馬の背にゆられながらここまで来て、「さて」と、春の野におりて一休みしている場面である。
「馬は、足元の青草をしきりに食(は)んでいる。その草叢に、菫草(すみれぐさ)が可憐な紫色の花を咲かせているのに、ふと、気がついた。馬の頬を押しのけて、菫の花を摘みとることだ」との意。
この句は、「馬の頬」を取り出したところに、いわゆる俳諧性があるが、それがきわめて自然で、菫草との取合せにも成功している。
「押しのける」の言葉にも実感がこもっていて快い。
暁台(きょうたい)の句に、「菫つめばちひさき春のこころかな」というのがあるが、可憐な菫の美しさに心ひかれる、こまやかな詩人の感情という点で、杉風の句と相通じるものがある。
亀の背に乗りうたた寝の残り鴨 季 己