壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

佐夜の中山

2009年04月17日 23時03分56秒 | Weblog
 心待ちしていた「武田州左展」(コート・ギャラリー国立)は、天候のかげんで明日行くことにし、きょうは近間の江戸東京博物館で「東海道五拾三次」を観てきた。
 今回、江戸東京博物館が新たに、歌川広重の「東海道五拾三次」を収蔵することができたことを記念して、シリーズ全55枚を一堂に展示したものである。
 複製品が大量に出回っているので、有名な「日本橋」や「蒲原」・「庄野」・「箱根」などのほかにも、いつか、どこかで、目にした記憶がある作品を、じっくり鑑賞することができた。
 ただ一つ残念だったのは、あるグループが依頼した、館内のボランティアガイドの説明が長過ぎ、非常に耳障りだったことだ。まるでガイドの独演会で、ガイド自身が自分の説明に酔っているようだった。
 「人のふり見て我がふり直せ」ではないが、「説明は簡明に、現物はじっくり観ていただく」大切さを、再確認させられた。
 逆に感心?したのは、無料配布の、展示資料リストの会期に2ヶ所誤りがあったのだが、これが手書きで直されていたこと。
 青い波線一本のために、血税3400万円を使って、ワッペンを作り直した東京都水道局に、よくよく見習わせたい。

 ところで、「東海道五拾三次」の内に、「日坂 佐夜ノ中山(にっさか さよのなかやま)」があるが、芭蕉の句にも……

          佐夜の中山にて
        命なりわづかの笠の下涼み     芭 蕉

 延宝六年(1678)刊の『江戸広小路』に載っている句である。
 「命なり」は、西行の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」を踏まえたもので、ふつう、次のように解されている。

 「いま、炎暑の佐夜の中山を越えるにあたり、頼むべき木蔭とてもなく、木の下の下涼みならぬ笠の下のわずかな蔭を命と頼んで、笠の下涼みをすることだ」

 一般的には、西行の歌を卑近な夏の日傘に結び付けて、おかしみをねらったものに過ぎない、と言われている。
 しかし、おかしみをねらったものとしても何とも中途半端で、これでは談林風の句とはいえない。
 詞書からみて、「命なり」は西行の歌であるが、それは一種のあしらいであって、句の主眼は明らかにおかしみにある。となると変人には、「わづかの笠の下涼み」が、「わづかの嵩(かさ)の舌鼓(したつづみ)」に思えてならない。

 近世風俗研究に不可欠の書『守貞漫稿(もりさだまんこう)』に、
 「今世 三都ともに傘之下商人あり。昔より之有りて何の時始るを知らず。大略径り丈許高さ之に准ずる大傘を路傍に栽て、其の下にて商ふ也。故にかさのしたと云」
 とある。
 「傘之下商人」は、主に飴売りをいうが、いろいろな飲食物も売っていたらしい。芭蕉の句の「笠の下」も、こうした意味で解釈すべきではなかろうか。
 「笠の下」で「涼み」をとると同時に、そこで冷し飴かなにかの食物を買って食べたのだ。それが思わず「おお、うめえー」とさけんでしまうほど美味だったのである。それを芭蕉は「命なり」と表わしたのだ。
 そう考えれば、座五の「下涼み」は、「舌鼓」の意味をももっていたことがわかるであろう。


     桜蘂ふる我が机傷だらけ     季 己