猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

「老いの才覚」を読んで感じたこと

2011年02月12日 | Weblog

いま、曽野綾子さんが書いた「老いの才覚」を読んでいる。

読んでいて思ったことは、

「これからの高齢者は、否が応でも”自立”せざるを得ないのではないか」ということだ。

大方のいまの高齢者は年金受給を前提として、

「定年後は好きなことをやって過ごしたい」と思っているはずだ。

しかし、現実は高齢社会となって生産人口が減り、経済が停滞して税収も落ち込んでおり、

国の赤字は増え続けている。

となると、年金財政は苦しくなって、今まで通りの支給は出来なくなってくると思う。

現在、高齢者世帯で家計を「公的年金と恩給」で賄っている世帯は70%なので、

年金が少なくなったらどうなるだろう?

この本に書いてある「自律」とか「死ぬまで働く」などは、年金が少なくなれば、そうせざるを得ない。

将来、年金だけで生活できないことがわかっていれば、

若い時から貯蓄をするだろうし、収入の範囲で生活をするだろう。

結果的には昔に戻って、各人が”自立と自律”をせざるを得ないことになって行くような気がする。

そういう意味では、若い人ほど「老いの才覚」を読んで欲しい。


宇宙飛行士・山崎直子さんは謙虚な人だった

2011年02月11日 | Weblog

宇宙飛行士・山崎直子さんの講演があったので聴いてきた。

彼女の印象は、宇宙飛行士に選抜されるだけあって「大変謙虚な方だ」と思った。

11年間の訓練で宇宙に滞在したのは、たった2週間であっが、

そこから得たことは「多くの人々に支えられている」ということだったと話していた。

特に訓練期間の11年間は言うに言われぬご苦労をされたようだった。

そういう中で「本当に大事なことは目に見えない支えであった」と言っていたことが印象に残った。

宇宙での仕事を終えて地球にもどったとき、「地球の草木の匂いが何ともよかった」そして

「地球っていいな~とつくづく思った」と話していた。宇宙に行った者だけがわかる実感だ。

質問のときには演壇から下りてきて、質問者の前に立って「ありがとうございました」と礼を言ってから、

質問に答えていたのがとても印象に残った。

山崎さんを見て、世界を代表して宇宙船に乗る野だから、厳しい訓練に耐えられる体力や能力はもちろん、

謙虚さも兼ね備えている人でなかったらとてもパスしないだろうと思った。 


落語と小学生

2011年02月09日 | Weblog

「ラジオ深夜便」で三遊亭圓窓さんと石沢アンカーの対談を聴いた。

圓窓さんは小学校4年生のクラスで、授業の一環として落語を話しているという。

なんでも、小学校4年生の教科書には落語「ぞろぞろ」が載っているという話だ。

文部科学省もなかなか粋な計らいをするものだ。

それにしても、授業の一環として落語家を呼んで、小学生に聴かせるなんて粋な学校だと思った。

圓窓さんは「落語は失敗談」であると言っている。

「成功するためには、誰でも何度も失敗しているのだから」

「”失敗を問い詰めない” ”褒める事が大切だ”そして失敗を楽しむようになればいい」と言っていた。

振り返ってみると、自分たちの時代は落語が最も盛んな時期であった。

文化放送とか日本放送など、ラジオから流れてくる落語(雑音の中から辛うじて聞こえてくる)を聴いていた。

子供の頃から落語に囲まれていたように思う。

失敗談である落語を聴いてきたせいか、人の成功をみると「あの人もたくさん失敗してきたな」

と考えるようになった。決して羨むことはなかった。

そして、圓窓さんは「金子みすゞ」の詩も紹介していた。

その中で「みんなちがって、みんないい・・・」(私と小鳥と鈴と)という詩がいいと思った。

落語と何か通じるところがあるように感じた。


幸せの気持ちを忘れた世の中

2011年02月06日 | Weblog

夕べ「ラジオ深夜便」で作家の曽野綾子さんが”希望ある老いを迎えるには”という話をしていた。

その中で、「今の世の中は幸せを感じなくなってきている」と言っていたが、その通りだと思う。

例えば、エジプトでは大統領の悪口を言えばすぐに捕まってしまうだろうし、

アフガニスタンではテロが横行し戦争状態だ。

お隣の韓国では、北朝鮮がいつミサイルを撃ってくるかもしれないという、一触即発の状態だ。

日本ではそういう緊迫感がない上に食料は余っているし、

電気がつかず水も出ないという家はどこを探してもない。

そういう中で暮らしているので、

何不自由なく暮らせるのが当たり前のように感実じる人たちが増えてきていると思う。

いつも思い出すのが、戦争直後の生活のことだ。

食料もない、靴もない、靴下もない、服もない何もない時代だった。

家は雨漏りがする有様(曽野綾子さんもそのことを話していた)である。

食料は父親が農家に手伝いに行って、なにがしかの食料をもらってくるか、

家にある着物と交換して手に入れていた。

だから、我々の世代は物のありがたみを知っていて、「こんな贅沢をしていいのか?」と思っている。

そういう我々でさえ、この贅沢に慣れてしまうと「幸せを感じる気持ちを忘れてしまう」のだ。

物がなあり余った時代に生きてきた世代では、不満ばかりが先に立っているのではないか?

そういう不満を持つと「~をしてくれない」という「くれない族」(曽野綾子さんの言葉)が増え、

やがては「モンスターピアレンツ」になって行くような気がする。

中国やインドやブラジルそしてアジア諸国にどんどん追い越されているのも、

根底には「幸せの気持ちを忘れた世の中」であるということだと思う。 

 


いまラジオが面白い~考える力を養う~

2011年02月05日 | Weblog

最近、ラジオをよく聴いている。

いつも携帯ラジオを持ち歩いており、ウォーキングや電車の中、そして夜も寝る時に聴いている。

特にNHKの「ラジオ深夜便」が面白いので、毎晩イヤーホーンを付けて寝ているくらいだ。

昨晩も「ラジオ深夜便」で展覧会情報やフォトジャーナリストの含蓄ある話を聴いて、

なんだかすごく得したような感じだ。

日本では今年の11月にテレビがデジタル放送に切り替わるので、ますますテレビを見る機会が増えるであろう。

過って評論家の大宅荘一が「テレビ時代を一億総白痴化の時代」と言ったが、

確にテレビは「人間の考える力」をなくしてしまうようだ。

一方、ラジオの方は「声」だけだから、常に想像しながら聴いていると思う。

2月4日放送の「存在の主張・麻生三郎の世界」は展覧会場を解説者(山野英嗣さん)

と西橋アンカーが会場を観て歩くのだが、実際に絵を見ているわけではないのに、想像力をかきたてられた。

また、「核汚染と人間」という対談ではフォトジャーナリスト 森住 卓さんの話が耳に残った。

「アフガニスタンやパキスタンでの核兵器を使った戦争は、遺伝子さえも壊している。

犯してはならない神の領域にまで入ってきている」

日本は戦争も食糧問題もないので浮かれすぎていると思う、こういう話を聴くと考えさせられる。

テレビのために、日本人の考える力が衰えてきているのは確かだ。

この辺でテレビから離れて、想像力が広がるラジオに戻ることを勧めたい。

 


ザック監督の「日本人の洞察力」

2011年02月03日 | Weblog

   スターチスと水仙 F6 水彩

アジア・カップで日本代表を優勝に導いた、

ザッケローニ監督がイタリア紙のインタビューに語った内容が載っていた。

その中で日本選手について『荷物を自分で運び、試合後の後片付けまでする。いままで見たことがない』

と話していた。

ザック監督の「日本人を見る目は鋭い!」と思った。

「荷物を自分で運んだりする・・・」日本では当たり前のようにやっていることに驚いているのである。

我々は気がつかないが、外から来た人間は「凄いことだ!」と驚くと思う。

ザック監督のように、外から来て選手たちと一緒に生活を共にしていると、

「この国の文化度はいかに高いか」がわかるのではないだろうか。

日本人は文化レベルが高いので、「他人に迷惑がかからないことを優先する」思いやりの高い民族である。

ザック監督は、このような日本チームを結集させたのだ。

日本チームもいい監督に巡り合えたものだ。

それ以前に、ザック監督を招致した協会の目の付けどころは凄いものだと思った。


政府は元自民党議員をもっと起用してもいいのでは?

2011年02月02日 | Weblog

民主党は先日、与謝野さんを大臣に起用し、今度は元自民党の柳沢さんを社会保障・税一体改革の委員に任命した。

与謝野さんについては、大臣になりたかったのではないか?とか言われているが、

あまり目くじら立てるのはどうかと思う。

国民は国が発展すれば、民社党でも自民党でもどちらでも良いのだ。

選挙では凄惨な戦いをやってきたのだから、そうは行かないということは良くわかる。

しかし、今の状況は経済が停滞し経済成長は他の国にどんどん追い抜かされているのだ。

国民の不安が、これほど大きくなっている時代はないと思う。

こういう時代には、「個人的な損得や恨み」などから離れて、実力あるものを登用すべきだと思う。

出来る者が世の中を変えてゆけばいいのではないか?

与謝野さんや柳沢さんは私心を捨てて、混迷している経済を何とかしようとしているのではないのか。


「内欲を抑える」と「腹八分目」 貝原益軒「養生訓」を読む

2011年02月01日 | Weblog

今日の中日新聞に「ノンフィクション作家 工藤美代子さんと貝原益軒『養生訓』を読む」という記事があった。

工藤さんは現代語訳『自由訳・養生訓』(洋泉社新書)を手がけている。

益軒は「養生の道は、内欲をこらゆるを以(て)本となす」つまり欲の節制。

そして、頑張りすぎなくてもいいという「腹八分目に」というメッセージを出しているという。

この歳になると実によくわかる。

自分は絵を描くことを趣味としているが、

人から”上手い”とか”褒められよう”など欲で描いた絵は面白くもなんともない。

そして、経験的に何事も「腹八分目」にした方が、体力的にも気分的にも「楽」だ。

先ずは食事だ、外で食事をしているときは出されたものは無理しても、みな食べていた。

いまは違う、自分のペースで少なめに食べているので、スリムになるし、何よりも体調がいい。

次に行動だ、今日も友人と会ってから展覧会を見たのだが、少々無理があったようだ。

特に展覧会はいいものだけをゆっくり見た方が中身が濃いものになったようだ。

もったいないからと言って、すべてを見ても疲れるばかりで印象に残らないように感じた。

「内欲をこらゆる」と「腹八分目」はお勧めだ。