猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

地震国日本の原子力発電

2011年04月30日 | Weblog

今度の東電の原発被災で、原発の操業や立地条件の考え方が大きく変わってしまった。

原発は発電量やコスト面では、太陽発電や風力発電に比べて桁違いに良いときく。

それならば、災害にあっても絶対大丈夫だという立地条件を定めるべきだ。

それが出来なければ、原発の操業は国民から納得が得られないと思う。

今後は原発の立地条件や操業については、

国民はじめ世界の納得が必要となるであろう。

特に、地震多発国の日本では、かなり厳しい条件が必要となるはずだ。

そんな中で、中部電力は定期検査中の浜岡原発3号機の操業再開時期を7月とした。

いまは操業時期を決めるべき時ではないと思うのだが?

火力発電をに変更すれば一か月60億円の費用増となるようだ、

だからと言って何も急ぐことはない!

例え、一時的な値上げがあっても、今度のような被害を避けられるならば納得できる。

景気回復が遅れてもいいから、こんな悲しい思いはしたくない。


麻生三郎の迫力

2011年04月29日 | Weblog

麻生三郎は好みの画家である。

油絵もいいが、どちらかといえばデッサンが好きだ。

今日から愛知県美術館で「麻生三郎展」が始まった。

油絵もいいが、デッサンがいい、「線」が彼のすべてを表しているのではないか?

いま開催している「麻生三郎展」でも、多くのデッサンを見ることが出来る。

彼が長谷川利行や松本俊介そして靉光などとの交流があったと聞くと、

どこか共通点があるような気がする。

ここに1997年に開催した、三重美術館でのデッサン展の図録がある。

いまとなっては貴重な本となった。


ためしてガッテンで心臓肥大(自分の病気)を紹介

2011年04月27日 | Weblog

自分の場合は数年前、定期診断のときに先生が聴診器で心臓の異常音を発見してくれた。

心臓の大動脈弁が壊れていて、血液の半分が逆流して心臓肥大を起こしていたようだ。

普段は心臓が苦しいとか、息切れがするといった症状はないので、そのままにしていたら

ある時、心臓が急に止まってしまうという恐ろしい病気とのことだ。

自分の場合も、定期診断で先生が聴診器で発見してくれたのだ。

確かに普段は気が付かず、普通通りの生活をしていたのだから恐ろしいことだ。

手術は人工弁にするか、牛の粘膜を使った生体弁を使うかである。

自分は生体弁をつかっているが、月一回医者の診断を受けている。

薬も血液の流れを良くする「ワーファリン」を主に毎朝飲んでいる。

手術後は極めて順調で、全く普段の生活が出来ているのでありがたい。

テレビでは「200万人に潜む異常音」と言っていたが、

早く発見して早く処置しないと大変なことになってしまう。

毎年1回行う健康診断は絶対に受けるようにしてほしい。

 


人間の思い上がりに喝!自然と共生する生き方

2011年04月26日 | Weblog

今日の中日新聞に僧侶で作家の玄侑宗久さんがいいことを書いていた。

「なぜコンビニが24時間開いていなければならないのか。

なぜビニールハウスに暖房をかけてまで正月にイチゴを食べなければならないのか。

今回の事態は、そんな暮らしに対する逆襲のような気がします。

人のつくったものは、かくもはかなく壊れてしまう。

この期に及んでまだ自然を人間が操れると思っているとしたら大ばかです。」

今度の災害で得たものは、「自然には絶対に勝てない」ということではないだろうか?

昔は、自然とともに生きる考え方があったはずだ。

しかし、科学が発達するのに伴い「人間は自然をコントロールでき」と考えが変わってきた。

自然をコントロールするなんてことは人間の思い上がりだ。

自然とともに生きることを考えないといけないと思う。

4月16日のブログでも同じようなことを書いたが、

玄侑さんだけでなく皆がそう思っているはずだ。 


久し振りに描いた油絵

2011年04月25日 | Weblog

明日から所属する会の展覧会のため、今日は皆で飾り付をやった。

自分の絵を皆さんの作品と横並びに見ると、面白く描けているかどうかがすぐわかる。

今度の作品は焦点がはっきりしないために、面白くない絵になってしまった。

「何を見て貰いたいかではなかったのか?」と反省しきり!

絵が好きな人たちが描いているだけあって、他の絵には「脱帽」であった。

「好きこそものの上手なり」とはよく言ったものだ。

 


大正時代の建築物保存 名古屋市・文化の道

2011年04月23日 | Weblog

「絵と会話を楽しむ会」で名古屋市の「文化のみち」を見学した。

まず思ったことは、大正時代の貴重な建築物を保存した名古屋市の偉さである。

石の建造物が多い、イタリアやフランスなどでは古い建築物がそのまま残されていて、

町全体が建築遺産になっている。

ところが、日本では木造建築が多いため、古くなるとすぐに取り壊してしまう。

木造建築を保存することは至難の業である。

しかし、名古屋市の「文化のみち」では「撞木館」や「旧豊田佐助邸」そして「旧川上貞奴邸」など

大正時代の建物がそのまま残っている。

しかも、見学自由で解説の皆さんが面白可笑しく室内を案内してくれる。

今日は撞木館(陶磁器商だった井元為三郎の邸宅)で、

お茶とお菓子を頂きながら作家の西尾典祐さんの話を聞くことができた。

西尾典祐さんは「城山三郎伝(ミネルバ書房)」を出版されているというので、早速求めてみたいと思っている。

旧・川上貞奴邸 二階には城山三郎の書斎がそのまま残っている。

旧・川上貞奴邸 ステンドグラスが美しい。

旧・豊田佐助邸 黄金の襖。

撞木館  欄間のステンドグラスや窓ガラスが美しい。


世界からは「日本全土が放射能で汚染されている」とみられている

2011年04月18日 | Weblog

モランディ 「静物」 1953年

モランディ 「静物」 1950年

豊田市美術館で4月9日から開催されるはずだった「モランディ展」を楽しみにしていた。

モランディは11年前に岐阜美術館で見てから「いい絵だな!」と思っていのた。

ところがイタリアの美術館から「作品が放射能に汚染される」という理由で

絵を貸してもらえず、やむを得ず中止されたと聞いた。

どうも海外では「日本全土が放射能で汚染されている」と思われているようだ。

東京あたりも、海外からの客が8割方減ったという。

我々の日常は、原発事故の地域以外は平常に活動しているということを、

政府は海外にPRすべきではないだろうか?

チェルノブイリ事故のときは、日本では当時のソ連連邦全部が危ないのではないか?

と新聞やテレビの報道で理解していたはずだ。

世界では原発が当たり前になってきているので、

原発事故の情報は隠すことなく、世界に発信すべきだと思う。

写真は1999年8月7日開催 岐阜美術館の図録より


堀文子展を観たらエネルギーがわいてきた

2011年04月17日 | Weblog

いま三重県美術館で「堀文子展」を開催している。

この展覧会を観ると、93歳の堀文子さんのチャレンジ精神に魅せられる。

なにしろ、69歳で単身でイタリアにアトリエを構え5年余りトスカーナで取材してきている事からも、その凄さがわかる。

そして、70歳代後半から80歳代全般にかけて、マヤ遺跡やインカ遺跡そしてヒマラヤ山脈に取材しているのも凄い。

2001年に解離性動脈瘤に倒れた後は、顕微鏡の下で繰り広げられる極微の世界を描いている。

自著「トスカーナスケッチ帳」でこう書いている。

「・・・刻々と失われていく身心のエネルギーの目減りを防ぐのは

 自分自身の力でしかできないことだ。

 人の助けで埋められるような生やさしいものではないのである。

 老いにさからわず、私は私の手足で働き、

 私の頭の回線をしか方法はないのだ。

 どうしても過去の功績によりかかり、

 人を従えたがる老人の甘えを何とかよせつけないよう

 心掛けたいものである。」

93歳まで現役で活躍されているエネルギーは、このような考え方にあるのだと思う。

雑誌「サライ」にも毎号、堀文子さんの絵が掲載されているので是非観てほしい。

写真は「トスカーナスケッチ帳」で「いい絵だ!」と感じたものだ。

 


自然災害は必ず来ることを前提にした対策を!

2011年04月16日 | Weblog

NHKBSプレミアムで「グレートネイチャー・エチオピア」を見た。

エチオピアの溶岩湖をみて、自然は恐ろしいものだと改めて思った。

人間は普段は「災害がないのが当たり前だ」と思っている。

例えば冨士山が噴火したら、溶岩がすべてを飲み干してしまうのではないか?

何千年に一回あるにしても、自然には勝てないと思う。

そういう意味では、「想定外」という言葉はありえない。

地震・津波・噴火などは、いつ来てもおかしくはないし、必ずやってくるのだ。

人間はそういう災害を「止める」事はできない、安全な場所に避難する工夫しかできない。

原子力発電でも、「災害が来たときにいかに安全な場所につくる」とかを考えるべきである。

科学の力によって「予知、そして安全な場所探し」をすべきだ。

自然に立ち向かってもとても勝ち目はない。

災害は必ずやってくることを前提に、対策を取っておくべきだと思う。


イギリスは災害をどう見ていたか?

2011年04月15日 | Weblog

今日、BSフジのプライムニュースで前駐日英国大使のグレアム・フライさんが出ていた。

今度の東北大震災や原発事故の事について、

日本政府の対応やイギリスの例などについて興味深い話を聞いた。

さすがに「紳士の国イギリスだと思った」ことがいくつかあった。

政治の歴史が古いだけあって、いろいろな経験を積んでいまの「紳士の国イギリス」になったのだと思う。

原発事故が起きて、各国は一斉に日本を引き上げていったなかで、

イギリスは逆に50人の科学者などの専門家を呼び寄せていた。

情報の確認を自分の目で確かめようとしたのだ。

そして、在日英国人については、日本を離れるかどうかは自己判断にまかせたという。

専門家の調査や日本の情報を信頼していたようだ。

フライさんは「日本経済は今度の危機を必ず乗り越える」とみている。

謙虚な方だけに、話を聞いていて「日本が早くの立ち直る」という確信が持てた。