猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

日常のありがたさ

2011年03月31日 | Weblog

朝起きると、そこに家族が居て、食事も何不自由なく温かいものを食べることができる。

夜になれば、明るくて暖かい家で休むことができる。

我々はこのことを「当たり前のこと」だと思っているが、なんと贅沢なことだろうか。

普通の生活を維持するということが、どれだけ難しいことなのかよくわかった。

今日の日経の「コラム」に「日常のありがたさ」について書いてあったが、

「日常」を意識させられた。

「日常」は当たり前のことではなかった。

努力の積み重ねだった。

そういう努力も災害は一挙に壊してしまう。

だから災害は何としてでもなくしたい。

文明も技術もこれだけ発展している時代だから。


誰でもできる協力は? ー節電ー 

2011年03月29日 | Weblog

「被害に遭われた皆さんに対して、何か協力できることはないか?」ということは、誰もが 考えていると思う。

自分もずっと考えていた。そして、機会があるごとに寄付に協力してきた。

このブログを通じて何かできないか、ということも考えていた 。

そんな中で、「クローズアップ現代」で「いま私たちにできること・被災地をインターネット支援」をみた。

そのなかに「節電に協力する」ということを取り上げていた。

「これなら直ぐにできる」と思った。

我が家では、直ちにクーラーの電源をすべてはずした。

中部電力から東京電力に融通しているなら、節電に協力する必要があるはずだ。

それに、いつ中部地方にも大地震が来てもおかしくない。

その時には、節電は絶対条件になるはずだ。

節電こそが誰でもできる協力ではないだろうか?

 


芸術からエネルギーをもらう

2011年03月27日 | Weblog

いま、愛知県美術館で「カンディンスキーと青騎士展」を開催している。

2007年3月にミュンヘンの「レンバッハハウス美術館」に訪れた時の感動が忘れられない。

愛知県美術館ではレンバッハではみることが出来なかった、多くの小品を観ることができる。

写真はレンバッハで買い求めた「日本語版の案内書」だ。

そして、気に入っている「郊外 1908年」と「騎馬の二人 1906年/07年」である。

今年の愛知県美術館は自分にとっては夢のような展覧会が続く。

4月29日~6月12日は「麻生三郎展」、11月11日~来年の1月22日は「ポロック展」を開催する。

災害の中ではあるが、これらの展覧会で作者からのメッセージ受けて元気をつけてほしい。

こういう時だからこそ、芸術の発しているエネルギーを受け止めたい。

 


絵と会話を楽しむ会(平成23年3月)

2011年03月26日 | Weblog

東北大地震の被害がわかるにつれて、何とも痛ましい気持ちになってくる。

この会でも5月にスケッチ旅行を計画していたが、今日の会合で「取りやめる」ことになった。

皆の気持が「まだその気にならない」のだ。

そんな中、今日は太田さんが持ってきてくれた、コーヒーメーカーで作った手作り珈琲と

河西さんと長谷川さんが差し入れて頂いた、お菓子で茶話会からはじまった。

お互いに「気持をほぐそう」という配慮だった。

太田さんのご主人の「ガラスの鳥」。太田さんの絵は明るい色で、

観る人の気持ちを楽しくさせてくれます。ガラス細工の置物の感じが

よく出ていると思います。

太田さんの奥さんは民芸人形を描きました。

お土産で人形を買ったら、ちょっと描いておくというのも記念

になると思います。高山で求めた人形とそれを案内している

人形がなんとも面白い組み合わせです。

長谷川さんの「けいとうとと蓮」です。

今日は左手で描いていました。蓮とそしてけいとうが柔らかな雰囲気

で描かれています。自分も時には左手で描いてみようと思いました。

河西さんの絵は家で描いてきた「蓮」と、今日描いた

「ガラスの湯沸かしに入れたハーブ」です。

河西さんの栽培したハーブは、とてもいい香りが

するのでいつもポケットに入れているくらいです。

自分が栽培したハーブを描いたりする、このような絵

はいいものですね。

事務局の祝原さんがこんな絵を描いてくれました。

太田さんが作ってくれた珈琲とお菓子のぜりーです。

この絵で、この会の雰囲気がわかります。


経済を早く活性化すべきだ

2011年03月25日 | Weblog

あまりにも大きな災害なので、日本中には自粛ムードがあってもやむをえないことだ。

災害地の復興は待ったなしだ。早急に実行しなければならない。

非災害地の経済を一刻でも早く盛り上げて、災害地の復興に全力を尽くしたい。

津波被害は被害者の救済、そして原発事故では一刻でも早く放射能の拡散を防ぐために懸命な努力をしている。

日本中が復興に向かって動き始めているのだ。

必ずや短期間で復興できると思う。日本の復興のためにも経済を早く活性化すべきだ。

被害者の皆さんを救済するにはかなりの資金がいる、そのためには発想の転換か必要だ。

少なくとも100年先の計画が必要だ。

名古屋市は戦後の都市計画で100m道路を作った。

いま必要なのは、日本全体が自粛ムードから復興ムードに転換することだ。


パニック状態になるな! 

2011年03月24日 | Weblog

昨日、知人から電話があって「ブログの更新がないので、病気ではないか」という心配をしてくれていた。

実は、東北大地震・原発事故の被害を知るにつけ、あまりにもショックが大きく、今日までブログが書けなかったのだ。

我々の年代は、子供のころに空襲を体験しているが、今度の災害はそれよりもっと酷いものだ。

昨日の報道でも、南三陸町の広報の方がいまだに行方不明だと伝えていた。

その責任感から住民に「津波避難」の放送を役場が水没するまで伝え、その後行方不明となったとのことだ。

彼女は結婚して3か月たったばかりだった。 

親御さんの気持ち、そして任務を完遂する日本人の姿を思うと、一言では言い表せない複雑な気持ちになった。

被害を受けていない自分は何が出来るのだろうか、長い間自問自答してのだ。

ところで、東京の水道水から「放射線物質」(乳幼児の基準超)が検出されたようだ。

東京のスーパーやコンビニから、買占めによってペットボトルが無くなったという事だ。

こちらでも、乾電池や携帯ラジオ、水等が原発事故以来買占めにあっている。

昔と違って、今の世の中はテレビやパソコンなどで情報が過剰に流れているので、パニックとなってしまう。

過ってのオイルショックの時のトイレットペーパーと同じ現象が起こっている。

被害に遭わなかった我々にできることは、報道に過剰反応を起こさないことだと思う。

家の者はパニック症状が出つつあるが、

自分は「いままでの経験から、大丈夫だ!」と居直っている。


認知症にならないために

2011年03月09日 | Weblog

今日の「ためしてガッテン」で認知症の改善事例を取り上げていた。

奥さんが認知症になり、介護拒否になってしまった80歳代のご夫婦の改善事例だった。

認知症になっても、「感情」は残っていて覚えているので、いやなことが重なると介護拒否になるということだ。

このご夫婦はセンター方式という方式を続けたら短期間で改善できたという。

この方式は「介護する人」が「される人」の言動を記録して、

「介護する人」が相手の気持ちに「気づく」、ことが改善の基本であるようだ。

介護する人が「自分の意見」を通そうとしないで、相手の言動から相手の気持ちを察して

「介護を拒否」されないように改善してゆくのだそうだ。

考えてみると、このことは人間の理想な姿でもあるのだ。

誰でも ついつい自分のの意見を通そうとするようだ。

相手の気持ちを「察する」、そして「気づく」ことはなかなか難しい。

しかし、早くこれに気づいて実行している人は、偉いとおもう。

親や連れ添いが認知症になり、初めて「自分の生き方に気づく」ということだろうか?


人生の後半は聴き役にまわるというのは?

2011年03月07日 | Weblog

人間だれしも「誰かに話を聴いてもらいたい」ものだ。

そうでなかったら、ストレスがたまってしまい、社会が成り立たなくなると思う。

事実、対話を聴いていると、どちらかが話の主導権を自分の方が取って、自分のペースで話そうとしている。

そして、主導権を取ったものだけが、ストレスを解放できる。

世の中の人間の半数がストレスを解放できないでいるということになる。

そこで、「70歳を過ぎたら、聴き役にまわる」ことを提唱したい。

これまでお世話になった社会に「お返し」をするというのもいいだろう。

人生の酸いも甘いも体験した者が聴き役に回れば、

ストレスが少なくなって世の中も、平和になるのではないだろうか?

例えば、日本の自殺者は世界一多くて、毎年3万人の命が失われているが、

こういうものも少なくなってくるはずだ。

そのために年寄りと若者の交流の場を作って行きたいものだ。


大河ドラマ「江」で教わった「父子関係」、そしてイクメン

2011年03月06日 | Weblog

今日の大河ドラマ「江」では、久し振りに泣かされた。

「江」は義父である柴田勝家を、はじめて父と感じた。「江」は義父を秀吉との戦いで失いたくなかった。

「江」が義父に教わった刺繍で、義父・勝家の顔を描いたお守り袋を渡すというシーンだ。

心から子供を心配するような父子関係を築くことが出来れば、素晴らしい親子関係が出来る事を教わった。

歴史ドラマで、父と子供の関係を取り上げたものは少ないと思う。

いま流でいえば「イクメン」が頭に浮かんだ。

男親が子供の育児をするというのは良いことだと思う。

子供と心の交流が出来るから。

フランスなどでは当たり前なことが、ようやく日本でも定着してきたのだ。

「イクメン」が一般的になれば、世の中の「男の家庭感」が大きく変わって行くと思う。

そして、家庭を中心とした社会が出来上がって行くはずだ。

いまも、「世界街歩き アビニョン・フランス」を見ていたら、ここは子供を中心とした街だということを感じた。

フランスでは世の中を家庭中心にするための「あらゆる政策」が整っていると思う。