猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

人生平等:いい事もあれば悪いこともある

2007年11月30日 | Weblog
守屋次官夫妻は本当に気の毒なことになってしまったものですね。
夫婦揃って晩年を汚してしまったのですから。

人生なんていいことばかりは続かないのですね。
いい事と悪いことは平等にやってくるようです。

人間の一生をみていると、誰が得して誰が損したなんてことはないようですな。
結局は誰もが平等な一生を送るようになっているようです。
でもね、この「平等の人生」は私利私欲を離れて純粋に生きて初めて得られるようですよ。

昨日の新聞には、ご主人のお医者さんが亡くなったので20億円の遺産をもらった奥さんが、現金や債権を自宅の蔵や床下に隠して脱税したという話がありました。
70歳を過ぎたこの奥さんは、使い切れないお金をどうしようと思ったのでしょうかね。欲の力って本当に怖いものですね。

そうかといえば、何処かの奥さんが数十億円のお金を何処かの公的なな機関に寄付したという話もあるんですから、人の生き様なんて面白いものですな。

禅語に「安心立命」(あんじんりゅうみょう)なんて言葉がありますが、心安らかに生きて初めて命が全うできるんじゃあないかと思いますよ。
時々そういう方にお会いするとほっとしますよ。

働ける人を働かせない制度はおかしいよ

2007年11月29日 | Weblog
今朝の新聞を見ていたら「労働人口・2030年に1000万人減」という記事が出ていましたよ。

だから、高齢者や主婦、フリーター、ロボット、外国人を使う仕組みが必要だといっていました。

早い話が、高齢者や主婦は、働きたくても法律でがんじがらめになっていて働けないのです。
パートの奥さんだって年収130万円を超えると、旦那さんがガボット税金を取られるし、定年退職したお父さんだって、働くと年金が減らされるんですから。

とにかく働く人が少なくなってくるのがはっきりしているんだから、お国も早く法律を変えてくださいよ。

会社も若者ばかりを頼りにしないで、高齢者や主婦を活用すべきですよ。
特にサービス業は、経験豊かで酸いも甘いもわかっている高齢者や主婦に働いてもらうとぐっと雰囲気が和やかになること請け合いです。
ヨーロッパでよく見かけるのが、老紳士のウエーターやホテルの接客係ですね。
紳士から丁重な扱いを受けるのは、気分がいいものですね。

人間の究極の喜びは自分の存在が「人様に喜ばれること」じゃあないですか?
それがよくわかっるのは高齢者や主婦ですよ。
皆さんは経験豊かだから、いろいろなアイデアも出るし、楽しく働きたいという気持ちが強いので、職場は盛り上がるはずです。

そして定年退職してきた高齢者や主婦は経営感覚あるので、任せられるんじゃあないでしょうか?
給与だって若者を雇うことを思ったら、半分以下ですよ。

外人労働者やロボットの話もしたいんですが、お後がよろしいようで・・・。

高速道路パーキングエリアの猫たち

2007年11月28日 | Weblog
東海北陸自動車道の古城山パーキングエリアには7~8匹の猫のグループがいる。
兄弟猫や親子猫、そして黒の独り者などが仲良く暮らしている。
このパーキングアリアは無人で売店も無いので、ここに来るのはトイレ休憩に立ち寄る人たちだけである。

餌はどうしているのだろうか。
これから寒くなって来るというのに、何処を住処にしているというのだろうか?

そんなことを気にしながら、一匹の猫を呼んでみるとすぐに近づいてきた。
結構人になついているようである。
猫たちは良く太っていて、結構毛並みもいいのだ。
誰かが餌を与えているのだろうか?

ミュージカルの「キャッツ」では猫の寄り合いが毎夜おこなわれていて、いろいろの問題を議論しているということだ。
それぞれの猫には今までに生きてきたストーリーがあり、運命があるというのである。
今日出合った猫たちは、野良猫だけあってさすがに厳しい顔をしていた。
これから迎える冬をどう過ごそうかとか、餌はどうしようかとかなどと話していたのではないのだろうか?
そんな中で、子猫はひとりうとうと昼寝をしていた。

猫たちにとっては秋は楽しんでなんか居られないのだ。

人間たちはガソリンや灯油が値上がりしたとか、パンや珈琲が値上がりしてきたといっているが、なんと贅沢な悩みだろうか?

なに!物価の値上げ?ありがたいことです。

2007年11月26日 | Weblog
久しぶりの創作落語で一席お伺いします。

私がいつもランチをしている喫茶店は、来月からランチも珈琲も値上げするといってますよ。
原油の値上げから始まって、とうもろこしからバイオエタノールの生産なんて自然に逆らったことをしているから、ガソリンや灯油だけではなく農産物や小麦粉まで
値上げしてきています。

そこで、我々庶民は、この値上げに防衛して行かないといけません。
防衛なんて難しいことを言わなくても、一昔前の生活に戻ればいいのです。

私なんか子供の頃は石油ストーブやクーラーなんて洒落たものは一切ありませんでした。暖を取るといったら火鉢だけでした。
しかも家といったら、風がす~す~入り込む木の雨戸と破れ障子ときているから、寒いのなんのじっとしていられないくらいでしたよ。
親父なんかは「綿入りのどてら」なんか着て火鉢を抱いていましたよ。

今の家はサッシで風は入り込まないから、厚着をして布団でもかぶっていたら十分暖まります。石油ストーブやクーラーを使わないから空気はいいし、言うことなしですな。
テレビも見ないで、本でも読んでいたほうがよっぽど優雅な時間がおくれるじゃあないですか。

食事だってあまり食べないことですよ。
今時の人間はたくさん食べて、しかも動かないんですから身体にいいはずはないですよ。
メタポリックシンドロームなんて洒落た呼び方をしていますが、早い話が人間のフォアグラですな。

長生きしたければ、昔のように一杯のご飯と納豆に小魚にして、とにかくクルマを使わないで歩いて動き回ることですよ。

経済学者の偉い先生達は、「そんなことをしたら景気が悪くなってしょうがない」と言うかもしれませんが、な~にそういう生活に合った商売が出てきて結構にぎやかになりますよ。
そういう時代になると、まずは衣服や靴が売れ出しますよ。
寒いから身体を動かそうなんて、山登りやハイキングがさかんになってJRなどは大助かりですよ。
テレビを見ないから本屋さんが繁盛します。そして凄惨な事件も減ってくること間違いありません。

特にリタイアした人たちは年金だけで食べてゆかねばなりませんから、一石二鳥ではないですか?

とにかくいいことだらけな世の中になってきますよ。
物価の値上げだといって、不景気な顔をしていたらいけませんよ。
大変ありがたいことなんですから。

楽しい人生が送れる時代

2007年11月25日 | Weblog
いつの時代でも人は「楽しい人生を送りたい」と思っている。
今の時代は少し努力すれば「楽しい人生・・・」は実現できる時代だと思う。

衣食住でみてもよくわかる。
まず着るものは、今くらい安くてしかも個性が発揮できる衣の時代は無い。
青山やアオキに行って2~3万円出せば、上から下まで粋なお洒落が出来てしまう。自分は安くてお洒落をするのが本当の洒落者だと思っている。

ところで欧米の庶民は決していいものを身に着けていない。
でも、なかなかセンスがある格好をしている。
欧米でブランド品を身に着けているのは、本当の金持ちだけである。
彼らは生活の全てがリッチなので、ブランド品が身についているのだ。

食にいたってはまさに豊饒の国だ。
最近は「ミシュランの三ツ星」などと大騒ぎしているが、庶民が行って食べる時代である。
一昔前までは高級料亭などは、庶民の手の届かないところにあったのだ。
家庭でも、ちょっとした料理屋並みの内容となってきている。
だから、レストランやホテルなどはかなり質のいいものを出さないと客は来ない。

最近の住宅は、とても明るく斬新に出来ている。
20年位前に立った住宅は、もう古臭いスタイルとなっている。
重厚な日本家屋で建てたような家だったら話は別である。
しかも若いうちから新築の戸建が可能だ。
我々の時代は定年後家を建てるような時代であったが、今は違う。

こんな時代だから、サービス業ではそれ以上の内容で「楽しく過ごして」もらわなければならないという、大変厳しい時代になってきている。

人間生態学からみた「夫婦というもの」

2007年11月24日 | Weblog
世間では、よく「似たもの夫婦」なんてことを言いますが、あれは本当だなと思うときがある。

ご夫婦の顔が良く似ている、なんてことはざらにある。
人間は環境に左右されるから、一緒の屋根の下で毎日顔を合わせていたら、嫌でも顔つきは似てこようというものだ。
それに醸し出す、雰囲気も同じようになってくるようだ。
だから話し方や考え方も同じようになってくるのは自然である。
例えば旦那さんが大声でしゃべっていると、奥さんも大声になって来るようだ。

いま仮にご夫婦が別々に分かれて立っていてもらったとしよう。
そのご夫婦とは初対面の人が、奥さん旦那さんそれぞれと少しばかり会話をした後で、夫婦の組み合わせをやってもらうと、「この奥さんはこの旦那さんとご夫婦である」とたちまち当ててしまうだろう。

顔つきや雰囲気が似ているご夫婦は、だいたいが上手く行っているようだ。
しかし、あまりにもお互いの顔つきや雰囲気が違うご夫婦は、どうもしっくりいっていない仮面夫婦が多いように思える。

それがよくわかるのは「夫婦とは?」と言うことを悩みぬいてきて、結論が出た年齢の50歳代から60歳代までである。
おそらく、この年齢層は「これでいいんだ」とか「いや、ちょっと違うぞ」というような答えを出しているので、安心仕切っているか諦めているかですぐわかるのである。
70歳代以上になると、お互いが空気のようなもので、わからなくなってきてしまう。

だから、これから結婚をしようと思っている若い人は、相手の顔とかしぐさそして考え方をよ~く見て、自分もこんな人間になりたいと思ったらすぐに結婚した方がいいとおもう。
これが逆だったらいけません。
「あばたもえくぼ」ということもあるから、短期間での判断は危険だ。

長い間生きていると、こんなことも見えてくるのが不思議だ。

美濃白川の道の駅で学んだこと

2007年11月23日 | Weblog
今日も創作落語はお休みだ。
硬軟織り交ぜてのブログだ。

最近、朝早く道の駅に出かけるときがある。近在の農家の方が作った新鮮な野菜が手に入るからである。

今日も岐阜県の美濃白川の道の駅に行ってきた。
ここで山栗を焼きながら売っているご家族(と思われる)がいる。
今日は奥さんがサンプルの栗を、店に入る人たちに配っていた。
自分ももらってみたら、焼き栗はすぐに食べられるように殻が割ってあったのだ。
当たり前だと思う方もあると思うが、自分はその心配りに感心したのである。

たぶん、焼きたての熱い栗をすぐに食べてもらいたかったのだろうと思った。
確かに栗も美味しかったが、お客さんの側に立った心配りの味はもっと美味しかった。毎日そこで栗を売って生計を立てているのだろうから、「なんとかしてこの味を知ってもらって、買ってもらおう」と一生懸命になっている姿は、働いているものであれば誰もが共感するとおもう。

自営業は商売の工夫をしないと、たちまち生活が出来なくなってしまう。
しかし、会社勤めの場合は給料が自動的に振り込まれてくるので、よほどの危機感を持って仕事をしないと、頭脳と身体が腑抜けしまい、これからの人生も「ただ生きているだけ」と言うようになってしまう。
定年後の人たちも同じで、自分から自分を追い込んででも常に危機感を持って生きないといけないと思う。
人間生きている以上は、一生涯危機感を持たなければならないようである。

そんな堅いことばかり言うなよ!とお叱りを受けそうだが、苦と楽は一体であると思っているので、楽しむためにも自分を大いにシリアスに見つめた方がいいと思う。

今日は、焼き栗を売っていたご家族からたくさんのことを教わった。
感謝・感謝である。

自己実現そして自己変革は出来る!

2007年11月22日 | Weblog
第一線をリタイアした人たちは、何を求めているかと言うと自己実現であり自己超越というか自己変革であると思う。
サラリーマン時代をすごして来た団塊の世代においては特にそれが強い。

世の中はいま、ガソリン代が大幅に値上がったり株価が下落したりして、年金生活者は毎日の生活に汲々としていて自己実現どころではない、と言いたいところだが、人間の欲求とはそんなことでめげる様なものではない。

マズローの欲求の段階で言えば最後の「自己実現の欲求」まで来てしまっているのだから、戦争でもない限り絶対に後戻りはしない。

雑誌やテレビで、自己実現を具体化するために、今までやってみたかった田舎暮らし、そしてそこで農業やレストランや喫茶店を経営する・・・と言うような話をよく聞く。
しかし、生活基盤を他の土地に移して、退職金までつぎ込むようなことはじつに危険だと思う。

特に世の中の先行きが不透明な時代が来ると、大金を要しない会員制のリゾートホテルやコテージの利用がさかんになってくるはずだ。

そこでは、自然の中で日常から離れた別世界が展開しており、会員同士の交流も盛んに行われている。
自己実現からさらに進んで、今までの自分を超越した自分を発見できる場でもある。そこで趣味に没頭したり、対話を楽しみ世界を広げてゆくことが出来る。

先日あるリゾート会社の方と話す機会があった。
いろいろ聴いてみると、実はそういう実態を把握して、すでにいろいろな手を打っているとのことであった。
会社の視点からというよりか、利用者である会員の視点からかなり突っ込んで考えられているのには驚いた。

こういう会社に「我々の自己実現の環境」の一端をお任せし、僭越ではあるがともに作り上げてゆくことが出来たら最高なことではないかと思った。

粋な人

2007年11月21日 | Weblog
人間は粋でなければいけないようである。

服装でも食事でも所作でも粋であることが大切だと思う。
歳を取ればとるほど粋でなければいけない。
それには中身が粋でなければ、軽いものになってしまう。

例えば名女優と呼ばれた、高峰秀子さんの生き方などは「粋な生き方」の代表と言ってもよい。
先ずは自分の価値観がしっかりしているので、絶対に世の中に媚びることはしない。エッセイのような本は書かれているのだが、テレビや雑誌などのマスコミには絶対に出てこない。
価値観をお金や名誉においていないので、媚びる必要はまったく無いのであろう。

女優の故・沢村貞子さんもそうだった。
やはりお金や名誉にはまったく関心がなく、ただ夫に徹底的に尽くされたようである。それが彼女の価値観であり生きがいであったのであろう。

粋であるかどうかは、世の中に迎合しない生き様を言うのである。
いくら肩書きがあっても、いくらいいものを身に着けていて、いい家に住んでいてもも、生き様が粋でなかったら誰もかっこいいとは思わないであろう。

粋のすごいところは、それが回りに感染してゆくところである。
そういう生き様をみた人は、「ああいう風に生きたい」とか言って自然に身についてくるものである。
だから粋な人と接点を持っていなければいけない。

そのためには常に感性を磨いておくべきであろう。
「あの人は粋な人間だな」ということがわかるように。

自分もそうなりたいと、日夜努力している。

秋のアコーディオン演奏

2007年11月18日 | Weblog
今日の創作落語は休憩です。

17日(土)と18日(日)は名古屋と一宮市で伊藤ちか子のアコーディオン演奏があったので移動の運転手役を引き受けた。

17日は「ワインと料理の店 ビストロ コパン」で「ボジョレ・ヌーボの夜」の演奏であった。
アコーディオンが流れてくる中で飲むワインはなんとも良い気分であったが、何と言ってもお客さんの声援と拍手に支えられて盛り上がり、フランスのワイン祭りの雰囲気が味わえたように思った。
オーナーシェフの近藤さんには大変お忙しい思いをさせてしまって、申し訳なく思っている。

18日は一宮市の「ギャラリー葵」で大島辰子さん(二紀会)の個展での絵とアコーディオンのコラボレーションという、斬新な催しであった。
花やイタリアの風景そして長野の山々の風景に囲まれてのアコーディオンの演奏、初めてのことではあるが、会場がこんなにも純粋で爽やかな雰囲気になるとは、予想以上の効果であった。
この会場でも、会場に来ていただいた皆さんと絵の作者そして奏者の気持ちが見事に一体となっていた。
本当に素晴らしいことだと思った。

この2日間は、来ていただいたお客さんとコパンの近藤さん、二紀の大島さんそしてアコーディオン奏者の伊藤ちか子とが一体となって、二度と再現できないという貴重な作品を作り上げたような気がする。

本当にありがとうございました。