猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

菜の花のスケッチ

2010年02月23日 | Weblog
今日は春を思わせるような暖かな一日だった。
春といえば、菜の花の季節だ。
菜の花は地味であるが、何となく温かさを感じる花だ。
毎年秋に種を撒いて、つぼみが出る2月~3月にはゴマ和えにして食べている。

菜の花の花言葉は「快活」ということだ。
確かに菜の花を見ていると、明るい気持ちになってくるのがわかる。
菜の花畑を眺めていると、自然の偉大さと美しさを感じるのは自分だけではないと思う。
蕪村の句はそういう自然が見事に描かれていると思う。

・「菜の花や 月は東に 日は西に」  
与謝蕪村(よさぶそん)

この絵はF6に、筆ペンと水溶性クレヨンで描いた。

農業法人

2010年02月15日 | Weblog
つい先日までは夕方6時になると暗かったものだ。
今日あたりは、夕焼けかかった空でまだ明るかった。

家の近所では農地の多くが農業法人に貸している。
少し向こうにマンションがあり、その近くの大規模農地でトラックターが動いているような風景はいままでは見ることができなかった。

なかなかいい風景なので、描いてみた。

昨日のブログで宇野亜喜良さんの字が間違っていました。
コメントでご指摘を頂きありがとうございました。

絵日記ブログ 今朝の日経

2010年02月14日 | Weblog
私の知人に料理をスケッチしている方がいる。
旅をした時や、友人とレストランで食事をした時に記録として描いておくそうだ。

富永まい監督の「食堂レストラン」という映画の中で、柴咲こうさん演ずる倫子が絵に描いたレシピや料理をみながら料理する場面があった。また、今日はNHKの「週刊ブックレビュー」で城戸真亜子さんが絵日記調の「ほんわか介護」という本を紹介していた。
日常の出来事を絵にすると、何となくユーモアが感じられるのが不思議だ。
もちろんその時の感動や記録を思い出とし残しておくのも目的だ。

そこで思いついたのが、絵日記ブログだ。
いままでも時々スケッチを描いてブログに載せていたのだが、スケッチは少し硬いので小学校の時のように、日常の出来事を絵日記にしたらどうかと思ったわけである。

今日は今朝の新聞の印象を絵にしてみた。

日経新聞の最後のページは「文化欄」で画家の絵、私の履歴書、随筆、小説が載っている。
今日の絵は赤堀尚さんの「コバルトグリーンの女」である。絵は地味な「文化欄」にグリーンで、色添えている。クロッキー描きの線も魅力的だ。この絵と辻原登さんの小説「韃靼の馬」の挿絵(宇野亜喜良さん)とが絵とマッチしており新聞面全体を引き締めているのが良い。

私の履歴書はプロゴルファーの青木功さんが描いているが、これが実に愉快だ。青木さんの豪快な人柄がにじみ出ている文章で人情を感じさせる。

プリュースのリコールで解かったトヨタへの信頼

2010年02月11日 | Weblog
この話は、トヨタの地元愛知県での話だ。

今回のハイブリッド車のリコールで、消費者のトヨタに対する揺るがぬ信頼が解った。
自分の身近な例だが、リコール問題が出た最中にも関わらず、日産のクルマからトヨタのハイブリッド車に切り替えている。この事例を見ても消費者はいかにトヨタ車を信頼しているかがわかる。

また、トヨタの姿勢も立派であると思ったのは、この切り替えの交渉の中でトヨタはハイブリッド車の値引きは一切しなかったことだ。
一般的には弱みがあると販売店やメーカーが弱腰になるのだが、トヨタは従来の方針を貫いて強気であり、これがますます消費者のトヨタに対する信頼を強固にしていると思う。

ところで、友人が最近プリュースに買い替えたのだが、どうもブレーキの具合が長年乗っていたこれまでの車とは違うので、気をつけていたらしい。
「停止信号では早めにブレーキをかけないと、前の車に衝突しそううだった」と言っていた。
「ハイブリッド車とはこういうものか」と思っていたようである。
ことブレーキについては、従来のクルマと違ったことがあれば、乗り換えた人は「おかしい」と思うのだから、「システム」とか「車の癖」ということで済ますことはできないのだ。

今回はどうした訳なのか品質のトヨタが、作る側の理屈でクルマを作ってしまったのだ。

素晴らしい組織と人材を持っているトヨタだから、これを機にこれまで築いてきた消費者の信頼をますます強固になるようにして行くはずだ。

椿の花のスケッチ

2010年02月09日 | Weblog
家の庭では椿の花が満開だ。
椿の花はポロっと落ちるので嫌う人もいるが、自分は質素で優美なところが気に入っている。
特にピンクの花は優雅で、ついつい絵にしたくなる。

インターネットで「椿の愛好家」を調べてみた。
驚いたことには2000種あるという椿を家で栽培して楽しんでいるというのだ。
どの世界にも凝り性の人がいるものだと思って感心している。

ところで椿は俳句では春の季語のようだ。
河東碧梧桐の
「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」などは好きな句だ。

人間どう死んでゆくのか?映画「おとうと」を観て

2010年02月06日 | Weblog
この映画を観た人たちは、どの家庭でも自分の家族や家庭と同じようなことが起こっていることに親近感を覚えると思う。

理屈では説明がつかない親子や兄弟姉妹の関係そして嫁や義母、夫と妻の関係はどんな家庭でも、問題を抱えているはずだ。

この映画でいえば姉(吉永小百合)とおとうと(笑福亭鶴瓶)の関係や、娘(蒼井優)と離婚してしまうエリート医師、嫁(吉永)と亡くなった夫の母親との関係などで、現実にわれわれが直面している問題が見事に表現されている。

そして、金もなく一人ぼっちで死んでゆく人間の扱いについて、現存する身寄りのない者の終末ケア(現存するホスピス)のありかたを取り上げている。
映画の場面では、特に人生の最期の時を見守る施設である民間のホスピスの存在が印象に残る。
赤字を抱えながらも運営するために奮闘している夫妻を、映画では小日向文世さんと石田ゆり子さんが演じている。
映画の中で石田ゆり子さんが息を引き取った弟役の鶴瓶にむかって「長い間お疲れさまでした」というセリフが心に残っている。

この映画を観て自分はどういう生き方をするのか?そしてどういう死に方をするのか?
ということを切実に考えさせられた。

ツイッターの勉強

2010年02月05日 | Weblog
毎週金曜日はNPOのパソコン教室だ。
今日はステンドグラス会社を経営されている梶原さんから、ツイッターの事について勉強した。

ツイッターはどこに居ても今すぐ大勢の人とお互いにコミュニケーションできるというもので、会社を経営しているかたなどの情報収集にはもってこいの手段のようだ。
情報をやり取りする相手をお互いに選べ、お互いにフォローし合ったりするそうだ。
さらに凄いのはその情報がネズミ算的に広がって行き、お互いに直接やり取りできるというのも面白い。さらに、ブログにリンクすることができるというのだから凄い!

明日2月6日(土)にNHK教育テレビ16時01分からの「めざせ会社の星」で、ツイッターを上手く使っている例として梶原さんのステンドグラス会社が紹介されるそうである。

長寿の条件

2010年02月03日 | Weblog
やぶにらみで世の中を見ている人間が、「長生きの条件」を挙げてみた。

世の中で、長生きする人は「いい人」よりも「嫌がられて居る人」が多いように思う。
以下の人間の方が長生きするようだ。

①人の意見を聞かない人
②本人の存在そのものが嫌がられている人
③マイペースな人
④癖のある人
⑤「いい人」になれない人
⑥個性が強い人

自分のまわりでも、こういう人は元気で長生きしているようだ。
なぜだろうか?と考えてみた。

マイペースな人は、周りの人にはあまり気を使わないし、何かに夢中になりやすい。
つまり、自分の世界を持っているので、周りの事には気を使わないでお構いなしに生きている人が多い。
また、マイペースなので、自分を良く見せたいために、自分を目だ立たせるための努力をしており、
違った意味で、よく頭を使う人たちだと思う。


人間、死んでから何が残るのか?

2010年02月02日 | Weblog
昨日は、50年来付き合ってきた高校時代の友人の葬儀だった。

死の一か月前に、彼から「病状報告」の電話があった。
声にも張りがあって元気そうだったので、安心していた矢先だったのでショックは大きかった。

葬儀場で彼の息子さんと御嬢さんに会って話すことができた。
父親に似て穏やかで利発そうな子供たちだった。
彼は思い出もいっぱい残してくれたのだが、それ以上に素晴らしい子供さんたちを残して行ってくれたのではないのだろうか?
子供さんたちは親の背中を見ながら育ったのだろう、子供さんたちと話をしていると、見事に彼の生き方とか姿勢が子供さんたちに浸透しているのがわかった。
あたかも彼と話しているようであった。

人間、死んで何が残るのか?
そんなことを自問自答しながら帰ってきた。

いのちの庭「京都東山・法然院」

2010年02月01日 | Weblog
NHKハイビジョン「プレミアム8自然」で京都の法然院の庭のドキュメントをやっていた。

庭という小さな自然が生き物の生態系を作っているということを、法然院の庭の四季を通じてドキュメントした作品だ。
京都はお寺などの庭が多いため、生態系が維持されているとのことである。

蜘蛛やカメムシの生態やムササビの生態が面白かった。
中でも、蜘蛛の生態については特に興味深く見た。
蜘蛛は「蜘蛛の巣」を張って虫を捕獲するのだが、捕獲した虫はタンパク質の糸でくるんで貯蔵して置くとのことだ。そして捕獲が終わると糸は回収して次の貯蔵のために再使用するそうである。

貯蔵や回収そして再使用などは、人間が今盛んにやっているリサイクルである。
これを本能的に何万年前から繰り返していたのだから、人間こそ蜘蛛に学ばなければいけないということだ。

そして、人間や動植物の生態系を守るには「庭」の存在が大きいということである。
庭を潰してコンクリートにしてしまったのでは、生態系がどんどん壊されてしまい、人間や動植物が異常状態になってしまう。
現に人間の世界を見ても「キレる」とか「親殺し、子殺し」といった異常な状態になってしまった。
生態系が壊れたのだ。今からなら生態系を戻すことができるはずだ。