最近は写真を撮る機会が多くなった。
理由はデジカメ教室に入って、写真好きな皆さんと友達になれたことだ。
構図や色合いを考えてものを見ると世の中が実に楽しい。
最近撮った写真を載せてみた。
最近は写真を撮る機会が多くなった。
理由はデジカメ教室に入って、写真好きな皆さんと友達になれたことだ。
構図や色合いを考えてものを見ると世の中が実に楽しい。
最近撮った写真を載せてみた。
最近、犬山によく行くようになった。
土曜・日曜ともなるとビール祭り・ワイン祭り・清酒祭りなどが行われ、
城下町はいつもお祭り気分だ。
古い町並みも整備されて、人もたくさん見に来ている。
そんな犬山を見ていたら、俯瞰的マンガ的な楽しい絵を描きたくなった。
最近の犬山の風景を紹介しよう。
暫く通ってみるつもりだ。
俳優の香川照之さんが歌舞伎役者にデビューした。
香川照之といえば「坂の上の雲」で正岡子規を演じた、
素晴らしい演技力を持った俳優だ。
市川猿之助さんと浜木綿子さんの子供だが、
猿之助さんには子供として認めてもらえなかったようだ。
香川さんがいかに辛い道のりを歩いてきたことだろうか想像できる?
その彼が今、猿之助さんと一緒に住んでいると聞いた。
香川照之さんも立派だが、育てた母親の浜木綿子さんが素晴らしいと思う。
さぞご苦労があっただろうが、インタビューでは一切そういう話は話さない。
「この親にしてこの子あり」
昨日、近くの自動車学校で「高齢者講習(運転適性)」を受けてきた。
70歳以上はこの講習をやらないと、免許の書き換えが出来なくなるようだ。
最初はビデオを見たりの座学、次がモニターでの反応検査、そして実地検査の順だ。
高齢者が増えてくれば、当然の事ながら事故が多くなって来る。
そこで「高齢者講習」を始めたのだ。
受けてみて、次のような印象を持った。
5,800円を出して受けさせるのは年金生活者にとっては大変なことだ。
免許書き換え時に冊子など渡すことを止めて、
費用をもっと安く(または無料)にしたらどうか?
さらに、この講習を受けるとすべてのムードが「高齢者」扱いなので、
自分は「年寄りなんだ」という自覚が高まってくる。
それが狙いだろうが、受ける側としては、いい気持ちがしない。
そんなことを言っていたら、こういう制度は始まらない。
受けてみて何となく感じたことを書いてみた。
「別冊 太陽」から出た「香月泰男」
十四冊のスケッチブックは誌上初公開だ。
香月夫人が語る「ダイニングの壁画」
予感がしたのだろうか?何となく本屋に寄ってみた。
「別冊 太陽」から「香月泰男<私の地球>を描き続けた」という本が出ていた。
香月は一連のシベリヤ抑留中の印象を描き続けた画家だが、
読んでみたら、これまで未公開だった「十四冊のスケッチブック」が載っていたので、「得した!」と思った。
香月泰男は「重い絵」を描く画家だが、
この本はスケッチやスケッチ画の手紙など珍しい絵を紹介している。
スケッチや素描好きの自分にとっては、たまらなく魅力的な本である。
戦地の中国から家族に送ったスケッチなど、大変珍しい絵が紹介されている。
また、香月夫人が「夫・香月泰男との暮らし」を語っている。
その中に香月家のダイニングの壁画が紹介されている。
この壁画は自由開放に描かれていて、実に面白いと思った。
とにかく、いい本に出会ったものだ。
「別冊 太陽」もいい画家の特集を発行したと思う。
「ひとり咲いてる マンジュシャゲ」
今日の公園は秋そのものだった。
子どもたちは、小川で水遊びをしているし、
稲にはトンボが止まっていた。
今年の秋くらい、待ち遠しかった秋はない。
自分は、よく「ナビ」を使って運転する。
初めて行くところにはとても便利だ、「ナビ」無しではとても行けるものではない。
ところが今日、電話番号がわからず「ナビ」無しで運転しなければならないことになった。
名古屋市内でだったが、感覚を頼りに何とか行くことが出来た。
その時感じたことは「”ナビ”は人間の感覚を麻痺させる!」と思った。
どうも人間には「本能的な感覚」という能力があるようだ。
しかし、文明の発達によってそういう「感覚」は使わなくなってきている。
「考えることをしない」ということだから恐ろしいことである。
今度の地震・津波・原発災害にしても、
「人間の感覚が鈍ってきている」ことにも原因があるようだ。
原発事故でも「電気系統設備は波を被れば止まってしまう」ことを忘れていた。
それ以前に、日本は地震国であることすら忘れていたような気がする。
ナビだけではない、デジカメやパソコンなど人間の「感覚」を麻痺させる道具は事欠かない。
我々が出来ることは時には「歩いたり」「手紙を書いたり」して感覚を取り戻すことである。
以前太平洋を横断した人から、ヨットを操縦するときは、
「生死に関わるので全身の感覚を使う」ということを聴いたことがある。
今日、台風のニュースを聞いていたら、
「若者たちが現代アートを楽しんでいる」というニュースを見た。
何といっても値段が手ごろである。
一日の仕事を終え、家で現代アートを楽しんでいる場面が出ていた。
昨年、名古屋で現代美術のイベント(名古屋トリエンナーレ)があり、
それを見てから「現代アートもいいなあ!」と思ったわけだ。
しかも若い作家の皆さんの作品を手軽に買えるとなると、
手元に置いて楽しめるだけでなく、将来のアピール度も楽しめるのだ。
画廊で売っているような絵はいかにも高すぎる。
若い人たちが簡単に購入して、部屋に飾れるような環境ではない。
アートが普及しないのは、そういうところにも原因があると思う。
いま名古屋には「ワンピース倶楽部」という会員制の機関がある。
ここに入ると現代アートに触れる機会が多くある。
敬老の日だというので、日頃感じていることを書いた。
嫌なことを書いた方がよいと思って「嫌われる老人の典型」を挙げた。
こういう老人にあったら、そうそう退散すべきだ。
これらの老人の言動を見ていて、「こんな老人にはなりたくない」と思うはなかったらおかしい。
①前の自慢話をする。(会社にいた時は、いかに偉かったかとか)
②出た学校を言いたがる。(こんないい大学を出ているんだぞ)
③家柄を自慢する。(親父が有名な誰それをしっていたとか、金を持っていいたとか)
④自分の話ばかりで、相手の話を聴かない。(自分の自慢話ばかりでうんざり)
⑤人の噂に関心がある。(週刊誌的な話題ばかり)
実は「今日典型的に嫌われる老人」にあったので、
人のふり見てわが身を直そうと思った。
是非とも見たい美術展をテレビで知ることがよくある。
「ヨコハマトリエンナーレ2011」もその一つだ。
現代アートの展覧会は若い人たちには人気があるが、
高齢者は「わからないから」と言って敬遠しがちだ。
昔からある歌川国芳の「ほうづきづくし」や鳥羽僧正の「鳥獣戯画」など、
擬人化した漫画絵のようなものだと思う。
とにかく難しく考えてしまい、構えてみるのが日本人の悪いところだ。
横浜トリエンナーレのホームページを見ると、面白さがわかる。
http://yokohamatriennale.jp/about/index.html