猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

ラグーナテンボスに行く

2014年12月29日 | Weblog

 

24日の土曜日にラグーナハウステンボスに行ってみた。

当日は土曜日だったこともあって若者の世界だった。

このラグーナテンボスは九州のハウステンボスのノウハウを使って

再建したようなことを聞いた。

確かに3Dを使った見世物がすごかった。

この世のものとは思えないものであった。

ヨットハーバーではLEDを用いた電飾が綺麗だった。

とにかくあらゆる方法で人を寄せ付ける方法には関心した。

 


モンキーセンターのサルたち

2014年12月22日 | Weblog

たき火に集まるサルたち

すっかり冬景色となったモンキーセンター

今日から犬山モンキーセンターでは恒例となっている「たき火」が始まった。

「たき火」は伊勢湾台風で流れてきた「木々の扱いをどうしようか」よいうことで始まったと聞いている。

ここにいるサルたちは「屋久ざる」と呼ばれているが、

普通サルは火には近づかないのだがここの猿は火が恋しいようだ。

冬の恒例行事になっているので、テレビ局がたくさん来ていた。

たき火で焼き芋にして、見に来た人間にもご相伴を授かるという趣向だ。

朝から見に行ったのだが、この焼き芋の旨さは格別だった。

冬が来たということを味わうために、この行事は是非とも続けてほしいと思った。


ラグーナテンボスに行く

2014年12月22日 | Weblog

24日の土曜日にラグーナハウステンボスに行ってみた。

当日は土曜日だったこともあって若者の世界だった。

このラグーナテンボスは九州のハウステンボスのノウハウを使って

再建したようなことを聞いた。

確かに3Dを使った見世物がすごかった。

この世のものとは思えないものであった。

ヨットハーバーではLEDを用いた電飾が綺麗だった。

とにかくあらゆる方法で人を寄せ付ける方法には関心した。

 

 


今、やらねばならないこと

2014年12月17日 | Weblog

今日の寒さは尋常なものではなかった。

こんな寒い日でも外に出かけるような用事があったのが幸いであった。

今日の用事は絵の仲間との忘年会だ。

日頃お母さんの介護で出席できなかった人も交えての忘年会だ。

いつもは病気や葬儀の話で終わるのだが、今日はいつもとは違って「どこに行って描こうか」という前向きな話だった。

多分、自分も含めて今動かねば一生後悔すると思うからだと思う?

年齢の差もさることながら、このことは皆に共通することではないだろうか。

世の中は高齢化しているが、いまやらなければできなくなってくるだろう事は誰もが考える。

そのために「今のうちにやっておこう」と思っているようだ。

自分の親などの話を聞いているうちにそういう考え方になっているのだと思う。

とにかく老後を元気で居たいという人たちが多い。 


年賀状

2014年12月15日 | Weblog

風邪を引いてしまったのか、手が寒くてしょうがなかったので午後から寝ていた。

些細なことでも体を休めている。齢化してくると、そういうことが気になってくる。

体力的に弱ってきたようだ。今まではそんなことはなかったように思う。

ところで年賀状は25日まで出さないと、正月には着かないようだ。

いつも追われながら書いているのが年賀状だ。

人間とは生きているときは忙しいもので、年賀状はいつもこうして追われて書いている。

しかし、年賀状とはいいものだと思う。たまにしか連絡を取らない人たちに「元気で居るよ」と伝えるのだから。

明日からにでも25日に間に合うように書こうと思っている。

体が老いてきていることや年賀状の話など、とりとめがない話でも語る場所があるのはありがたい。


忘年会

2014年12月12日 | Weblog

今日は一緒に絵を描いている仲間と忘年会をやってきた。

ところで忘年会という名目で多くの人と会うことはいいことだと思う。

先ずは人と対話できることである。

我々歳を取ってくるとどうしても人と会う機会が少なくなってくる。

いろいろな人と会って話をするのは高齢者にとっては刺激があって、とてもいいように思う。

第一線を離れると自分の時間でいろいろな趣味をやっているようだが、

例えば趣味の交換も出来るように思う。

とにかく人と積極的に話すのは趣味を広げるにはいいように思う。

今日も名古屋の中心部の「栄」でやったので、専門店が少なくなているとか、書店が亡くなっているとか、

周りで起こっていることが実際に現場に行って確認できた。

高齢者であっても世間の動きを確認したい。

これからは高齢者が多くなってくるのでボケてはいられない。

あらゆるチャンスを捉えて見聞を広げたいと思う。 


静岡というところ

2014年12月08日 | Weblog

日本平から眺めた静岡市

自分が生まれた土地は懐かしいものだ。

先日、きょうだい会をやったので久しぶりで静岡の街を散策した。

何といっても近くの浅間神社が一番親しんだ所だ。

泊まったホテルに近かいせいもあって皆で浅間神社を訪れた。

神社の門のところに交番があり周りの店は綺麗になっていた。

神社の中に入ると、昔よくサーカスをやっていた敷地は無くなっていた。

サーカスをやっていた所は懐かしいところであり「次の出演者が化粧したいた」のを思い出す。

少し奥に行くと子供の頃「百段」と呼ばれる石段があったが、雨のため上ることが出来なかった。

昔、池があったところには茶店があったが、なにか大きな建物(倉庫のような)が出来ていた。

一番変わらなかったのは神社の中の左甚五郎が掘ったという彫刻群だ。

この神社は古くからあり、徳川家康が今川氏の人質になったころからある。

多分、家康は久能山に東照宮を作ったのは、この浅間神社が頭にあったのかもしれない。

大人になった今でも「凄いところに住んでいたのだ」という気持ちが湧き上がってきた。

静岡を訪ねてつくづく「いいところに住んでいたんだな~」という実感だった。


静岡のバス旅行

2014年12月04日 | Weblog

 

子供の頃育った静岡にバス旅行に行ってきた。

バスは愛知県の住んでいる直ぐ近くを出発し、

清水港の湾内クルーズと日本平・焼津魚センターが主であった。

これはその時撮った写真だ。静岡というところは「こんなにいいところがあるのだな~」と思った。

住んでいたときは良さが解らなったが、離れて住んでみるといいところだと思う。

皆、そうだと思う。遠く離れて住んでいる人たちからよく聞く話だ。

歳を取ってから、生まれ故郷が懐かしく思えるのは自分だけだろうか?

風景を見るたびに子供の頃の思い出が懐かしく思い出される。

当時は富士山がどこにいても見えたような気がする。

今ではよほど高い建物でないとみることが出来ないので残念だ。

どちらにしても、生まれ故郷があるというのは素晴らしいことだと思う


静岡市に住んでいたとき

2014年12月01日 | Weblog

 

きょうだい会があったので生まれ故郷の静岡に行ってきた。

若い頃はきょうだいと言ってもあまり意識はしなかったが、

歳を取ると皆健康であってほしいと思う。

その日はきょうだい夫婦が集まった。きょうだい4人が元気なのが取り柄だと思っている。

久しぶりで近くの浅間神社に行ってきた。あいにくの雨だったが昔の面影は無くなっていなかった。

子供の頃不気味な感じがした甚五郎作の「馬」や「百段」と言われた石段があったので嬉しかった。

子供の頃はどこにいても「富士山」が見えたように感じたが、

今では高層ビルの上でないと見えないようになってしまった。

帰りには久しぶりに高校時代の友人と会って久しぶりの旧交を温めてきた。

静岡の街の中は変わってしまったが、住んでいる人間いは変わっていなかった。