猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

Web2.0:世の中面白くなってきている

2007年05月31日 | Weblog
歳を重ねるに従い、一年を過ぎ行くスピードがどんどんと速くなっていくような気がする。

明日からは、もう6月に入るのだ。
残りの6ヵ月もあっという間に終わってしまうだろう。
そして、1年の半分が過ぎたので、明日からは「2007年は、あと何ヶ月で終ってしまうんだ」という感覚で残りの月数を数えるようになってくるのである。

そのくらいの感覚で、1年が過ぎて行くのだから、1日という時間は自分にとっては実に貴重な時間となってきている。



人間、何かに夢中になって生きてゆく事ほど素晴らしいことはない。
そういう生き方が出来るかどうかの分かれ目は、「世の中が不思議で、面白くて仕方がない」と思うかどうかである。

例えば、今の時代のように誰もがコンピューターで仕事をこなしたり、瞬時に世界の情報を知ったりしていることを、誰が予測したであろうか?
誰もが新幹線を利用して、ほんの2時間半程度で東京から大阪まで行けるし、しかも近い将来にはリニアカーでほんの1時間で行けるとは誰も予測しなかったのである。
さらにWeb2.0現象はもう始まっていて、Webの世界で誰とでも交流でき、時には誰もが直接、世の中に対して自分の意見を発表し初対面の人でも交流きるような社会が出来てきているのである。

こういう流れを、面白く思うか思わないかなのだ。
つまり、未来を明るく考えるかどうかということでもある。

それによって、誰にも平等に与えられている時間が生きてくるのだ。

そんなことを考えながら、6月を迎えているのである。

警察や消防署の対応

2007年05月30日 | Weblog
今日、朝早くからアクシデントに見舞われてしまった。

隣との堺側の家の敷地内に、新聞紙を燃やして投入した跡が二箇所あったのだ。
植木が2m位燃えており、大事になるところであった。

今年の3月にも敷地内の車庫に入れてあった車と玄関のポストに、マジックインキでいたずら書きされたことがあったので、今回は警察に届け出た。

最初、警察官が二人で現場を見て調べていたが、やがて刑事課からも二人きて状況調べが始まった。
その後、消防署からも6人きて徹底的に調べていってくれた。

日本の警察と消防署の対応は実に速かった。
自分も状況から推移するのがすきなので、いろいろな疑問点が浮かんだが、さすがにプロフェッショナルだけあって、突っ込みはかなりのものであった。

問題はこの事件をどう裁いてくれるのかであるが、それはこれから警察と消防署からどんな反応がどう出てくるかである。
暫く様子を見てみるつもりだ。

ニンテンドーの「英語漬け」トレーニング4日目の経過報告

2007年05月28日 | Weblog
今日で4日目のトレーニングが終わった。
進行状況は、レベル1の第三段階に入ったところである。
評価は相変わらず「F」で、ローマ字が読める程度だ。
なんとも情けない結果であるが、「英語漬け」のソフトの判定だから間違いないのであろう。

いい歳をしたものが英語の学習をやるときに、一番の障害は「いまさら恥をかきたくない」と言うことだと思う。
その点、相手はDSである、恥をかくなんて事は関係ないから、遠慮なく自分が納得するまで、何度でも繰り返し学習できるのが便利だ。

それに、正解であれば「Wonderfull!」とか「Super!」などと言って喜んでくれるので、励みになる。
これらの言葉はレベルをクリアするにつれて増えてくるので、頑張ろうと言う気持ちが湧いてくるのである。
そして、今日の訓練が終われば、ハンコを押してくれるとう、至れり尽くせりなのだ。

このソフトは「ディクテーション」というやり方で、しゃべった英語を聞き取って、書くことで身体で覚えて行くのである。
初めて4日目であるが、聴き取りもずっと良くなってきているし、書くほうもつっかえる頻度が少なくなってきているように思う。

自分でも「英語力が伸びてきている」という実感があるので、「明日もまたやるぞ」という気持ちになってきていることは確かだ。

熱田神宮の老木がみたものとは?

2007年05月27日 | Weblog
父親が元気だった頃、高校野球を観ていて言った言葉が忘れられない。
「甲子園を一杯にしているこの観客たちも、何れは皆この世からいなくなってしまうんだな」と言っていた。
確かに、少しずつではあるが、観客は入れ替わって行き、50年~60年先の観衆は総入れ替えになっているのであろう。
でも、高校野球だけは延々として続いてゆくのである。
当たり前なことではあるが、人間というものは実に不思議で神秘的である。

熱田神宮には樹齢千年といわれている楠木の大木がある。
この楠木は千年にわたって、下を通る人たちの姿を見続けてきたのでろう。
人々の姿はどんどん変わって行き、決して後戻りすることなく、川の流れのように流れて行ってしまう。
でも、熱田神宮は決してなくなることなく永遠に存在し続けるのである。
この老木は今、何を思って立っているのであろうか?

脳と自然とは一体化している=Web2.0現象

2007年05月26日 | Weblog
今日は中津川市の付知川沿いにスケッチに行ってきた。
今の季節は、野山は気持ちがほっとするような新緑で埋め尽くされていて、スケッチには最高な日であった。
こんなときには、自然の中に心身ともに入り込んでしまうのが一番だ。

それにしても人間の探究心は凄いものであって、十数年ほど前はパソコンであらゆることが出来てしまうなんて、思いもよらなかったことである。
特にグーグルが検索技術の革命を起こして、いまやWeb2.0の現象が起きてきている。
つまり「ネットの世界」では大革命が起きているのである。

こういうことは何れも人間の頭の中で考えられてきたことである。
人間の「脳」は自然と一体になっている、いや宇宙の自然現象と同じであると言ってもいいだろう。
そういう人間の脳は、時には自然の中にどっぷり漬けておくことが必要だ。
今日も漬けてきたお陰か、生き返った気持ちである。

ニンテンドーの「英語漬け」=語学は歳など関係ない

2007年05月25日 | Weblog
今日、家電量販店を覗いていたら、DSでニンテンドーの「英語漬け」というソフトがあった。PR用の映像を見ていたら、結構面白そうなので買ってしまった。

家に帰って使ってみたら、不思議と中学生程度の英語が少しずつ思い出されてきて、「歳のハンデイはたいしたことはなく、訓練しだいでは何とかなりそうだ」と思った。
語学だけは理屈ではなく、反射的に出てくるまで身体に沁み込ませるしかないのだ
から、毎日欠かさずに訓練すれば日常会話だったら不自由しないようになりそうだ。

それにしても、「英語漬け」はよく考えてあるソフトだと思った。
基本は、人間が通常の会話の速さでしゃべるのを聴いて、これを英語で書くというものである。
これをレベルに応じてこれでもかこれでもかと繰り返して訓練するのである。
そして、レベルごとに自分の判定が出てきて、覚えていない場合は、さらにマスターするまで繰り返しやれるようになっている。
とにかく、繰り返しやっていると、意味をいちいち考えずに、いつの間にか身体で覚えていくようになっている。

先日の新聞記事で、中学生が単語をDSで訓練すると4割レベルアップするという統計が出ていたが、判るような気がする。

熟年者や高齢者も最初から諦めないで、チャレンジしてみたらよいと思う。

ウェブ進化論=実感したネット社会の凄さ

2007年05月23日 | Weblog
先日、ある会社の得意先の詳細を調べたところ、9割方はインターネットの検索でわかった。
ということは、ホームページを持っているかどうかに関係なく、大方の企業情報はインターネットでわかってしまうということである。
さらに凄いことは、その会社の地図はもちろん工場などの全貌が「グーグルアース」という無料ソフトをダウンロードすることで、すべてわかってしまうのである。
ネット社会がここまで来ているということを実感したしだいである。

梅田望夫著「ウェブ進化論-本当の大変化はこれから始まる」:ちくま新書 をいま読んでいるところだが、見えない「あちらの世界」で確かに凄いことが起こっていることを実感してぃる。

「みっともない」という気持ち

2007年05月22日 | Weblog
「もったいない」という言葉が流行っているが、今の日本人は「みっともない」という気持ちを忘れているように思う。

電車の中で化粧をする、電車やレストランの中で平気で携帯で電話をする、電車の中で大きな声でしゃべる等々、「みっともない」しぐさはきりがないほどである。

「みっともない」という気持ちがなくなってきていると言うことは、「こんなことをしたら恥ずかしい」という「恥の精神」が薄れてきているのではないだろうか?

今までは極めて当たり前のことと思っていたものが、いつの間にやらそうでなくなってきているのである。
だから、親孝行とか隣人愛とかマナーとかエチケットなどの道徳教育が声高に叫ばれているのである。

「みっともない」という気持ちは長い歴史の中で築き上げられてきたものだ。
いま、これが崩壊しようとしているのである。

特に、人と人との関係が希薄になってきている都会の中で酷くなってきている感じがする。
ここに、何かのヒントがありそうだ。

子供を育てるのも「自己責任」

2007年05月21日 | Weblog
子供を見ていると家庭環境が丸見えである、と言うことを見せつけられた。

町内の子供たちと一緒にスポーツをやる機会があったので、久しぶりに小学校低学年の子供たちと遊んだ。
一人の子供が来て「家ではお父さんとお母さんがいつも喧嘩をするんだよ。お金とか死ぬとかいって」と話しかけてきた。

子供はスポンジのごとく、あらゆるものを吸収してしまうので、夫婦喧嘩もよほど気をつけてやらないと子供の脳にかなりの影響を及ぼすのではないかと思った。
それ以前に、夫婦はちゃんとした大人になっていないと、子供は親に似た子供に育っていくのではないだろうか?

いま、子供の犯罪が続発しているが、どうみても親の影響が大きいと思う。
一昔前までは、近所のおじさんやおばさん、そしてお兄さんお姉さんたちが子供たちを見守ってくれていたので、子供を放置しておいても良かったが、いまはまったく変わってしまったので、夫婦が大人の意識で自己責任で育てるしかないのだ。

子供が悪くなるのは誰のせいでもなく、親のせいである。

フューチャリスト宣言という本

2007年05月19日 | Weblog
今日、本屋で探索していたら、「フューチャーリスト宣言」:梅田望夫・茂木健一郎著 という本を見つけた。
読んでいたら、自分が書いたブログに、考え違いしている内容のものがあって実に恥ずかしかった。

それは昨日書いたブログの中に「ブログをネガティブにみていた」内容のものがあって、大いに反省したしだいである。
この本は、今読んでいるところであるが、脳の神経細胞のネットワークとウェブのネットワークとが極めて似ているというのは、実に興味ある話だ。

梅田望夫さんは「ウエブ進化論」という本を出しているので、早速読んでみたいと思っている。