今の時期は「喪中の賀状欠礼」の葉書がよく来ます。
知人で急死された方がいて、実に残念に思うとともに、自分も死の存在を現実のものとして受け止めなければいけない年齢になってきているのを強く感じました。
人間60歳を過ぎたら「死に向かって生きているのだ」と言うことを意識しておかなければいけないようです。
この歳になったら、誰もが自分のスタンスをもって生きて居るはずです。
論語は「40にしてまよわず」と言って40歳を不惑の歳とみているくらいですから。
そしてこの歳になれば、人様にへりくだって生きてゆく必要もないので、自分を信じて胸を張って生きて行くべきではないでしょうか?
最近、よく考えるのですが「死はいつやってきてもいいぞ」という覚悟を決め居直る事が、胸を張って生きてゆくことに通じるのではないかと思うのです。
いずれにしても永久には生きられないのだから、早いうちから覚悟を決めて生きた方がいいと思っています。
そう思うと不思議と世の中の真実が見えてきたり、生きると言う尊さがわかってきたりして実に広い視野で人生を考えるようになるのではないかと思うのです。
「お前は今頃そんなことに気がついたのか」と笑われるかもしれませんが、自分の気持ちの中では、そういう考えが次第に大きくなってきつつあるのです。
知人で急死された方がいて、実に残念に思うとともに、自分も死の存在を現実のものとして受け止めなければいけない年齢になってきているのを強く感じました。
人間60歳を過ぎたら「死に向かって生きているのだ」と言うことを意識しておかなければいけないようです。
この歳になったら、誰もが自分のスタンスをもって生きて居るはずです。
論語は「40にしてまよわず」と言って40歳を不惑の歳とみているくらいですから。
そしてこの歳になれば、人様にへりくだって生きてゆく必要もないので、自分を信じて胸を張って生きて行くべきではないでしょうか?
最近、よく考えるのですが「死はいつやってきてもいいぞ」という覚悟を決め居直る事が、胸を張って生きてゆくことに通じるのではないかと思うのです。
いずれにしても永久には生きられないのだから、早いうちから覚悟を決めて生きた方がいいと思っています。
そう思うと不思議と世の中の真実が見えてきたり、生きると言う尊さがわかってきたりして実に広い視野で人生を考えるようになるのではないかと思うのです。
「お前は今頃そんなことに気がついたのか」と笑われるかもしれませんが、自分の気持ちの中では、そういう考えが次第に大きくなってきつつあるのです。