猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

人生夢の如し 織田信長が愛した舞

2006年12月31日 | Weblog
大晦日のなると、どういう訳か、織田信長が好んで舞ったという、幸若舞「敦盛」を思い出す。

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり、 一度生を得て,滅せぬ者のあるべきか 」 

こうして毎年、大晦日を迎えるのであるが、そのたびに思うのは、「人の一生は、ほんの瞬間の出来事であり、なんと’はかない’ものだろうか」ということである。
これまでの自分を振り返ってみると、今まで歩んできたことが夢のような感じがする。


(チョット待てよ、いままでずっと夢のなかで生きてきのだから、これからの人生も思い切って夢のなかだと思って、思う存分生きていくのもいいではないか)

そんな独り言をいいながら、今年も過ぎてゆくのだ。

金子兜太さんの課外授業

2006年12月30日 | Weblog
NHKの番組に、「課外授業」というのがある。
今日は俳人の金子兜太さんが、俳句の授業をやっていた。

金子さんは「自分の周りにあるものは、すべて命を持っている生きものだと思わないと、良い句は出来ない。だからそれらと抱き合って伝わってくるものを大切にして欲しい」というようなことを話していた。

振り返って、芭蕉の句を読んでみると「行く春や鳥啼き魚の目は泪(なみだ)」や「閑(しず)かさや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」など、芭蕉はすべてのものに命を感じて作っているからこそ、読む側も共感し感動するのだと思った。

そこで下手な句を一句。

蝋梅の香り残して年の暮れ

ドキドキ感

2006年12月29日 | Weblog
子供の頃、いつも何かに夢中になっていて、ドキドキわくわくしていたものである。

それは大人になっても、変わってきているとは思わない。
ブログで自分の考えをまとめて発信したり、絵を描いて観ていただいたりしているが、それらはドキドキわくわく出来るような場面があるからだ。

要は人様の前に自分をさらけ出して、反応を楽しんでいるのだから、ドキドキ感があるはずだ。
考えてみると、何も文や絵などの作品で自分をさらけ出さなくても、日頃の人間関係で、ありのままの自分を見せているのだから、人が自分に対してどういう反応を示しているのかを知ることが、一番ドキドキ感があるはずである。

いつもドキドキ感を持つのは、若さの秘訣だといわれているが、それは本当だと思う。
大いに、人と接して人間関係を広げて置くべきではないだろうか?

年老いても、少年のようだといわれれば最高である。

癒される場所 名古屋・柳橋のコパン

2006年12月29日 | Weblog
今日は話の雰囲気をがらりと変えて、自分が体験した「癒しの店」を紹介します。

時々、レストランや旅館で、ものすごく居心地が良いと感じるときがります。
レストランの場合は、空間演出や料理が良いこと、そして店の人たちの雰囲気が良いことが条件ではないでしょうか?
自分の場合は、どちらかというと、家庭的な感じのくつろげる雰囲気が好きなので、そういう店を見つけたときは、得したような感じになってしまいます。

昨日行った店は、名古屋・柳橋のから少し入ったところに「コパン」という店です。
この店のキャッチフレーズは、「食を楽しみたい大人のために 料理とワインの店コパン」とうたっています。
店の外観は昭和初期のレストランを思わせるような造りで、クルマの通りが少ない路地裏のようなところにあります。
入り口には、オーナーのお母さんが彫ったという、木彫のレトロな感じのする粋な看板が取り付けられていました。
入り口を入ると、左側が細長い部屋で、ロッジを感じさせるカウンター席になっています。
そして、細長い急勾配の階段をあがると、古民家風の天井、そしてレトロ調の家具を置いた清楚な大部屋になっています。
料理はフランス料理で家庭の味を思わせるような、なにかほっとする味でした。
特に印象深かったのは、オーガニックワインです。
実に爽やかで美味しくて、何杯でも飲めてしまいます。
そして、明るく爽やかなお嬢さんが料理の説明をしながら、雰囲気を和らいでくれています。

久しぶりで、店の雰囲気雰囲気そして美味しい料理を楽しませてくれる店でした。

電話は(052)571-3751です。

おおいに自画自賛をしよう

2006年12月28日 | Weblog
先日なくなった青島幸男さんが「自画自賛」するのは、大いに結構であるといっていた。
これには、まったく同感である。

自画自賛をするのは、はあくまでも自分の心の中でのことであり、決して人様に対してするものではない。

誰もが、心の底では無意識的に「自画自賛」していると思うのだが、そしてそういう気持ちになるのは、恥ずかしいことだと思っているのである。

昔から、優れた芸術家や経営者たちは、「自画自賛」する傾向が特に強い。
それどころか人に対して、おおぴらに「自画自賛」するのである。
つまり、「自画自賛」することで、自分を褒めテンションを挙げているのである。

だいたい、「自分には素晴らしい能力があるのだ」と思わなかったら、「いい仕事」は出来ないものである。
日本人は謙虚すぎていけない、多くの人は「自画自賛」など図々しいことは出来ないと思っているが、とんでもない間違いである。

人にはない、素晴らしい才能を持った自分を、愛おしいと思わなかったら「いい仕事」は出来ないはずだ。

人生は歳を取るほど面白い

2006年12月27日 | Weblog
携帯電話の画面表示をみると、日にちと時間がデジタルで表示されている。
特に時間は、秒刻みの表示であるため、過ぎ行く時間の早さに驚いている。

デジタルで表示される「秒」の刻みをみていると、当たり前のことだが、「時間は休むことなく進んでいるのだ、うかうかするとあっという間に歳を取ってしまうぞ」ということを改めて思うのである。
そうかといって、不思議と「追い詰められている」という気持ちにはならないのである。

自分が若い頃には「歳を取ると、自分の正体が見えてきて、だんだん生きてゆくのがつまらなくなってくるのではないだろうか」などと驕った事を考えていたものだ。
しかし、人生の最終章にきてみると、「生きるということは、こんなに素晴らしものだったのか」ということが、次第にわかってくるのである。
それは、若い頃とは違った世界が見えてくるためではないだろうか?

自分の場合、歳を取ってくるとどんどん面白くなってきているように感じている。
世の中の通説に反して、むしろ若い頃より夢中になって楽しんで生きているような気がする。


画家 ルソーの生き方に惹かれて

2006年12月26日 | Weblog
絵を鑑賞する場合、画家の生き様を知っておくと、一層興味が持てると思う。

自分はアンリ・ルソー(1844~1910)の生き方に惹かれている。
働きながら、中年から絵を描き始めたこととか、人がどういおうが自分の描きかたで独自の絵を描いてきたことや、そして厳しい現実の中でも夢とか幻想を追い続けて生きてきたことなどに惹かれている。

彼はパリの税関の職員を勤めながら、余暇に絵を描いていた。
本格的に絵を描き始めたのは中年になってからだ。
しかも、特別に絵を勉強したわけでもなく、自分のイメージに拘って自分なりに独自の描きかたで制作し続けてきた。

作品をみると、実に不思議な雰囲気のする絵ばかりである。
代表作の「眠るジプシー女」や「蛇使いの女」「風景の中の自画像」などをみると実にミステリックな絵である。
彼の頭の中には常に夢幻があり、現実と夢幻の区分がなかったようだ。

当時、誰もが出品できる、無審査の公募展であるアンデバンダン展に出し続けていたが、彼の絵は「子供が描くような絵で、稚拙きわまる」と笑いものにされ「この画家は脳病院に入院中なのか?」とまでいわれた。当然絵は売れず貧困な生活が続いた。

しかし、彼は純粋にただひたすらに描き続けた。
性格が純粋・朴訥がゆえに、からかわれ騙され続けてきた一生だったようだ。
ただ、ピカソとアポリネールだけが彼の絵を理解して、買っていたということである。

そんな、不遇な画家はアル中のため施療院で66歳の生命を閉じた。
葬儀には、僅か7人が参列しただけだった。

現在、愛知県美術館で「ルソー展」を開催している。
会期は12月20日~2月12日である。

アンリ・ルソーの一生はインターネットで見ることが出来る。
「NACK」という浪速高美術部OBサイトのホームページの中の「BIOGRAPH画家年表」のアンリ・ルソーを見てほしい。
このブログも「NACK」を参考にした。

人生の最終章は「こだわって」生きよう

2006年12月25日 | Weblog
60歳代になってくると、誰もがあと20年くらいかけて、人生の最終章にやるべきことを、淡々と成し遂げてゆきたいと思っているのではないだろうか?

「何をやるかは」人それぞれである。

人は長い人生で培ってきた「想い」というものがあって、人生の最終章になってくると、自ずとその「想い」にこだわりを持つものである。

好きなことを、徹底してやり遂げるのもいいだろう。
自分の信念を貫き通して、「人に媚びないで生きる」のもいいだろう。

平たい言葉で言えば、「こだわって生きる」ということかもしれない。

人は歳を取ると頑固になってくるというが、それは拘って生きてゆくからである。
そういう見方をすると、小泉・元首相などはその典型かもしれない。


子供の絵の素晴らしさ、キラキラっとアート展

2006年12月24日 | Weblog
「キラキラっとアート展」というのを知っていますか?
自分も今日、名古屋の大名古屋ビルジングにいって初めて知りました。

障害を持った児童の絵画展です。

子供の純粋さとは、こんなにも素晴らしものかと改めて感動しました。
上手く描こうとか、人の評価などは気にしないで、純粋な心がダイレクトに出ているのです。

「自分も原点に戻って描いてみよう」と強く思いました。

インターネットで「キラキラっとアート展」か「こどものe.com」で検索すると、
みることが出来ます。

来年の1月9日まで大名古屋ビルジングの愛知県赤十字血液センターで開催しているので、是非見てもらいたいと思います。

百聞は一見にしかず。

脳の若返り

2006年12月23日 | Weblog
子供の時代の「いい思い出」を話し合うと、脳細胞が活発化するようである。

今日は、生まれてから少年時代まで住んでいた静岡に行って、中学時代の友達と久しぶりに会って話し込んできた。
子供時代に同じ体験をしたもの同士の会話は、たちまち細胞が動き出して、若返ってしまうように感じた。

価値観が似ていて、気心の知れた仲間が集って会話すると、損得とか我欲とかがなくなっているので、素直な気持ちになっているためである。
思い出話をしていると、過去の記憶がどんどん湧き出てきて、点であった記憶が線で結びついてゆくような気がする。

これは、脳生理学でいわれている「シナプスの結合の強化」が脳の中で行われているのではないだろうか?
認知症の予防に「子供の頃の事を思い出させて話をさせる」事が行われているが、なんとなく符合するような感じだ。

今の現実に囚われていると、脳細胞は硬直化して退化してゆくが、子供時代の思い出話は、子供の頃の柔軟な細胞が活発化し再生するように思う。