猫 周公のコラム

スケッチとエッセイ

世間は広いようで狭い

2013年02月24日 | Weblog

今日、友人から「中山道の美濃太田宿でヒレンジャクが撮れる」という電話が入った。

カメラを初めて間もないのだが、鳥を撮るというのを一度も経験したことがなかった。

行ってみると、、大砲のような大きな望遠レンズを持った方が、いっぱいいた。

先ずは鳥を撮影する時のルールを教えてもらい、とにかく撮り始めたのだが、

自分が持っている200ミリのカメラではどうしようもなかった。

そうこうしていたら、偶然にもサライのブロガーである「キーチャン」ご夫妻に出会った。

これも本当に不思議な出来事だった。キーチャンもご主人も「まさか美濃太田宿で出会うとは!」

と思っていたのではないだろうか?

自分はたまたま、友人からの誘いで鳥の撮影に来たのだが、

「キーチャン夫妻」と偶然の出会いがあるとは夢にも思わなかった。

世間は広いようで、狭いものだと思った。


温泉に入りすぎて風邪をひく

2013年02月21日 | Weblog

久し振りで友人たちと熱海で会った。

温泉に入りすぎたせいか、すっかり風邪をひいてしまった。

ブログの更新も出来ない日が続いた。

友人たちは、今でもそれぞれの分野で活躍している者ばかりだ。

ある者は小説を書き続け、地方の文学界を今でも引っ張っている。

もう一人は労働運動の先頭に立って、多くの労働者の悩みに耳を傾けている。

そして、イラストレーターの彼は、いままではあまりにも多忙だったが、

今では真に自分が描きたかった絵を描いているという具合だ。

総じて皆まじめに時代と闘い続けてきた者たちだ。

ゆっくり温泉に浸かって、今の生活や考え方を思う存分語ってきた。

うち一人は会合があるというので、3人でMOR美術館に行ってきた。

江戸時代の美術品を見て、今でいう工芸デザインを堪能してきた。

子どもの頃の美を求めてきた気持は、いまだに変わらず続いているのだな!と思った。 


メナード美術館のコレクション展

2013年02月13日 | Weblog

 

高山辰夫「白い襟のある」

安井曽太郎「腰かける裸女」

香月泰男「椿」

メナード美術館は、家から近いのでよく行く。

今は開館25周年記念の「コレクション名作展Ⅰ・現代日本」をやっていた。

3/1~4/14は「コレクション名作展Ⅱ・古美術と版画」を見ることが出来る。

尾形光琳の絵や写楽の版画などを展示するとのことだ。

平日でも玄関の駐車場は一杯で、50人くらいの方々が来ていた。

現代日本の絵画では日本画が印象に残った。

自分としては高山辰雄の「白い襟のある」が雰囲気があって良かったと思う。

シンプルな女性像だったが、女性の内面が描かれていた。

旅行での写真を見ながら、ああいう女性が描けないだろうかと思った。

同時に開催中の「ふたりで歩んだ50年・島田章三と島田鮎子展」を見てきた。

お二人とも若いころの絵が魅力的だった。章三の「カフェにて」、鮎子の「青いアトリエ」が良い。

帰りにミュージアムショップに寄ったら、過去の図録が「志」程度で頂けた。

「画家たちの女性像」をいただき見ていたら、安井曽太郎の「腰かける裸女」が載っていた。

そして、香月泰男の「椿」があり、コレクション展で原画が展示してあった。

さすがいい絵を描くものだと思った。メナードの蒐集は大したものだとあらためて感心した。


景気は良くなる!(日本人の風習から見た)

2013年02月11日 | Weblog

節分というので、昨日は我が家のお寺さんの豆まきに行ってきた。

豆まきの前に,今年厄年になる方の「お祓い」があった。

お祓いは厄年の方が前に出てきて6~7人くらいが並ぶのだが、

皆が頭をたれて神妙にしている風景がとても良かった。

自分も厄年の時には、お祓いをしたことがあった。

日本に残る「豆まき」だとか「厄祓い」などの風習は、

文化が変わっても,昔から受け継がれていると思うと、

あらためて昔からの風習はいいものだと思った。

帰りの車からの風景は、熱田神宮にはお参りする人たちでいっぱいだったし、

自動車販売会社には沢山の人々が商談に来ていた(ついこの間まではガラガラだった)。

「厄を祓って良くなるぞ!」とか「福は内に居るのだ!」という、

日本人の風習が、バイタリティーを生みだしているように感じた。

こういう風習が、日本を動かしているのではないだろうか?


「サライ」という雑誌

2013年02月09日 | Weblog

サライ25年3月号

木村荘八の「新宿駅」

好きな絵だ。

鴨長明の「方丈記」

無常という日本特有の考え方が良い。

 

「サライ」3月号は面白かった。

先ずは好きな画家の一人「木村荘八」の絵が出ていた。

そして鴨長明の「方丈記」と江戸の「浮世絵」の特集号であった。

「サライ」の編集方針は、憎いくらいに我々の気持ちを先取りしている。

書評でもそうだ、書評を読んで「是非とも読みたくなった」という本はたくさんある。

平成25年3月号の「日本の素朴絵」もその一つだ。

また、同じように商品情報もそうだ。「かって、スピーカーを自作したというサライ世代も多いことだろう」

で始まる、「パソコン用スピーカー」の記事が魅力的だ。これも欲しくなったものの一つだ。

4月号は「初めてのオペラ鑑賞ガイド」という特集だ、

これも、我々が今オペラに惹かれているのがなぜわかるのだろうか?

「サライ」は、日本の中高年世代の気持ちそのものだと思う。

こういう雑誌は長生きして、いつまでも我々の気持ちを代弁してほしい。


家系を知ることの大切さ

2013年02月07日 | Weblog

昨日は歌舞伎役者や経営者の家系について書いたが、

一般の家庭でも、「家系を知る」ことは先祖の苦労を知る意味からも重要だと思う。、

今の自分は、先祖がしっかりやって来てくれたことによって、

成り立っていることをことを知ることになる。

同時にそれが先祖を敬うことになるのではないかと思う。

姉の子どもが家系を探ることに興味があって、

よく自分の父親や母親の歴史を聞いてくるが、大変いいことだと思う。

親父はとても「まめな人」で、自分で調べたものを一冊の記録を残していってくれた。

このように、気づいた者が調べ記録して行くことによって、家系が明らかになる。

家系が明らかになることは、自分のルーツを知ることでもあり、

先祖の努力を知ることでもあるので、大いに奨励したい。

今の自分の存在は、決して一人の力で成り立っていないことがわかる。

これも市川団十郎の逝去によって、初めて理解できたことである。

そういう意味で、12代団十郎はいろいろな遺産を残してくれたように感じる。


家を継ぐということ 市川団十郎の逝去

2013年02月06日 | Weblog

歌舞伎の世界では家を継いで行かねばならない。

亡くなった市川団十郎は12代目だった。

会社を経営している家を継ぐ、ということも同じだ。

いずれにしても、こういう運命からは逃れるわけにはいかない。

役者や経営者になるということが、決まっているのだから。

団十郎の息子の海老蔵が、暴行事件に会ったとき、

団十郎のいかにも無念そうだった顔が忘れられない。

そういう試練を乗り越えたものが、一流の役者になって行くのであろう。

「家を継ぐ」ということは、こうした幾つもの試練を乗り越えていった者が

初めて受け継ぐことが出来るのではないだろうか?

団十郎は言い後継ぎをもったものだと思う。

 


団十郎の姿を水彩画で描く

2013年02月05日 | Weblog

「暫」を演じる団十郎

市川団十郎」・市川海老蔵には公式ホームページがある。

このホームページの「成田屋早わかり」に団十郎が演じる18の演目がある。

この内容について、解説があり、初演年月日・初演者・初演劇場がわかる。

団十郎の思い出として、成田屋のホームページを見ながら、水彩画で描いてみた。

もうこういう場面は、もう見ることが出来ないと思うと、大変残念でたまらない。

団十郎の追悼のためにも、是非このホームページは見ていただきたい。

ホームページのアドレスは次の通り。

http://www.naritaya.jp/


父親 市川団十郎の死

2013年02月04日 | Weblog

市川団十郎が亡くなったというショッキングなニュースが入ってきた。

歌舞伎だけでなく人間としても、本当に惜しい人を亡くしたと思う。

このブログでも市川団十郎の闘病中の記録(BS TBS)が放送されたとき取り上げたことがある。

ブログは2010年4月24日に「市川団十郎の白血病との戦い」というテーマだ。

この中で団十郎は病気をして「今までと違った世界」を見つけたことや、

「多くの人たちに支えられて生きてきた」こと、「歌舞伎で返ししたい」などと語っていた。

団十郎の闘病記はすざましいものがあり、記録映画を撮らせて、放送させたこと自体が「凄い人だ」と思った。

父親としての団十郎も見事な人だった。息子の海老蔵が事件を起こしたときの団十郎の心中は如何なものであったであろう。

その海老蔵が成長し、一段大きな役者になって父亡き後を見事に対応している。

「親の姿をみて子どもは育つ」とはよく言ったものだ。

団十郎は亡くなっても、それを継いだ子どもが立派に育っている。

安らかにお休みになって頂きたい。


超短編小説

2013年02月03日 | Weblog

今日の夜7時のNHKニュースで知ったのだが、

「超短編小説に人気がある」とのことだ。

若者文化となっている「スマートフォン」を持っている者に好まれているという。

例えば、バスを待つ数分で読めるような超短編小説だ。

星新一のショート・ショートよりもっと短い小説が好まれている。

そこで、自分のコラムは「超短編コラム」に変化して行こうと思った。

但し、いままでのコラムは「起承転結」がどうも上手くない。

もう少し、勉強する必要がありそうだ。