☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

入院生活

2012年12月17日 | 病気・健康

入院日

主婦が家を空けるとなると、あれこれと気ぜわしい 

 「病院でゆっくりしましょう」 と、入院前日までパタパタ動き回っていた私

1ヶ月も前から入院日が決まっていて 痛みをがまんしていたわけでもなかったし

手術の不安を抱えていたわけでもなく ある意味ホッとしての入院だった

入院病棟は満床で 私は大きな窓の南向きの個室が与えられた 

 

 

同室の人に気兼ねが要らないのは 「ひとりを楽しむ」私としては誠に嬉しい限り♪

テレビもラジオも携帯も自由

三度のお食事が きちんと運ばれ お掃除の人もやってくる

なにより、優しく親切な先生や病棟スタッフの皆さんが いたれりつくせり 

あ~~ なんて しあわせ~~~

そんな気分に浸っていたのだが・・・ 

 

ハイ・それまでヨ 

翌日は・・・・

 

手術日

私は 午後の2例目の手術で 3時頃の予定となっていた

全身麻酔 1時間半~2時間で終わるとのこと

朝から 絶食 それは別にどうってことはない

手術室まで 点滴棒を持ちながら歩いて向かった さすがにドキドキしてきた

スタッフの皆さんが緊張させないように優しく気遣ってくれているのがわかった

手術台に上り 酸素マスクをつけて ・・・・・その後のことはわからない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼんやりと 頭上の照明が見えて 会話が聞こえてきた

「震度4・・・津波・・・・」

手術着の人たちがみえた

( そうだ・・・私は手術中だったんだ・・・地震があったのかな・・・)

先生に名前を呼ばれた

手術は無事に終わり その後地震があったけど大丈夫だったと

その後のことも 部屋に戻ってからのことなのか 断片的な記憶しかない

口や目を閉じたり開けたり してみて と言われたのは

一番心配していた 顔面神経のチェックだったようだ

腫瘍が神経と隣接していて時間がかかったが 地震はその直後のことだったらしい

3・11を思わせる 長い揺れが続いたらしいが私はまだ麻酔から醒めていなかった

執刀中だったら・・・と思うとゾッとする 

ともあれ無事に終わったものの その後は麻酔の後遺症か?ひどい吐き気と頭痛・胃痛が続いた

4時間後は水分も取れてトイレにも行くことが出来たが、とにかく気持ちが悪い 

こんなに辛い思いをするなんて もうたくさん 死んだ方がまし 手術なんて2度としたくない

あの時はそう思ったものだが・・・・ 喉元過ぎればなんとやら

 

術後

翌日からは お粥の食事も出たが ほとんど食べれなかったものの

術後2日目には 痛みも楽になり 3日目にはドレーン(管)が抜かれ 食欲も戻ってきた

経過は順調

売店に買い物に行き 本やテレビを楽しむ余裕もでてきた

夫が見舞いに来てくれるのだが タバコの匂いがついてきてどうにもイヤで

退院まで大丈夫だからと やんわりお断りした

気兼ねなしの三食昼寝付きの生活も 6日目頃には飽きてきて・・・

なにげにベッドサイドにかけておいた この紙袋の絵になんとも癒やされた

愛犬の写真は実物のほうが いいにきまっているし

子犬の写真や風景画は 病人には目の保養 

談話室からの朝の景色も美しかった

外は すっかり冬景色 

 

 お薬が効いているのか患部が痛むこともなく術後6日目には抜糸

おそるおそる やっと頭を洗うことができた

思っていたより 場所的にも傷跡は目立たなかった

耳の周りや 耳たぶの感覚がヘンで 自分の耳なのに

「でっかくなっちゃった~!」の あの耳が付いている感じは否めないものの

顔面神経や聞こえに支障が出たわけではないし良しとしよう 

摘出した腫瘍が 悪性かどうかは来週の外来日にわかるが

たぶん 大丈夫でしょうとのこと

テープは、それまでそのままに シャワーは OK

そして入院してから9日目 予定通りの退院の運びとなった 

 

 

 

退院

奇しくも その日は義妹の命日  私の入院中に一周忌が行われた

昨年のその日 同じく病院の個室で入院生活をしていた彼女は帰らぬ人となった

私は元気になって家に帰れる

命 時間 失ったものはもう二度と戻らない

今を 大切に

 生かされていることに感謝しつつ 家路についた