☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

三婆の旅(宴会編)

2009年05月22日 | 三婆通信
高速道の長旅の翌日と次の日も、弟は会社を休み三婆の接待とドライバーを付き合ってくれました。

母との面会を終えた三婆を連れて、私と弟は実家に向かいました。

父が亡くなった年、近くの場所に実家は移転新築中で昔の家は無くなっています。
世代交代も進み、兄の長男夫婦との2世帯住宅。
何年経っても、実家というものは親戚が集まる拠点ですから長男夫婦は色々と気苦労も多く、ましてや年老いた母の世話が続いていますから頭が上がりません。

車中、嫁と暮らしたことのない三婆には、くれぐれも「母が可哀想」だとか「長生きして欲しい」などの“母の話題”には触れず「苦労をかけている」と、ねぎらいの言葉だけにしてね!と、ご忠告申し上げました。

「そうだね!わかった!」と三婆 


実家に着くと、お昼は山にでも行って食べようと、たくさんの田舎料理を作って待ってくれていました。

あいにくと、その日は雨交じりの強風。

さっそく、その場でご馳走になることに。
”ぼたもち”やら“わらびたたき”など山菜料理もたくさん並び、おばさんたちは大喜び ♪ 

 夢中になって食べています。

若いお嫁さんも居て、3号叔母の娘さんから「お世話になります」と贈り物をたくさん戴いたとお礼をいっていました。
そうした次世代の実家との交流を嬉しく思いました。

近くに住む、姉夫婦も合流。

その夜はみんなで旅館に泊まり楽しく過ごそうと計画していました。
風は強いものの雨も止み、ドライブをかねて山経由でその夜のお宿 にかほ市の まるご旅館 に向かいました。

鳥海山と日本海が見える、温泉とお魚料理の美味しいお宿。

 総勢9名

宴会部長は弟  乾杯!!

美味しいお料理をいただきながら、最近の田舎の情勢やら昔話に花が咲き
「横浜のおじちゃんが居たら、どんなに喜んだだろうね~」と。

父方の兄弟で、ただひとり生存中で出席できなかった横浜の叔父夫婦も呼んであげればよかったけど、急に決まったお話で、そこまで気が回らなったことと、あちらこちらお声かけすると、まとまる話もまとまらなくなって頓挫してしまうことはよくあるし、今回は本当にごめんなさい。
これから、湯治で滞在中に来れたらいいなと思っています。

宴もたけなわ、別会場でのお食事を終えてお泊まりのお部屋で2次会です。

この旅館に決めたのは、年配者が多いので館内が広すぎず浴場も近く、みんなが広いお部屋に一緒に泊って枕を並べ、ゆっくり語り合いたかったからです。

こんな具合に 

昨年秋に結婚式で上京した時の 「お上りさん御一行様」 の 思い出話 に笑いこけたり楽しい一夜を過ごしました。

翌朝、解散し各自の車で帰途につきました。

私たちは、象潟の甘満寺や鳥海山の良く見える仁賀保高原へ。

 すばらしい眺めでした。

  ふるさとの山にむかいて いうことなし
        ふるさとの山は ありがたきかな 

          (3号がつぶやきました)


長距離運転と気配りの接待を終えた弟は
腰に湿布を貼り夕方新幹線で仙台にもどりました。

本当にお疲れさまでした。いろいろとありがとうございました。