しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

ぱわーあっぷ

2007年08月10日 15時18分24秒 | あいだ
 と言う事で、使い方であります。
 簡単に言うと、身体面では「火事場の莫迦力を出せるよ~」アイテムであり、精神面では中庸に保つツールであります。
 まあ、使い方の問題では在りますが、トランキライザーにも興奮剤にもなりますな。
     
    陰陽珠・五行珠・導気宝珠の使用法について       

・基本は、陰陽珠、五行珠によって、自分の基本の組み合わせを確認する。
・基本性(総性)がわかったら、用途別に、五行珠を使用して応用性(各性)を確認する。
・各性は、五行珠各色の組み合わせにより確認するが、2個使用時、3個使用時と、組み合わせは広がる。
・各性は、極端な言い方をすれば、その日の体調、何をするか、何に使うか、によって変化し、時間によっても変化する。
・各性は、確認時の、意識の変化に対応するので、使い分けが可能となる。
・占いではないので、未来予知等での使用は、効果は未確認である、が、推薦はしない。
・お守りとしての使用については、導気宝珠により可能。ただし、自分でチューニング(鍛錬・導気)する必要がある。
・結界展張には、五行珠を使用。ただし、並べ方の法則がある。
・この性は、気質・性格・体質等に対応し、故に分析が可能となっている。
・(考え方によって、ある程度の、予知は、可能であるが、その分析は専門家により行なわれるのが望ましいし、素人判断は危険であり望む所ではないし、責任回避したい。)
・各性の組み合わせは、2個が3個と増えるに従い、膨大なものとなる。為に、使用時毎にグラフや表、法則性を捕らえるリストを作成し、手助け(補助)としたい。
・全て「モノ」には波動があり、当然の事ながら、それぞれが接近接触するとき、お互いに干渉、無変化、増幅のいずれかの反応をする訳で、それを目に見える形で具体化させるのが陰陽珠・五行珠・導気宝珠である。従ってあくまでツールとしての使用が大原則となる。
・確認法として、オーリングテストを推奨する。(方法は別紙参照)
・個人で行なう場合の確認法は、屈曲法を推奨する。
・モノには、「合う、合わない」が在り、これは、好き嫌いとは別物である。陰陽珠・五行珠・導気宝珠により「合う」性、自分の性を確認する事が出来る。
・あくまでも自己完結の判別法であり、解析はしない。

     自己分析のヒント及び配当モデル
木:もく・き  星;歳星・卦;震・人;仁・臓;肝・腑;胆・主;筋・竅;眼
 情;怒・味;酸・方;東・色;青・気;魂・時;春・神;青龍・数;八・音;角

火:か・ひ   星;熒惑・卦;離・人;礼・臓;心・腑;小腸・主;血・竅;舌
 情;喜・味;苦・方;南・色;赤・気;神・時;夏・神;朱雀・数;七・音;徴

土:ど・つち  星;鎮星・卦;艮・人;信・臓;脾・腑;胃・主;肌肉・竅;口
 情;思・味;甘・方;中・色;黄・気;意・時;季・神;勾騰・数;十・音;宮

金:ごん・きん 星;太白・卦;兌・人;義・臓;肺・腑;大腸・主;皮・竅;鼻
 情;悲・味;辛・方;西・色;白・気;魄・時;秋・神;白虎・数;九・音;商

水:すい・みず 星;辰星・卦;坎・人;智・臓;腎・腑;膀胱・主;骨・竅;耳
 情;驚・味;鹹・方;北・色;黒・気;精・時;冬・神;玄武・数;一六・音;羽

心と身体

2007年08月04日 15時32分39秒 | あいだ
 本来切り離せるものでは無いので在るが。

 それにしては、お互いに引き摺られ過ぎているような気がしてならない。
 心も身体も、弱いものでは在るが、ある面では驚くほど強力であったりする。
 要はバランスの問題でもあるのであるが、引き摺られるのと補い合うのは別である。

 で、意識から身体を開放するためのヒントとしてのツール・アイテムである。
 例の珠である。
 本来であるならば、前回の製作法以前に説明しておくべきものであるが、重要性は変わらないので、以下、解説である。 

    導気法における宝珠の位置付けについて     
 本来であるならば、導気法そのもの、また、気についての説明から入るべきでは在るが、別の機会に譲る事とし、具体的な、効果、効能、製作法、使用法、等について述べる。

 まず、七色の珠、陰陽珠、五行珠について。
・人を、全ての物事の理の中に現された一つの事象と捉え、二つの原理と五つの原因に還元して分析、分類、理解するための、ツール、アイテムとして存在する。
・あくまでも、分析ツールである為、具体的効果は(身体的、精神的含め)、導気宝珠と比べた場合、その効果、効能は劣る。
・陰陽は、それぞれ金と銀に対応し、木火土金水の五行は、青赤黄白黒の五色に対応する。(一応、色彩にて色分けすることにより、一般人の理解に供している。)
・陰陽は二極であるが、五行は、正確には陰の陰、陰の陽、中庸、陽の陰、陽の陽に別れそれに陰陰、陽陽を組み合わせることにより分類する。(血液型における分類法と同様に考えてもらうと理解しやすい。)
・単純に、十種類に分類し、それぞれに本性があり、それが自分を表し、理解する上での情報のひとつとなる。
・組み合わせは、基本的にひとつである、が、年月日時、其の時の体調、存在場所等により、変化がある。しかし、その変化を、所謂占いや予想予言のように、分析する為には、熟練が必要である。
・分析法としては、Oリングテストが簡単で、効果も確認されているが、いかんせん自分ひとりで行なう事は困難であり、分析にもある程度の能力を必要とする為、前屈法等の自己完結型運動検査法が適していると考えられる。
・製作法としては、基本的に、色がついていれば、形、材質、製作法等には拘らない。が、それなりの効果を期待するのであれば、それぞれについて製造法がある。
・具体的製造法については、導気宝珠と重なる部分が多いため、別紙にて説明す。

導気宝珠について
・効果として、身体的には、気の流れを整えることにより、各種症状の緩和等があるが、医療器具ではないので、おおっぴらには宣伝できないところがある。以下に実際の例を挙げる。
*不眠時の熟睡及び、睡眠導入。
*怪我疾病等における、疼痛の緩和及び治癒期間の短縮。
*花粉症等のアレルギー疾患の緩和。
*精神的不安定の解消。
・その他、気力の充実、集中力の増大、体力の強化、等。
・実際、あまり言いたくないが、護身にも使える。これは、お守り的使用法もあるということだが、逆に言うと、呪を懸けるのにも使えて、効果絶大なので・・・・
・使用法としては、一般的にはいつも身に着けるか、持ち歩く。または、毎日といわず、常に自分の気を込める、溜められるようにしておくのがベスト。だと思う。
・スポーツ選手等がチタンのやつとか、変なブレスレットみたいのを着けているがあれよりは効くのではなかろうかと、まあ、あんな様なものだと思ってくれればいいかなと。

ちょっと過激な休日

2007年07月24日 16時42分20秒 | あいだ
 自分の場合、基本的に、休日は暦通りである。

 と言う事で、日曜日である。
 先週は、台風の中、荒行であった。

 今週は、訳ありで外出を余儀なくされ、どうせなら地元のポイントを押さえよう!と言う事で廻りました。

 先ずは基本の観音様。(儂の守護が観音様なので。)
 富谷観音である。
 ちょいとした山の上にある。
 当然、参道は石段である。・・・が、車でくねくね昼尚暗い鬱蒼と苔むした舗装はされているがすれ違い困難の急な坂道を上がる。
 結界の内に入ると空気の違いが分かる。涼しいのだ。
 車を降り、脇参道を歩いていくと、裏道を正装した老住職が登っていく。
 儂達は山門から入山。此処は前が二王門で裏が風雷神門になっている。
 本堂の他に三重の塔、百観音堂があり、珍しい涅槃像がある。
 法事か何かが在るようで、礼服の人達と子供らが上がってきたが、其のうちの最年長と思われるご婦人に訊ねられてしまった。
 「あの~、法事は本堂の方で待っていれば宜しいのでしょうか?」
 「はい、先ほど御住職が内陣でご準備なすって居られましたので、中にお上がりいただいて、お待ちくださって宜しいと思います。」
 適当に答えたが、先ほどの住職の正装はこの為であったのかと思いながら、己の服装を鑑みるに、黒のパンツに黒のポロシャツ黒のベストであった。
 妙に御山に馴染み過ぎで、勘違いされるのも当然と言えば当然。
 因みに、ハットも手拭も被っていなかった。

 降りるときに、新しい道が出来ているのを喧しいバイク連中のお陰で気付き、次のポイント、出雲大社へ。
 此処も登りの階段である。が、新しいせいなのか結界は無い。(聖地と言うには・・・)ので、汗を掻き掻きお参りである。
 二拝四拍二礼である。流石出雲!「し」である。
 此方では、若い新郎新婦が結婚式の後か前かの記念撮影をしていた。

 腹ごしらえとお神酒の補給をして次の観音様へ。
 雨引観音である。此処も石段である。
 本殿への石段を上がっているときにクツの音が・・・お線香とお灯明をあげると、丁度、勤行が始まった。
 あまりのタイミングに、観音経と般若心経を一緒に挙げてしまった。
 此処は多宝塔と放し飼いの孔雀が居る。
 延命水でのどを潤し、観音霊場勤行集を購入し薬師堂をお参りして下山。

 此の辺は大和という。で、次は、大国魂神社である。
 入り口が分からず周辺をぐるぐる廻り。やっと辿り着けば・・・聖地の結界は失われて久しい様子。邪魔ではなく無駄のようであった。

 次の真壁の伝正寺も、重機が入り工事中。

 筑波山の麓を廻りこむように薬王院へ。
 此処でも崩れそうな石段を登る。山門には白龍が見下ろし、瑠璃堂、三重塔、池の中に弁財天下がって阿弥陀堂と取り敢えずの結界は保たれている。自然が守られている聖地といった雰囲気である。

 カーナビがフラフラ酔っ払う山道を降り最終ポイントの熊野神社へ。
 既に儂は膝出しの雪駄履きの格好に成っていたので、お参りは遠慮して、最後の打ち上げの蕎麦屋に気持ちは飛んでいた。


 石段をトータルすると、可也の段数になるであろうし、山道の上り下りも可也の運動になった。ブートキャンプも凄そうだが負けず劣らずの過激さであった。
 車での移動中は霧雨が降っているのに、降りて歩き出すと晴れてくる。という不思議な天気でもあった。
 その分暑さはひとしおで、途中生ビール2杯、ハンバーグにケーキ、打ち上げでレモンサワー2杯、唐揚げにフライに奴に揚げナス、蕎麦の五合盛り。
 食事の方も過激であったとは、加美さんの弁。

        今日の箴言
<体力気力が充実していれば、荒行苦行もすんなりこなせる。
 そうなれば唯の修行であり、荒くも苦しくもなくなる。>
 

狭間

2007年07月18日 11時06分59秒 | あいだ
 あっちと、こっちの、あいだである。

 先日も、可也堪能した。

 寝ている状態を「あっち」とするならば、起きてはいるが半分寝ている様な状態が、「あいだ」
 全てを破壊し尽くす様な台風の状態が「あっち」ならば、今にも巻き込まれそうな状態が、「あいだ」と言うことも出来そうである。

 と言う訳で、これからも「あいだ」のイベントが、目白押しである。

 今月末が大祓え・夏越の祓えである。
 是は、自分にとってのあいだのお祭りである。
 是以後は、開放された時が続く。のである。けじめの行事となる。

 あけてお盆の月。
 5日には、谷中の全生庵で、落語協会感謝祭。円朝忌である。
 10時からであるが、其の時間に行こうとすると7時には家を出ねばならん。
 雨天決行であるので、お昼前に着く心算でゆっくりとお出かけである。
 現地で出没している筈のお仲間と、馬生師匠のなんでも相談を目当てに、飲み食い三昧の予定である。

 12日は、屋形船で納涼、ハゼ釣り、大宴会!
 此処では、飲み食い三昧に、歌って釣ってサマーディーである。
 此方は参加者募集中である。その気のある人は尚休まで参加表明をお願いします。此処のコメントでもメールでも口頭でもOKであります。

 其の後にお盆。

 次いで9月には、
 9日の重陽の節句には、28日に還暦を迎える馬生師匠の祝う会が、宇都宮で開かれる。

 還暦と言えば、座長もである。座長の誕生日は8月であるが、どこかで顔を出さないと・・・、暫く不義理が続いている。
 と言う事で、川崎のチッタの公演辺りに行く心算である。
 ご一緒しますか?
 生座長とお話出来ますよ。

メットにシュ

2007年07月13日 15時38分39秒 | あいだ
 ヘルメットを新調しました。
 流石に現役当時のメットでは辛くなってきたので。

 で、知ってる仲間は、皆が皆

    「あれ!お経は描かないの?」

 と言ってきた。

 そう!是までのメットには、般若心経が、描かれていた。
 其れでレースに出ていたのだから、目立つ事この上なかった。
 知らない奴も、儂の頭を見て「お経のヘルメットの人ですか?」と、声を掛けて来る始末。

 しかし!
 今回は、シュである。スプレーで !

 ご存知「五行宝珠」の仕掛けを懸けた。
 呪である。
 思っていたより、効果がある。
 在りすぎてハイになりそうである。
 余裕のライディングである。

 尤も、「水気」が足りないものか、雨が・・・。。

 
 話変わって、台風である。
 しかし!仕事は休んでも、プレゼンツは決行である。

 此処でも、普段の行いがモノを言いそうである。
 試しである。
 何処までパワーアップしたものか。
 確認である。
 行くぞ!!

散策コースの下見

2007年02月20日 17時12分03秒 | あいだ
 行って来ました。

 思っていたほど、怪しい所も無く、怖い所も在りませんでした。

 小雨がパラついたので、車で廻りましたが、さほど時間は掛かりませんでした。
 思ったよりも近くに集中している感じで、歩いてもたいした時間は掛からないと思います。(解説のほうが長いかも)

 ネタバラシは避けますが、危険回避の意味で、注意ポイントが・・・。

 自分も、息苦しくなった場所があり、また、気の流れが尋常ではない場所も。
 そして、所謂、心霊スポットが隣接している場所もあり無口になります。

 相対的には、先般の北斗踏み同様、「パワーアップ」と「浄化」の作用がありそうです。

 と言う事で、本番は3月25日の日曜日に決定!
 出発は、11時位にしたいと思います。よって、予備知識を仕込みたい方は、歴史観のオープンが9時からなので宜しくお願いします。
 会費は有りませんが、お弁当、お神酒等は、各自、ご用意お願いします。
 まあ、近所にコンビニがありますが、ルート上には、自販機程度しかありませんので。

 裏情報:座長にも連絡する予定です。
 で、興味を持って、スケジュールがあって、其の上でしつこくお願いした場合。
 ひょっとするとスペシャルゲストの登場も、あるかも知れません。
 あてにはなりませんが。そうなったら良いなあと・・・。
 

あっちとこっち。狭間の見方感じ方。

2007年02月16日 17時21分24秒 | あいだ
ヒントと実際編

 土地なり、遺跡なり、場所なり、を診る場合に(見るではなく観るでもない)必要な情報というのは、当然存在する。
 是は、判断の材料としての、情報であり、精度を高めるために、必要となる。が、絶対条件ではなく、まあ、あれば良いかなぐらいに考えたほうが宜しかろう。
 先ずは、地図である。地形及び方位を診る上で重要な情報足りえる。が、現在の物では、日本地図、50万図あたりで十分である。本当に必要なのは、当時の(披検物の該当時)状態を把握できる年代の物である。又は、其れを推測出来得る物が必要となる。と言っても、無いものは何とかなる。その程度のものである。
 方位を見る磁石。是も無ければ何とでもなる。
 歴史認識の、各年代における情勢判断の情報としての、多方面の相対的な具体的知識。
 推察力、観察力、洞察力、想像力、理解力、分析力、考察力、感覚、直感、等の個人の才に係わる能力。
 
 要するに、能力、才能の問題である。

 具体的に、遺跡・史跡等を診る場合に、其の物の成立した、歴史背景、必然性を診るのである。
 お地蔵様であれば、其の時代背景により、建立の意味が違ってくるし、古墳であれば、築造年代はもとより、形態、形式、規模によっての違いが大きい。
 *古墳の場合、墳丘の方位よりも、埋葬施設の方位のほうが重要である。

 さて、問題は、現在すでに失われて久しい物を探索する場合である。
 古地図、絵図等による情報があったにしても、現在と重ね合わせて、位置なり場所なりを特定出来るにしても、其の存在を顕にする事が、良いかどうかは、別物である。其の権利があるかどうか。又、興味本位で暴くことに対する、義務があるのかどうか。この辺の判断見極めが、お素人衆(一般人)には難しいかと思はれる。
 従って、導師は必要であろう。

 ポイントには、(風水ではないが)生きている処と停滞している処がある。当然死んでいる処も。
 其れを嗅ぎ分ける鼻も重要にして必要である。
 山を考えて欲しい。同じ火山でも、休火山もあれば死火山もある。活火山もあるのである。
 其れを、どう生かすかである。

      <今日の箴言>
 無闇に寝た子を起こして怪我する必要は無いし、溢れる泉の恩恵を受けずに素通りするような事をするのも勿体無い。
 目には見えずとも、其処にある大いなる恵みを戴き、災いを避け、守護を受けてみるのも、一興。

北斗踏み

2007年01月04日 20時11分49秒 | あいだ
 無事に、行ってまいりました。

 お仕事や急用体調不良などで参加できなかった方々も、其の分踏んでまいりました。足にマメ四つこさえて。

 お日柄にも恵まれ、好い天気のなか、お神酒で燃料補給をしながら、踏んで参りました。皆様の応援の御蔭で御座います。

 小粋な小梅小学校も見てきました!

 鰻も美味しく頂きました。
 御同道の皆様、有り難う御座いました。

 是で、今年はパワーアップ確実であります。

北斗踏み詳細続き

2006年12月20日 17時09分12秒 | あいだ
 漸く著者校正が終わりました。ということで、続きです。

 堤防下の道に入った左側、緋毛氈に和傘のお休み処っぽいお店が、長命寺桜もちである。その先を左に降りれば長命寺であるが、此処は戻って、見番通りを行きましょう。通りに入って直ぐ右、幼稚園の脇を入って行くと

 長命寺(向島5-3)の本堂で、弁財天が祀られております。昔は弁才天でありましたが女神様であります。白蛇のお守りがあります。

 表門を出てお隣が

 弘福寺(向島5-3)であります。本堂の中に金色の布袋様が居られます。布袋様は実在のお坊様であります。
 山門を潜って直ぐの右手に、咳の爺婆様が居られます。風邪や咽喉の神様であります。此処では咳止め飴をどうぞ。

 見番通りを道なりに南下しながら、花街の風情を味わいながら暫く行くと右側

 三囲神社(向島2-5)であります。此処は本殿とは別に、大黒天と恵比寿様が祀られております。珍しい三つ鳥居があり、当然のようにお稲荷さんも在ります。

 神社をでて言問い通りを潜って墨田公園で左に行くと

 牛嶋神社(向島1-4)であります。
 此処で健康祈願をして、四股を踏んで、北斗踏みの出来上がりであります。

 皆様に幸多かれとお祈りいたします。

北斗踏み詳細

2006年12月15日 17時55分29秒 | あいだ
 解説である。
 当日参加出来ないが、後で行ってみようか、と言う方の為に、道順などを。

 堀切駅を出て運河を渡り、線路沿いの道を南に歩く。(途中、町工場の並びに酒屋、自販機あり。)
 松の内は、七福神廻りの幟が立っているので、其れに従い右の小道に。
 ちょいと行って右が、多門寺(墨田5-31)である。
 ・多聞天は毘沙門天の事。北方守護の神である。
 此処の茅葺の山門は、都内最古の筈である。(現存のね)

 山門を出て右折、(直ぐ左側に酒屋、自販機あり。)
 小道なりにくねくねと(途中、親子丼の旨い蕎麦屋あり。)墨提通りを越えて隅田川堤防下の道を南下。木母寺を過ぎて東白鬚公園の中程右側。
 源頼朝創建の隅田川神社(堤通り2-17)である。
 ・水神様である。狛犬ではなく石亀が居る。この亀、玄武は矢張り北方守護の四神の一つの聖獣である。

 更に公園を南下、アーチ型の白鬚橋の袂で、再び墨提通りを超えて右にちょいと行った左側。
 日本三大白鬚神社の一つ、白鬚神社である。
 ・一般的な七福神では寿老人であるが、此処は寿老神である。この福の神は寿星であり、一説には北極星の化身とも言われておる。

 神社の南側の小道を東に、(途中のコンビニでお酒を置いてある。)直ぐに向島百花園(東向島3-13)である。(三が日は無料で開放しているのだが)入園料を払って中に。茶店では、甘酒、お茶にお茶菓子の接待がある。春の七草の寄せ植えも見ものである。
 ・福禄寿も寿星であるが、一説には寿老人と同一であるとも言われている。
 因みに、此処の寿老人は松の内だけ、白鬚神社からの出開帳である。

 地蔵坂通りを西に地蔵堂の所を左折。直ぐに吉備団子の吉備子屋がある。
 其処で墨提通りを渡れば志満ん草餅があり、そのままアサヒビールの倉庫街の中程に、カフェ雲水(此処の胡麻豆腐は料亭時代からの逸品)である。
 プール、体育館、野球場を廻りこむと、言問団子である。

 続きはまた、後ほど。
 

うほほ

2006年12月12日 17時28分08秒 | あいだ
 正月版も制式間近であります。現時点で参加人員は十名を超えております。
 お店の予約は、まだ余裕を持たせてありますので。(大丈夫だとは思うが。)

 と言う事で、メインのチョイトした説明を。

 タイトルにも有るとおり、禹歩であります。
 北斗踏みは、北斗七星を地上に想定して行なう、一種の反閇であります。
 従って、星は(補星を入れて)八つ。北辰を入れて九つ。
 場所的には、八箇所。末広がりでありますな。

 土地(所謂聖地)の気を抑えながら踏んで行く事によって、言祝ぎと気の吸収を目指しパワーアップする訳です。

 まあ、あれですが、是は言祝ぎの呪術の一つでありますから。

 効果を、より具体的にするために、各地でアイテムを入手するのも良いでしょう。七福神は、御分体と宝船を頒布しております。又、スタンプもあります(台紙は東武線の駅で。)ので。

くらう、あたる、あてられる

2006年11月22日 17時07分54秒 | あいだ
 まあ、色々な症状を伴う状態を言う訳だが、要はあれである。

 一般の方には、馴染が無い使い方かもしれないが、「衝撃を喰らう」の喰らうである。
 「罰が当たる」の当たる、「瘴気に当てられる」の当てられるである。

 能動的なところでは「打つ」受動的に「打たれる」などの言い方も在る。
 目的と意思を持って行なわれる場合が、これに当る訳であるが、その場合には「打ち返す」事も当然である。

 最近では「くらう」事も、殆ど無くなっているのだが、気を抜いた時に喰らい易い様である。
 先日も、お祓いの際、自分は問題無かったので在るが、後学の為にと付いて来ていた者が喰らってしまった。
 結界の中に居たので在るが、気が散じて居た様である。

 普段から、結界を張ったり、護身したりは、疲れるし効率的ではない。何より、面倒である。
 儂の場合は、通常では、無意識の内に被甲しているのであるが、ある種の結界内では、完全に開放して一切の気を働かせない状態に成る様に、している。
 所謂、気抜けの状態である。無防備では在るが、それが返って余計なものを呼ばないで居られる事に成る。ステルスである。
 不必要な気を放っていると、其れを目当てに集まり易くなる。場所によっては、殺気を放っている様な事にも成り、ガン飛ばしながら歩いている様なものである。

 一般には、このケジメ、メリハリの切り替えが意識されていない様であるが、それなりの場に臨む時には重要な事である。

 又、自己防御の護身であるが、守るべき自分自身を、確りと持っていないと、保つ事が出来ない。取りも直さず、自己を確立し理解している事が、最大の防御と成る。これが、解っていれば良いのだが・・・。己を知らない者が多い。

 現状を分析し、己の置かれている場を認識し、考えて行動をするべきである。

 基本は「気」。気合である。
 そして、出来得るなら被甲護身の結界を張り、感覚を澄ます。
 例えるならば、チョバムアーマー装備の戦車でレーダー、センサーをフル稼働させ、アンブッシュにも対応できる体制を作っておく。と言う事である。

       今日の箴言
<攻撃は最大の防御である、かもしれないが、殆どは、攻撃されて初めて敵の存在を知るのである。尤も、攻撃に晒されているにも拘らず、其れと気付かない、能天気のお花畑が居る事も、現実である。そんな者に拘ると、こっちの身が危ない。敢て撤退する戦術も、戦略的に考えて然るべきである。>

       本日のお礼
 先日告知致しました明石先生の陶芸展。本日最終日で終了いたしました。
 わざわざお出掛け下さいました皆様にお礼申し上げます。
    有難う御座いました。  尚休
 

お祓い?

2006年10月04日 15時49分38秒 | あいだ
 久々の更新になってしまった。本拠の移動に手間取った。

 久々ついでに「あいだ」ネタである。

 お祓いである。が、実際に、よく頼まれる。
 しかし・・・、基本的に、始めは相談、カウンセリングからである。
 故に、正確な頼み方として、
 「お祓いして下さい。」ではなく、
 「観て下さい。」が、正解。

 何故か。  
 良い悪いではないのである。
 言い方だとは思うが、
 「祓って良い」と言う場合に、祓った方が良いのと、祓わない方が拙いのと、祓っても良いのと。

 逆を言えば、祓わない方が良い場合も、結構多いのである。

 祓うのは、「あっち」のモノばかりでは無いのである。
 人の持つ「心の闇」を祓わねばならん事も在る。
 今時は、其の手の人の心の問題から来る物が増えているようである。

 お祓いには、その道の専門家が居るのである。(何とは言わないが。)
 居るのでは在るが、専門職として、其の職能が分化されているために、所謂一般人では、最適な選択をすることが困難に成っているのも事実である。

 喩えとして、現在の医療の実際を考えれば良いだろう。
 現場は細分化し、総合病院などでは、何処に掛かれば良いのか判らなくなる。
 又、患者側の立場からも、実際に病気なのか、気のせいなのか、勘違いなのか、判らない為に、検査検診が必要になっているのである。

 同じ様な事が、お祓いにも、言えるのである。

 専門的過ぎて、お互いに理解できなかったり、意思の疎通が図れなかったり。
 思い込みで判断したり、断定したり。

 と言う訳で、儂の登場である。
 と言うか、

 従って、「あっち」と「こっち」の橋渡し役の存在が必要とされるのである。

 儂も、自祓いが効かない時は、専門家にお祓いして戴くのである。

 幸な事に、日本には、ほぼオールマイティーにお祓いして戴ける所が存在するので、「取り敢えず」応急処置は問題無しなのである。
 其れで駄目なら、儂の所にいらっしゃい。
 問題ありなら、専門家を紹介するし、出来る事は引き受けるし。

         今日の箴言
<経済原理に支配された心では、本来の力は出す事が出来ない。が、しかし、人で在る身なれば、霞を喰っては存在出来ない。奉仕の心に則って「顎、足、気持ち」で、如何かな。>

子供の頃の記憶

2006年08月29日 15時28分51秒 | あいだ
 小学生の頃、低学年だな。
 なんだか解らないが、皆で郊外の田んぼに出かけた。
 今で言う校外学習だったのかも知れん。

 田植え前の田圃には、蓮華草が咲いていた。

 其の中に入って何かをしていたんだと思う。

 そこに、動くものを見つけた。

 蛇だ!

 其の頃であるから、蛇は珍しくなかったし、長いうねるものは、皆蛇だと思っていた。大した知識も無い頃である。仕方が無いといえば其れまでだが。

 蛇は嫌いではなかったし、怖いとも思わなかったが、気味が悪くて逃げ出してしまった。

 それは、黒と黄色の縞模様が横に入って毛が生えていた。

 丁度、虎の尻尾の様に。

道を観る

2006年08月26日 17時13分07秒 | あいだ
 久しぶりに「あいだ」の話である。

 復活のリハビリがてらである。ので、つらつらと行くのである。

 道は道、路のことである。深読みして勘違いしないように。
 観るは、見るである。道観は道教の道場であるが、これとは関係無い。

 見る、観る、視る、診る、等。

 此処で言うのは、目に見える物を見るのではなく、モノを観るのである。

 路といっても、人なり何なりが通るところを「みち」と言うのであれば、山道もあれば道路もあるし、獣道や魚道なんぞも在る。雨や台風の通り道とか雷の通り道なども。
 そのてでいけば、気の通り道も在る訳だ。気脈とか龍脈とかね。
 で、気の流れを「道」と言い換えれば経絡とかにも繋がる訳だよ。

 人も獣も、気の塊であるから、それが動けば、周りの気が乱れるのだね。
 又、動いた後に、気が残るので、道(動いた跡)が観得る訳だ。

 極端に言うと、気を観る事によって、何が何時通ったかまで、分かるのである。

 よく、道に迷うと言う。是は、見ちゃうからなのだね。
 昔は、山歩きや釣りで、道が無い所も平気で入って行った。道は見えないが人の通った跡が観得るので、辿って行けばよかったのである。
 尤も、其の心算で峠越えをしていたら、行き止まりに成った事があった。よく見ると、美ヶ原高原の何とか言うところで、殆どの人が観光で訪れる場合の目的地であり、抜け道に使うような奴は、自分らだけの様であった。
 
 歩きであれば、周りもよく観得るのだが、車で運転していると、情報が摂り難いのも事実。一度黄昏時に遣られた事が在る。

 どこぞの神社にお参りに行った帰り。同じ道を廻された。橋を渡るのだが、暫くすると又橋が在る。三度目には流石に気付いたのだが、迷うような道ではないのである。仕方なし地図を睨んでナビゲートしながら帰ってきた。狐狸に化かされるとはこの事かと思った次第。

    今日の箴言
<何事も、当てにしすぎ、頼りすぎ、自信過剰は、戒められて然るべきである。>