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こんな医師こそ国会には必要 がんばれ あべともこさん

2009年07月26日 | Weblog

      阿部さんのページから

7月13日午後、参議院本会議で臓器移植法改正案(A案=河野・中山案)が可決成立、これで本人意思の有無を問わず家族の同意のみで「脳死者」からの臓器摘出が可能となった。

 「脳死」とはいかなる状態なのか、臓器提供の応諾を家族の判断に委ねてよいのか、他者の死や犠牲の上に成り立つ臓器移植におけるドナーとレシピエントの人権、医療資源としての人体利用と人間の尊厳などの根本問題は、移植を待ち望む人々の声にかき消され、また政局に翻弄されながら、最後は解散前の駆け込み賛成多数となったのである。

 昨年以来10ヶ月以上も引き延ばされ、自らの手で解散総選挙を断行すると言った麻生総理の言葉とは裏腹に、満期直前の8月30日に追い込まれた総選挙日の決定を告げる記事と並んで、「脳死は人の死」という大きな見出しが同日の夕刊の新聞紙面には躍っていた。

 虚しさとともに、一体政治は何をしたのかという怒りが心の底から湧いてくる。政治家が有権者から与えられたその時々の政治の判断が、人間の生死に関わる深い歴史的・文化的・宗教的共感を強引に奪っていく、そんな光景であった。国民のだれも議員達にそんなことまで委ねた覚えはないはずなのに。

 そもそもこの4年間、小泉元総理の郵政民営化選挙の結果誕生した強大な与党勢力はどんな悪法であれ、最後は数の力で成立させてきた。そんな中で障害者自立支援法や後期高齢者医療制度など障害者や高齢者の人権を奪い、排除や差別を是認する法律までも成立させていったのである。

 ところが年金をめぐる不祥事が次々と発覚して、一昨年夏の参議院選挙では野党が大勝した結果「ねじれ国会」が誕生し、政権運営に自信をなくした総理が次々と交代するところとなった。しかしその一方で、自民・民主の両党間の水面下での合意のある法律は徹底した審議などもなく、通過成立させられてきた。ある法案は反対、またある法案は賛成という風に民主党の態度はその時々変わっても、とにかく早く処理することが国会対策として優先されてきたのである。

 とりわけ麻生内閣誕生以降の10ヶ月は、早期の解散総選挙を求める民主党の考えは「とにかくこの法案の採決をすれば、後は与党も解散するはず」的論法で、国民からの批判の強かった定額給付金や15兆円の補正予算への対応も実際には徹底抗戦ではなかった。もちろん選挙になれば「反対した実績」を謳い、「政権交代」によってそれを変えるという主張が通りやすいからでもある。しかし、それが民主主義や国会審議の空洞化を生み、全てを政局対応していくマキャベリズムをはびこらせたことに民主党はどれほど気付いているだろうか。

 他方、その陰で本来は超党派で成立にこぎつけた方が良い肝炎対策や生活保護の母子加算復活などの法案は、与野党の対立故に後送りにされ放置されたまま終わる。そればかりか自・公・民の合意で成立した水俣病救済法などは患者救済の一方で、当事者企業であるチッソの責任を霧散させかねない法律である。政治に駆け引きのあることは否定するものではないが、この間の巨大与党、そしてねじれ国会は議会制民主主義本来の姿をあまりにも歪曲させてしまったように思えてならない。そして、その結果が大政翼賛にも似た臓器移植法改正案へのなだれ込みとなった。

 衆議院でのA案可決の際に、D案提出者のある議員がつぶやいた言葉が今も私の耳に残っている。「こうやって戦争にも賛意が示されていったのかもしれない」-そう思わせるほど一人一人の思慮を超えた力が、採決の場を支配していたように思える。

 熟議の民主主義などどこにもない、恐ろしい現実である。来るべき解散総選挙で今度は民主党への風が吹き、また有権者が大挙してそこに流れるかも知れないけれど、そんな中でも民主主義の本質である少数意見や小政党がどう生き残れるのか、私も全力を挙げて闘いに打って出る覚悟である。どうかよろしくご支援ください。

                        阿部知子


 

 


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