イマジン:第1部 はたらく/6 「30年」先行くオランダ
毎日新聞 2013年01月06日 東京朝刊
◇パートに正規と同一権利を保障 女性の労働参加率、日本と逆転
この先、日本人の働き方はどう変わっていくのか。正規、非正規、終身、短期雇用、男と女、学歴、社歴主義−−にとらわれない平等が生まれるだろうか。働き方を変え成功してきたオランダを訪ねるとこう言われた。
「まるで30年前の私たちのようね」
女性の社会進出を支援するNGO「オランダ女性評議会」のスシファーファスラウス代表の言葉だ。日本の労働実態を知る彼女の目から見れば、私たちは「途方に暮れる過去の自分たち」を見ているようなものなのだ。
30年前、80年代初頭のオランダはまだ「男は仕事、女は家事と育児」という古い観念にとらわれていた。85年当時の女性の労働参加率は35%にすぎず、当時53%だった日本よりも低かった。ところがこの数字は2011年、70%まで跳ね上がった。
日本の約8分の1、人口1700万人ほどの小国ながら、欧州連合(EU)加盟国で6位の経済規模があり、最高の投資格付け「AAA」を保持するオランダで何が起きたのか。
80年代、天然ガス輸出に依存する産業構造が、資源価格の下落で行き詰まり、長期不況で失業率が10%を超えた。賃金抑制を目指したい経営者側と、雇用維持を図る労組が激しく対立、政府の仲介で話し合いを重ね、1人当たりの労働時間を減らす「ワークシェアリング」を取り入れることで合意した。「痛み分け」という苦肉の策だった。
その後、パートタイムへの失業給付(90年)、ボーナス支給や職業訓練(96年)など新制度を創設。さらに、00年には従業員が労働時間を自分で変更できる「労働時間調整法」を取り入れたことで、働き方も、人々の意識も変わった。
クリスマス前、ハーグに暮らす女性会社員、ランズドルプさん(42)のマンションを訪ねた。「ママ、この問題の解き方がよくわからない」「これはね……」。夕食前のひととき、インタビューの合間もランズドルプさんは一人娘のルシアさん(12)の勉強をみる。毎週水曜日は、勤めている貿易会社を午後0時半に退社する。買い物や家事を済ませた後、学校から戻った娘と夜まで居間でくつろぐ。
ランズドルプさんは9年前、「仕事ばかりで家族を全く顧みない」夫と別れ、シングルマザーとなった。水曜以外の日は会社の仕事を午後3時に終え、家でドイツ語と英語の翻訳も手がけている。「会社勤めは安定収入を得るためには大事。でも、娘や病気がちの母親の面倒をみる時間が私には必要。今の仕事と暮らしのバランスが自分にとってベストです」と穏やかに語る。
彼女のように、勤務時間や勤務日を短縮して働くパートタイム労働は、オランダでは珍しくない。
経済協力開発機構(OECD)の調べでは、オランダで働く人の37%が週30時間未満の勤務だ。これは日本の21%、欧州平均の17%よりも随分多い。短時間労働で十分な収入が得られるのか。
80年代から労働改革を続けてきたオランダでは96年、パート、フルタイムで時給や待遇に差をつけるのを法律で禁じた。同一労働に同一賃金が支払われ、手当や昇進、福利厚生も長時間働く正規労働者と同じ権利が保障された。これを機に、働き方の選択肢が一気に広がった。日本では、パート労働者のほとんどが非正規職員で、正社員と同じ仕事をしても、有期雇用や安易な解雇、厚生年金への未加入など歴然とした差別があるが、オランダにこれはない。
アムステルダムの病院事務、ホーヘさん(27)も1日8時間、週4日のパートだ。病院では医師や看護師など専門スタッフの75%がパート。「仕事は分け合うのが当たり前。定時に帰ることには何ら抵抗はない」とホーヘさん。患者の担当医を複数置くなど、1人に負担をかけない仕組みが徹底されている。
パートタイム労働は弁護士業にも広がる。ユトレヒトの「ウェイン&スタレル法律事務所」では、35人の所属弁護士のうちほぼ半数がパートだ。4歳と5歳の男児の母、クレインさんは、水曜を休日に充て、金曜が休日の鉄道会社勤務の夫と家事や子育てを分担する。
事務所には独身でも週4日勤務を選ぶ弁護士も多い。「若い世代は生活の質を高めるためパートを選ぶ。『収入が2割減っても、ゆとりをもって過ごせる方が良い』と考える人が増えている」と、クレインさんは言う。
ユトレヒト大のスキッパー教授(労働経済学)は「同一労働、同一賃金」の最大の効果は「高学歴の女性が労働市場に供給され、国の生産性が大幅に高まった点」と言う。オランダの労働時間1時間あたりの国内総生産(GDP)は、日本の約1・5倍。「だらだら長時間働いても、多くは同僚と雑談したり、私用に時間を割かれている」との分析には、思い当たる日本の正社員も多いのではないだろうか。
公的な育児支援が不十分な点や、依然、パートの役職者比率が低く、男性役員が多い点など、決して完全な形ではない。それでも、30年かけて変わったオランダの今に、私たちの未来の一つの姿がほの見える。=つづく