会津八一&団塊のつぶやき

会津八一の歌の解説と団塊のつぶやき!

道風記念館と会津八一4 八一の奈良歌    素空

2012-06-14 23:00:03 | Weblog
 神林恒道(會津八一記念館館長)も言っているが、八一の奈良へのかかわりは失恋を背景したセンチメンタル・ジャーニーから始まった。それが「猿沢の池にて」の歌である。
     わぎもこ が きぬかけ やなぎ みまく ほり 
             いけ を めぐり ぬ かさ さし ながら 
 しかし、八一の古代への憧憬と芸術、学問への探求心が奈良歌を中心にした歌集・鹿鳴集を生み、また高いレベルの奈良に関する学術論文として結実していく。
 八一が初めて奈良を訪れた明治41年は、あの廃仏毀釈による仏教施設の破壊により荒涼としていた。処女歌集・南京新唱はそうした奈良の姿への「ため息」を詠んだ奈良歌であると神林恒道は強調し、「酷愛する奈良への捧げもの」であると言う。
 余談だが、奈良を35回訪れた八一の骨が唐招提寺にもあるということを初めて知った。墓は新潟市・瑞光寺にあり、東京(練馬)・法融寺に分骨されている。