朝日新聞5月25日付けの天声人語に『人は一生の間にどれくらい罪を犯すものだろう、と故・井上ひさしさんがユーモラスな随筆を書いていた。幼いころ、隣家の猫のひげをちょん切ったそうだ。これは立派な犯罪になるらしい。他にもスカートめくりやキセル乗車など、あれやこれやで「総刑期」は50年を超す・・・』とあった。
とても面白い発想だ。自らを考えると少なくとも彼よりは今の日本の法律で判断すれば、何倍もの「総刑期」になるだろうし、法には触れないが罪になりそうなものも沢山ある。
法は相対的なもので絶対ではないので「総刑期」をそれ程気にしなくてもよいが、「総刑期」など全く無いと思っている人には閉口する。他人の些細な罪でも重い罪でも容赦なく批判し、責め立てるような人を見ていると気分が滅入る。宗教に頼ろうとは思わないが、こんな場合はいろいろな宗教家の寛容と愛の精神に学ぶべきだろう。
またいつも思うが、法にも悪法は沢山ある。為政者が都合の良いように決めたものはその最たるものである。「法にふれるから」とか「みんながそう判断するから」などと言うのが一番怖い。もっと事の良し悪しを自分の思考で判断する習慣を付けた方が良い思う。
最近は「寛容の精神」が培養されてきた。年かな~~?
とても面白い発想だ。自らを考えると少なくとも彼よりは今の日本の法律で判断すれば、何倍もの「総刑期」になるだろうし、法には触れないが罪になりそうなものも沢山ある。
法は相対的なもので絶対ではないので「総刑期」をそれ程気にしなくてもよいが、「総刑期」など全く無いと思っている人には閉口する。他人の些細な罪でも重い罪でも容赦なく批判し、責め立てるような人を見ていると気分が滅入る。宗教に頼ろうとは思わないが、こんな場合はいろいろな宗教家の寛容と愛の精神に学ぶべきだろう。
またいつも思うが、法にも悪法は沢山ある。為政者が都合の良いように決めたものはその最たるものである。「法にふれるから」とか「みんながそう判断するから」などと言うのが一番怖い。もっと事の良し悪しを自分の思考で判断する習慣を付けた方が良い思う。
最近は「寛容の精神」が培養されてきた。年かな~~?
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