会津八一に関するブログ 937
印象・九首(会津八一) 2019・2・2(土)
会津八一 鹿鳴集・印象(九首) 大正十二年九月
かつて唐人の絶句を誦しその意を以て和歌二十余首を作りしことありちか頃古き抽斗(ひきだし)の中よりその旧稿を見出し聊(いささ)か手入などするうちに鶏肋(けいろく)のおもひさへ起りてここにその九首を録して世に問ふこととなせり或はこれを見て翻訳といふべからずとする人あるべしまた創作といふべからずとする人もあるべしこれを思うてしばらく題して「印象」といふされど翻訳にあらず創作にあらざるところ果たして何物ぞこれ予が問わんと欲するところなり 己卯十月
絶句
五言四句のものを五言絶句といひ、七言四句のものを七言絶句といひ、略して五絶、七絶といふ。
鶏肋
食ふべきところ乏しきも尚ほ棄つるには惜しきもの。
世に問ふ
漢詩の和訳は可能なりや否やにつきて『渾斎随筆』の中に所見を述べおきたり。この問題に興味ある人々は一読して作者の意のあるところを批判されむことを望む。
自註鹿鳴集より
関東大震災で罹災し、雨漏りする家の鬱陶しさの中で全唐詩を読んでいるうちに絶句を三十一文字の和歌に訳して見ようと思ったのが始まりだという。その難しさもさることながら、単なる翻訳だという非難や全くの創作だという意見に心したことが序文に表れている。
同じ試みをした人はいるが(参照、訳詩小見・渾斎随筆)なかなか難しそうである。絶句の内容の多さから翻訳よりも創作に近いかもしれない。ゆっくり、八一の歌を味わってほしい。
印象・九首(会津八一) 2019・2・2(土)
会津八一 鹿鳴集・印象(九首) 大正十二年九月
かつて唐人の絶句を誦しその意を以て和歌二十余首を作りしことありちか頃古き抽斗(ひきだし)の中よりその旧稿を見出し聊(いささ)か手入などするうちに鶏肋(けいろく)のおもひさへ起りてここにその九首を録して世に問ふこととなせり或はこれを見て翻訳といふべからずとする人あるべしまた創作といふべからずとする人もあるべしこれを思うてしばらく題して「印象」といふされど翻訳にあらず創作にあらざるところ果たして何物ぞこれ予が問わんと欲するところなり 己卯十月
絶句
五言四句のものを五言絶句といひ、七言四句のものを七言絶句といひ、略して五絶、七絶といふ。
鶏肋
食ふべきところ乏しきも尚ほ棄つるには惜しきもの。
世に問ふ
漢詩の和訳は可能なりや否やにつきて『渾斎随筆』の中に所見を述べおきたり。この問題に興味ある人々は一読して作者の意のあるところを批判されむことを望む。
自註鹿鳴集より
関東大震災で罹災し、雨漏りする家の鬱陶しさの中で全唐詩を読んでいるうちに絶句を三十一文字の和歌に訳して見ようと思ったのが始まりだという。その難しさもさることながら、単なる翻訳だという非難や全くの創作だという意見に心したことが序文に表れている。
同じ試みをした人はいるが(参照、訳詩小見・渾斎随筆)なかなか難しそうである。絶句の内容の多さから翻訳よりも創作に近いかもしれない。ゆっくり、八一の歌を味わってほしい。