SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

衰弱について

2006年10月23日 | Weblog
 最近いよいよゾンビ状態で近所を徘徊するまでになったという古谷画伯による「衰弱することによって初めて触れられる『何か』があるのは、当然のことだし、芸術はそれこそを示しているのかもしれない」という示唆を受けて何事か閃いたのか、その弟子筋にあたる永瀬氏が件の作文で、「一種の『老い』を通して絵画を描くことで絵画の骨格に迫るしかないのではないか」などと呟いている。かつて『批評空間』のモダニスト達の影響を受けることで「僕はモダニストだ」と宣誓していた古谷画伯は、しかし今度は小説家の保坂和志の影響を受けることで、「僕は老人だ」と節操無くも言いたくなったわけだ。しかも「偽日記はたいしたもんだ」という保坂氏からの評価を頂くことで、ついに何かの確信を得たようである。もちろん、その得た確信というのは、永瀬氏が理解するような「ピュアな子供の可能性に接近するため」などという素朴な見解ではおよそ無いだろう。おそらく、あらゆる精神活動および身体活動の「不活性化」に伴ない開かれる「物質・量的な次元」があるのだ。それはこれまで社会的に推奨されてきた「活性化」の論理では決して触れることのできない謎の領域である。とはいえ、ゾンビ状態で近所を徘徊すればその次元が開かれるとは思えない。そんなアブないオッサンはそのうち警察に通報されて終わるだけだ。