SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

もうとっくに祭りは終わっていた

2005年11月26日 | Weblog
 東野芳明氏の訃報に驚く。もう長く故人であると思っていたからだ。いつだったか誰かに「東野芳明という美術評論家はもう亡くなっているよ」と聞かされていたのである。だがそれが、この10年ものあいだ意識を消失していた美術評論家の名誉を保つための配慮であったとは、いまごろ気付いても遅すぎる。
 このマルセル・デュシャンの研究で知られた美術評論家の長すぎる10年のあいだに、日本の現代美術は没落していった。現代美術とは何よりまずマルセル・デュシャンのことである。そしてその「デュシャンを忘れた現代美術」のことを実は「現代アート」と呼ぶのだ。
 東野芳明氏に「先生、現代美術って何ですか?」と誰ひとり問うことのできなかったこの10年で、私たちは現代美術が何であったのか忘れてしまった。デュシャンが誰なのかもう憶えていないのだ。「先生」はどこか遠いところへ行ってしまった。デュシャンのことを尋ねても、もう遠すぎて間に合わない。もうとっくに祭りは終わっていたのである。
 では、いま私たちが見ているこの祭りはいったい何なのか? 「これが最後のシナプス発火? 死を理解しようとする最後の試み、最後のメタファーだということもありうる。それともなにか全然別のものだということも......」(コニー・ウィリス『航路』より)