summer diary

日記らしきページ

ブログ開設から16年

2021年10月31日 | Weblog
 gooのブログを書き始めてからもう16年以上が過ぎた。
これは私の日記でもあり、まっ、言いたいことを素直に書いているだけの私の私的な物だ。 これまでもいろんな事を書いて来たけど、ほとんどは日記としてのブログであり、何かを発信したりとか、誰かに読んでもらうためとか、何かを残そうとか言うような意図は全くない。
なので、コメントももうずっと以前から書き込み不可としている。
ブログで誰かと繋がりたいとか、ネットで何かを発信したいとかもまったく考えていない。
単純に日記帳の代わりであり、それ以外の目的や目標なんてものもない。
その時に私が興味ある物に対する考え方とか、将来の事とか、日々の出来事のありふれた記述である。
コロナ禍になってからはギターを本格的に練習し始めてたので、今はほとんどギターに関しての記述で終わっている。
昨日は夜勤明けで家事と荷物などの受け取りなどもあり、ギターの練習は日中は1時間半、夜も1時間程度で終わった。 
カルカッシ教則本が今の私のメイン教材で、今は暫定的練習曲No13まで進んでいる。 この曲は練習曲としては意外とテンポは遅い方だが、内容は意外と難しい。 運指が難度があり、練習を重ねてもなかなかスムーズに弾けない。
常永章さんの模範演奏(CD3枚で教本1冊分が録音されている。 ただし、全てと言うわけではなく、デュエット曲や課題曲前の前奏、その他の基本練習曲などは録音されていない)を何度も聴きながら同じテンポで演奏しようとするが、やはりかなり難しい。 今はかなりゆっくりしたテンポで練習しているけど、おそよ半分程度のテンポでようやくスムーズに弾ける程度である。
まっ、今後何度も練習することで同じテンポでスムーズに弾けるまでレベルを上げる事は可能だろう。
まだまだ弾けるようになるだけで、曲を魅力的に表現するまでのレベルにはなかなかできないけど、もっと余裕を持って弾けるようになれば、音楽的な芸術性? 芸術と言えるまでにはちょっと難しいかも知れないけど。
それなりに自分の表現が出来るようにしたいと思う。

さて、今日は天候は雨模様の一日になる。 今朝も小雨が降っていて、今日は雨脚はそれほど強くはないけど、雨が降り止むような事もない様子。
今日は衆議院選挙の投開票日で、選挙にも行きたいし、ギターは勿論、しっかりと練習しようと決めている。 
最近の選挙の投票率がかなり低く、政治に関心が無い人が増えた印象だ。
政治に関心が無い国民が多い国は経済も教育なども進展しないし、今はジェンダーの問題も世界的にも注目を集めて居るし、温暖化の問題も相当に危機的な状況だ。
それでも、各国は経済優先主義から脱却できない。 地球の平均気温の上昇率は年々加速している。 地球が人間が住めない環境になる危険は間違いなく加速していて、将来がある子供達へその責任を押し付けているのは間違いない。
本当に自分の子供、孫、曾孫、・・・の将来を考えると本当に懸念する状態だ。 
国家間の争いが未だに無くならない近年では、温暖化に対する協力関係も難しいだろう。 さらには戦争すら起きかねないような国同士の睨み合いが続く。
中国やアメリカ、ロシア、中近東地域の紛争やテロ行為なども含めて、自分の国家の発展や権力維持を優先するような国家がある以上は、本当の幸福もないし、本当の豊かさも望めないだろう。
技術的な競争自体は私は人間が豊かになるためには必要だと思うが、そうした競争が戦争や国家間の権力や領土、海洋の利権争いに転嫁されるのは人間として愚か過ぎるだろう。
人種とか宗教とか国家とか性別とか各自の能力とかそうした垣根をより外すことが出来れば、幸福は思って居る以上に簡単に手に入れる事は可能になるだろう。 各自がそれぞれの持っている能力を最大限に生かすことが出来る世界を作ることはそれほど難しいことではない。
世界が同じ目的、目標や夢を共有できる事が可能であるなら、人間の知恵や技術、知識や良識や優しさや勤勉で努力する能力は決して弱い物ではない。
地球の環境を今から変えることだって可能だし、当然だけど、戦争は勿論即時なくせるし、自然災害やウイルスなどの脅威にも対応することは難しくない。 
人間の悲しい嵯峨が自分優先の思考を生み出し、害悪となる権力や名誉や名声や利権に溺れるのである。
こうした社会を変える事はそんなに難しいだろうか? 世界のほんの一部でしかない富豪の頂点にある人達や経済的な余裕がある人々達が力を合わせて、本当に世界の幸福を望むなら、それ相応の行動も出来るだろう。
費用対効果と言う言葉があるが、努力した人は当然それ相応の利益を継受して、それなりの人生を送る事が当然とする考え方は理解できる。
しかし、それはある意味では下等競争原理だ。
これは動物的な競争原理と同じで、弱肉強食の世界観だ。
人間が同じようにジャングルやサバンナに生きる動物と同様な思考なら情けない。 人間には優れた頭脳があるはずで、単なる哺乳類ではないと私は思っている。 それは優越性を意味しているのではなく、人間がこの地球上で最も知識や技術を持っている動物だと言うこと。
その人間が地球を破綻に推し進めるような行為を平気で進めるようなおバカな存在になり果てるのは、逆に言えば、最も愚かで下等な動物だと言うことだ。 
私はずっと若い時から同じ事を何度も書いているが、この地球上に人間が居なかったら、どれほど地球は美しい惑星になっているだろうか。
想像して欲しい。  人間が居ない地球の美しさ。
仮に地球に意思があり、地球が望まない物を追い出すことが可能なら、人間は何よりも真っ先に追い出される存在だろう。
地球は人間の物ではない。 そこに存在する一部でしかないのである。
癌と同じで、人間は地球にとっては癌でしかない存在だ。 人間以外の動植物から見ても、人間ほど害を生み出している存在は居ないと思って居るだろう。
中国やロシア、アメリカなどは先端技術で互いの対立を加速させている。
北朝鮮すら未だに核開発を進め、対立を加速させている。 
おそらく、宇宙が今後の対立の場所に変るかもしれないけど、人間はどうしてこんなにもおバカなんだろう。
さて、それはもういい。 少なくともこれが人間の人間たる物だろう。
今日は選挙に行って、少しでも私の意思を示したいと思って居る。 
明日がどんな日になるのか? 残りの人生がそれほど多くない私の人生がどんな物になるのだろう? いずれは死が待っているし、誰もが必ず死が訪れる。
それまで出来る限り誠実に行きたいと願って居る。