飲兵衛の酔写アルバムPartⅡ

毎週1回月曜日に更新します

桜(その1・浜松城公園)

2022-03-31 00:00:01 | 梅・桜

桜が一斉に咲きだしましたね~。
そこで浜松動物園(その2)は後回にして、

今回は3月27日(日)訪れた浜松城公園の桜をアップいたします。

この桜の時期、浜松城公園の駐車場は大混雑します。
そこで朝の8時に家を出て浜松城公園に向かいました。
8時半着、さすがに駐車場は余裕でしたね。

浜松城公園ではほぼ満開の桜も見うけられましたが、全体的には
5~6分咲きといったところでした。

こちらは駐車場がある北側から見た浜松城です。

 

 

天守閣へは反対の南側から上っていきます。
まずは縦位置でパチリ!

 

 

横位置でもパチリ。

 

 

2014年に復元された天守門です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若き日の家康公の銅像が桜の花に囲まれていました。

 

 

1958年に復元された天守閣です。
過去の文献に拠ると、実際の天守閣は5層あってはるかに大規模だった様ですが、
予算の都合でこのように3層の小さな天守閣なりました。
飲兵衛が言うのも何ですが、浜松人ってケチなんです。
(涙・・・)

 

 

天守閣から下を見下ろしてパチリ。

 

 

金網がボカしきれませんでした。
(涙・・・)

 

 

最後に浜松城公園日本庭園のしだれ桜です。

 

次回は蜆塚公園と佐鳴湖公園の桜をアップいたします。

 

 

 


浜松動物園(その1)

2022-03-28 00:00:01 | 動物園

先週の日曜日(3月20日)、ちょうど1年ぶりに浜松動物園を
訪れました。
3連休の中日で浜松動物園は大勢の家族連れで賑わっていました。

それでは
トップバッターは真っ黒な顔のアフリカ・クロトキです。

 

 

ショウジョウトキが水を飲みながら羽を羽ばたかせていました。

 

 

 

 

 

 

精悍な顔つきをしたハクトウワシ(白頭鷲)です。
頑丈な檻の中で飼育されていましたが、
上手いこと手前にあった檻をボカすことができました。

 

 

 

 

 

 

お湯に使ってのんびり、カピバラです。

 

 

ゾウさんだよ~ん。

 

 

生後1年を過ぎ、大人なみに体の大きくなったアムールトラの子供です。
兄弟(姉妹?)仲良くじゃれあっていました。

 

 

 

 

体は大きくなっても、まだまだあどけなさが残っていますね。

 

飲兵衛全く知りませんでしたが、浜松動物園では昨年の2月に
4匹のアムールトラの赤ちゃんが生まれました。
赤ちゃんのアムールトラはとっても可愛かったそうです。
めったにないシャッターチャンスを逃してしまいました。
もうトホホホです。
(涙・・・)

 

それでは最後に、ガラリと話題が変わってヘボ狂歌を一首。

 プーチンさん毛生え薬をあげるから 
        平和な世界に戻しておくれ

 

 


旧見付学校

2022-03-24 00:00:01 | その他

前回に引き続き浜松市の東隣・磐田市見付より、
磐田市のシンボルともいわれる建造物の一つ、旧見付学校です。

旧見付学校は明治5年(西暦1872年)の学制発布を受け、翌年8月に宣光寺、
省光寺などを仮校舎として開校しました。
新築工事は明治7年(西暦1874年)10月に工事着手、翌年8月7日に落成、
開校式が挙げられました。

現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎で、国の史跡に指定されています。

 

 

 

 

当時の授業風景です。

 

 

 

 

 

 

当時は筆記用具として石版と蠟石(石筆)が使用されていました。
そういえば「赤毛のアン」ではアンがギルバートの頭を石板で殴るシーンが
ありましたね。

 

 

校長先生。

 

明治7年の見付学校の生徒数は男子179名、女子116名。
就学率45.8%、男女の比率は約6:4でした。

全国的には就学率28.1%、男女の比率が8:2ですから、
いかに見付地区の
就学率が高かったか、特に男子に匹敵する女子の就学率には
目を見張るものがあり
ます。

 

当時の子供は絣(かすり)の着物で通学していました。
絣は、値段も安く洗濯にも強くて丈夫なため、明治から昭和前期まで普段着
や野良着として使われました。

 

 

家庭では勉強机が親から子、兄弟、姉妹と受け継がれていきました。

 

 

2階の窓からは隣の淡海国玉(おうみくにたま)神社が見えます。

 

 

旧見付学校に隣接して磐田文庫があります。
淡海国玉神社の神官大久保氏が寄付と私財を合わせて設立した私設図書館です。
旧見付学校と共に国の文化財に指定されました。


今回紹介した旧見付学校は磐田市により無料で公開されています。
何から何まで有料でセコい事NO.1の浜松市とは大違いですね


最後に、話題はガラリと変わって、
飲兵衛昔取った杵柄で時事狂歌など一首。

 うっ!暗いな 輝き無くしたプーチンの
     ハゲた頭に降る春の雪

「うっ!暗いな」って分かるかな~(笑い)

 

 

 


「矢奈比賣(やなひめ)神社」(見付天神)悉平(しっぺい))太郎伝説

2022-03-21 00:00:01 | その他

浜松市の東隣・磐田市見付では、およそ700年前の鎌倉時代中期まで
毎年家の棟に白羽の矢が立った家の娘は、8月10日の矢奈比賣((やなひめ)
神社の祭りに、人身御供(生贄)として捧げなければならないという
実におぞましいしきたりがありました。

延慶元年(1308年)、見付を訪れた旅の僧・一実坊弁存(いちじつぼうべんぞん)が
この話を聞き、尊い神様が
そのような悪行をするはずが無い、その正体をみとどけて
やろうと神殿の床下に潜み、

化け物たちが「信濃の国の悉平(しっぺい)太郎に知らせるな。」
とささやくのを聞きました。

そこで弁存は信濃の国を探し歩いて、悉平太郎が光前寺(長野県駒ヶ根市)で
飼われている大変強い山犬だということが分かり、この犬を借りてきました。

次の年の8月、祭りの日に人身御供の身代わりに悉平太郎を柩に入れて、
矢奈比賣神社に供えました。
そして、化け物が柩を開けた瞬間、悉平太郎は化け物に襲い掛かり、
長い格闘の末、化け物を退治しました。

その化け物は大きな年老いたヒヒでした。その後、人身御供のしきたりは
無くなったということです。

悉平太郎は化け物との戦いで傷を負いましたが、光前寺までなんとか帰り着くと、
和尚さんに怪物退治を知らせるかのように一声高く吠えて息をひきとりました。


駒ヶ根市では、悉平太郎は早太郎と呼ばれていて、光前寺には早太郎のお墓が
あります。
磐田市と駒ヶ根市は、この悉平太郎伝説が縁となり、友好都市となっています。

 

矢奈比賣(やなひめ)神社には菅原道真公が合祀されているため「見付天神」
とも呼ばれています。
この赤い鳥居の右横に悉平(しっぺい)太郎の像があります。

 

 

霊犬「悉平(しっぺい)太郎」の像です。

 

 

 

 

矢奈比賣(やなひめ)神社本殿です。

 

 

 

 

悉平(しっぺい)太郎は磐田市のマスコットキャラクターにもなりました。

 

 

コミックや実写版の「ゆるキャン」の中で主人公の志摩リンちゃんも
矢奈比賣(やなひめ)神社」(見付天神)を訪れています。

 

 

矢奈比賣(やなひめ)神社本殿の奥には悉平(しっぺい)太郎を祀った
「霊犬神社」があります。
霊犬神社は犬を祀った日本唯一の神社として、近年は愛犬家の方々が
訪れるようになりました。

 

 

祭壇には悉平(しっぺい)太郎の置物が所狭しと置かれていました。

 

 

こちらは2011年8月、矢奈比賣神社(見付天神)裸祭り当夜の神社境内です。

このあと腰蓑を付けた上半身裸の男連中が各町内単位で押し寄せて裸踊りが
始まりました。

飲兵衛、男は、まして裸の男など、大嫌いなので勿論写真は撮りませんでした。

正直言って、この祭りは好きではありません。
やはり艶やかなお姉さん達が登場しなくては、
お祭りとは言えませんよね~。

 

 

 

最後に飲兵衛の大好きな薀蓄を一下り。

鎌倉時代に入ると、
浄土真宗、日蓮宗、臨済宗や曹洞宗などの新しい仏教が始まり、
かっては京都の支配層のみ対象としていた仏教が全国の一般庶民の間にも
広く布教される様になりました。

布教僧達は熱い情熱と強い意志の下、日本全国を回り、
矢奈比賣(やなひめ)神社のみならず、当時の日本に根強く残っていた
人身御供
などのおぞましいしきたりや迷信を絶ちきる事に、全霊をかけて
尽力
したのです。

日本を古代呪術社会から開放し、新しい中世の社会観を導くにあたり、
当時の新しい仏教の普及がその一翼を担ったと考えられます。

 

 


浜松がんこ祭り(今年も中止・その2)

2022-03-17 00:09:01 | よさこい踊り

前回に引き続き、最後に開催された3年前の2019年度浜松がんこ祭り
より、未投稿の踊り子さん達をアップいたします。

皆さんとても素敵なお嬢さん達で、素晴らしい演舞にもかかわらず、
チーム名が分からないためチームの紹介ができません。

前回同様ご容赦の程お願いいたします。

 

 

 

 

 

出番待ちのお嬢さん達。

 

 

 

 

若さがはち切れんばかり!
当日は冷たい北風が吹きかなりの寒さでしたが、寒さなど吹っ飛ばす
様な熱演でした。

 

 

 

 

会場の後ろには浜松城をモチーフとした「浜松がんこ祭り」の垂れ幕。
江戸時代、浜松は徳川家の直轄領で譜代大名が城代に任命されました。
浜松城代を務めることは老中などの幕閣になる出世コースで、
浜松城は出世城とも呼ばれました。

 

 

「桜ひなこ」と読むのでしょうか?

先ほどhanahanaさんからコメントいただき「桜ばやし」だと分りました。
桜のお囃子ですね~。
ありがとうございました。

 

 

艶やかなお嬢さんですね。

 

 

 

 

観客のお嬢さん達の中にも、ちょっと目だってオーラを放っている娘(こ)
が時々いますね。

男は愛嬌を地で行く飲兵衛、早速声賭け、近くに指輪の広告がありました
のでこんなポーズをお願いしました。

飲兵衛が撮り出すと、周りで様子を見ていたカメラ爺さん達がどっと
押し寄せてきて割って入ろうとするんです。
もう落ち着いて撮影できたものじゃありませんね。

今こうして改めて見ますと、
当日はかなり寒かったことが分かります。

ちなみに1~10枚目はD5600+タムロン28-300f3.5-6.5,
最後のこちらはD5600+ニコン17-55f2.8.
カメラは同じでもレンズによって描写力(透明感)がかなり異なります。

 

ところで現在(2022年3月)大学3年生の踊り子さん達は、4月からは4年生
となり踊り子を卒業。

後輩を支援する裏方に回ります。
そのため、本来なら踊り修めになる、この浜松がんこ祭りの中止は
さぞかし残念なことだと思われます。

この3年間、コロナ禍で観客を前に脚光を浴びる事も無いまま踊りを
卒業することになるとは・・・
とても悲しいことですね。

 


浜松がんこ祭り(今年も中止・その1)

2022-03-14 00:00:01 | よさこい踊り

例年ですと3月中旬の土日に、全国から百数十チーム・約7千人の
踊り子さんが浜松の街に集結して、浜松がんこ祭り
(よさこい踊り)
が開催されます。

踊り子さんの大多数が若いお姉さん達で、それはもう花が咲いた
ような華やかさ
浜松の街はお姉さん達のフェロモンに包まれ、飲兵衛達もう大ハッスル。

それが2020年度、2021年度に続き今年も中止になりました。
これで3年連続の中止です。

そこで最後に行われた2019年度より、未投稿の踊り子さん達をアップしよう
と思います。

踊り子さん達とても豊かな表情で素敵ですね。
3年前なので、数チームを除き、チーム名が分からなくなってしまいました。
素晴らしい演舞なのにチーム名が紹介できず申し訳ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは岐阜市より参加の「常盤」の踊り子さんです。
若さとパワーをアピールするチームが多い中、こちらのチームは、
日本の伝統美を通じて、大人の女性の艶やかさを見事に演出。
踊り子さん達がとても色っぽいんです。
我々カメラ爺さんの間ではダントツに一番人気のチームです。

(ひょっとして一宮市から参加の「百華夢想」でしたらご勘弁の程。
両チームは姉妹関係にあるようで、コンセプトや衣装が同じため時々
間違えてしまいます)

 

 

 

 

 

 

お顔をアップでパチリ!

 

 

笑顔が素敵!
我が家の鬼瓦殿とは月とスッポンです。

 

ところで、
かって一部マナーの悪いカメラマンがいたため、
当会場では前列正面からの撮影が禁止になり、後方サイドからの撮影になりました。
横顔ばかりになり、ちょっと残念ではあります。

 

 


河津桜(佐鳴湖公園にて)

2022-03-10 00:00:01 | 梅・桜

3月6日(日)、河津桜を撮りに佐鳴湖公園を訪れました。
静岡新聞SBSのネット情報@Sの開花予報ではまだ「かたい蕾」と」ありましたが、
実際にはほぼ満開になっていました。
便利だからといって、ネット情報を鵜呑みにしては駄目ですね。

それでは満開の河津桜です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このところブログネタが梅、河津桜と同じ様なジャンルばかり続いて、
さすがに飽きてしまいました。
そこで来週は、最後に開催された3年前の2019年3月の「浜松がんこ祭り」
より、
未だ投稿してない踊り子のお姉さん達をアップいたします。

ヘボ腕を補ってなお余りある素敵なお姉さんが一杯!
皆さんのご訪問お待ちしてます。

 

 


河津桜(東大山町花川沿いにて)

2022-03-07 00:00:01 | 梅・桜

3月5日(土)、浜松では最高気温が17℃と急に暖かくなりまり、
河津桜の開花が進みました。
そこで浜松でも河津桜と菜の花のコラボが見られる東大山町の
花川沿いを訪れてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

満開の菜の花畑では子供連れの皆さんが写真を撮っていました。

孫娘がいたら、この様な菜の花畑を前景や背景に、腕によりを
かけて可愛く撮るんだけどなぁ~。
えっ?
飲兵衛のヘボ腕じゃ無理だって?
ウチそないイケズ言わはる人好かへんえ。

 

 

 

 

 

 

橋を渡って花川の対岸からパチリ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


白梅紅梅・その3(再び龍潭寺にて)

2022-03-03 00:00:01 | 梅・桜

先々週2月19日(土)に龍潭寺を訪れた時にはまだ白梅は
ほとんど蕾の状態、紅梅がやっと咲き始めた所でしたので、
先週の土曜日2月26日
に再び龍潭寺を訪れて見ました。

本堂横ではしだれ梅が咲き始めていました。
まだ2~3分咲きといったところでしょうかね。

 

 

 

 

ちなみにこちらは昨年の2月27日にパチリ。
本堂横の満開のしだれ梅です。

 

 

例年より2週間遅れてやっと白梅が咲きだしました。

 

 

 

 

 

 

苔むした梅の老木が古刹の趣を際立たせ ていました。

 

 

こちらが龍潭寺本堂です。

 

 

最後に紅梅を。
淡いピンク色が何時見ても綺麗ですね。

 

 

 

 

 

 

 

この紅梅を前景か背景に入れて、
和服姿のお姉さんを撮ってみたいですね。