桶狭間の戦いで今川が敗れた後、織田信長と同盟を結んだ松平元康は
名を徳川家康と改め、浜松に進出を始めました。
当時浜松は曳馬(ひくま)と呼ばれ、故飯尾乗龍の妻のお田鶴の方が
曳馬城(現在の浜松城)を治めていました。
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家康の浜松進出に当たり、井伊谷(いいのや)の女城主井伊直虎は
井伊谷城を明け渡し家康に臣従しましたが、
お田鶴の方は、家康の軍門に下るを良しとせず、城の明け渡しを拒否。
「城が欲しくば奪い取ってみよ!」
お田鶴の方自らが防戦の指揮をとり、徳川勢と戦うも多勢に無勢で、
善戦むなしくついに城は陥落。
最期は緋威の鎧を着て長髪が乱れたお田鶴の方と侍女17人が長刀を
持って左右に並び、門を開けて突戦、全員壮絶な討死にを遂げたと
伝えられています。(『徳川伝記』)
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その死を悲しんだ築山御前(お田鶴の方の従兄弟で家康の正妻)がお田鶴の方
を含む戦死者の遺骸を埋め百本あまりの椿の木を植えた塚を作りました。
それから何年か経った後に椿塚には一面に赤い椿の花が咲き、お田鶴の方は椿姫
と呼ばれる様になりました。
元浜町の椿塚の地には、お田鶴の方を祀った『椿姫観音』の祠が、徳川家康を
はばかって小さくひっそりと建てられ現在に至っています。
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現在の浜松城から道路を挟んだ東の丘に、お田鶴の方が住んでいたかっての
曳馬城の本丸があります。
現在は元城東照宮が建てられています。
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こちらは現在の浜松城。
石段を上がると、2014年に復元された天守門があります。
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天守門を潜ると天守閣です。
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浜松城天守閣。
1958年(昭和33年)に復元されました。
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下からパチリ。
天守閣は約60年前に復元されたものですが、
石垣は築城当時のまま。
戦国時代を代表する、実用一点張りの荒々しい「野面積み」の
石垣です。
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浜松城公園の木々も多少色付きだしました。
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一部重複していますが、2018年12月20日投稿の「椿姫」(お田鶴の方)も
併せてご覧いただければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/suishaalbum/c/7ed76ae8d9d9c43519cac6431e177885