飲兵衛の酔写アルバムPartⅡ

毎週1回月曜日に更新します

台湾旅行(その14・開臺天后宮&周氏蝦捲老店)

2018-06-28 00:00:01 | 2018年5月 台湾

安平に来て真っ先に目に入るのがこちらの大きな門、
安平古堡(あんぴんこほう)の前にある開臺天后宮です。

航海の安全を祈願し媽祖神(天上聖母)が祀られています。















赤黒二対の像が左右に飾られていました。















祭壇中央に媽祖神(天上聖母)が祀られていました。








安平は海老の産地として有名です。
そこで昼食は安平老街にある周氏蝦捲老店で「蝦捲(エビ捲き)」に決めました。

こちらが安平老街です。
台南小吃(シャオチー)の店や安平名物「蝦煎餅」の店がずらりと軒を連ねていました。








台湾旅行3日目の昼食、蝦捲(エビ捲き)と虱目魚湯(サバヒーのつみれ汁)と、








汁なしビーフンです。




さすがは安平一の人気店、
台南小吃(シャオチー)を満喫しました。







ところで、話はガラっと変わり台湾旅行とは全く無関係になりますが、こちらが父の日のプレゼント
純米大吟醸「獺祭(だっさい)」です。
さすがは大吟醸、フルーティーな香りが最高でした。











台湾旅行(その13・徳記洋行&安平樹屋)

2018-06-25 00:00:01 | 2018年5月 台湾

こちらは元イギリス貿易会社・徳記洋行の建物です。

台湾では1858年、清朝が英仏米露と結んだ天津条約に基づいて、
1865年、安平と淡水が開港しました。
その結果、ヨーロッパ諸国はこぞって安平に洋行(貿易会社)を設置しました。
徳記洋行は5大洋行の一つに数えられ、台南を拠点に茶、樟脳、砂糖などの輸出
を行いました。

徳記洋行の建物は、日本統治時代には「大日本塩業会社」の営業所として使われ、
日本の撤退後は「台南鹽場」の事務所や宿舎として使われていました。
1979年に台南市政府によって改修整備されて、一般に公開されています。







神戸の異人館を思い出しました。









徳記洋行の奥に「安平樹屋」があります。
敷地内にある倉庫だった建物がそのまま放置され、大きなガジュマルの樹にに覆われ
てしまったのです。。
樹木の持つ生命力とパワーは正に圧巻でした。






















上から見たところです。








こちらが安平樹屋の内部です。




















台湾旅行(その12・安平古堡)

2018-06-21 00:00:01 | 2018年5月 台湾

台湾旅行3日目、午前中は台南の郊外の安平(あんぴん)を訪れました。

安平古堡(あんぴんこほう)は17世紀にオランダによって築かれた城で
旧称を奧倫治城(オラニエ城)と呼ばれていましたが、
その御改築が進み熱蘭遮城(ゼーランディア城)と改名され、
台湾に於けるオランダ勢力の中枢として、行政及び貿易を統括していました。

1662年、大陸を追われた明の遺臣・鄭成功は、新たな拠点を構築するために台湾を攻撃、
既存のオランダ人勢力と対立しゼーランディア城を攻撃した。
その結果オランダ人勢力は台湾から一掃され、台湾史上初めて漢人による政権が樹立され
ました。。
鄭成功は熱蘭遮城を安平城と改称し、鄭氏政権3代にわたって支配者の居城となり「王城」
と呼ばれるようになりました。

しかし清の時代になると荒廃が進み、現存しているのは赤レンガの城壁のみとなりました。








当時を偲ばせる青銅砲が多数陳列されていました。








青銅砲の隣にプルメリアの花が咲いていました。















こちらが現存している赤レンガの城壁です。
この赤レンガは当時インドネシアから運ばれたそうです。





























台湾旅行(その11・阿霞飯店)

2018-06-18 00:00:01 | 2018年5月 台湾

台南天壇の前に「蟹おこわ」で有名な「阿霞飯店」という台南料理のレストラン
があります。
飲兵衛はここで夕食をとりました。
ちなみにこのレストランは台南一の有名店でフリーで入るのは無理、予めホテル
から予約を入れておきました。















店内に入るとひと際大きな蟹のモチーフが目を引きます。








まずは台湾ビールで。








フカヒレのスープ。
こちらの店は金華ハムではなく鰹だしの味付けで、初日の台北・西門の阿宗麺線を思い出しました。








続いてホタテとパプリカ炒め物ブロッコリー添えです。










今回のメインディッシュ「蟹おこわ」です。








最後にデザートの杏仁豆腐。
いや~美味しかった!飲兵衛大満足の夕食になりました。










台湾旅行(その10・原鶯料理屋、台南天壇)

2018-06-14 00:00:01 | 2018年5月 台湾

「原鶯料理屋」は戦前の台南でとても賑わった日本料亭です。
戦後長らく放置されていましたが、2013年に台南市によりその一部が
復元され、台南の新しい観光名所になりました。





























原鶯料理屋の奥には清咸豊4年(1854年)建造された台南天壇がありました。
天壇は、天からのお告げを聞く為に設置されたもので、
神格が最高位の玉皇大帝を祭る廟で、一般に天后廟とも呼ばれています。
































台湾旅行(その9・神農街)

2018-06-11 00:00:01 | 2018年5月 台湾

台湾の古都・台南の古い街並みを残す神農街です。
距離にして2、300m程とそれほど長くない細い路地に、
間口が狭く奥に長い「町屋造り」のようになった建物が軒を連ねて
いました。
かつてこのあたり一帯は、5本の主要運河が流れる商業の盛んな場所で、
神農街はその中心に位置する重要な場所だったそうです。





























神農街中ほど左側、かつてこのあたりで勢力を持っていた“許”姓の人々によって建てられた
「金華府」と呼ばれる廟で、許家の守り神がまつられています。









「台南三郊」と呼ばれる、商業公会組織の幹部としても活躍した大商人「許藏春」
の旧家です。








夕食後にもう一度訪れました。
夜景がとても幻想的でした。









台湾旅行(その8・大天后宮、赤崁楼、全美戯院)

2018-06-07 00:00:01 | 2018年5月 台湾

大天后宮は海の守護神で万能の女神とされる媽祖(まそ)「天上聖母」を祀った
台湾最古の媽祖廟として有名です。

媽祖は、海の事故が起こらないよう航海の安全を守る神様とされ、
願い事をかなえる力が強かったため、しだいにあらゆる願いをかなえる神様として、
信仰されるようになりました。
台湾全土に数百の廟があり、台湾で最も信仰されている神様です。



台湾の寺院(廟)に付き物の電光掲示板にはどうも馴染めません。



























赤崁楼(せきかんろう)は17世紀にオランダ人によって造られ、普羅民庶城(プロヴィンティア城)
と呼ばれていました。
明朝の遺臣で清朝と戦った鄭成功がオランダ軍を駆逐し名前を「赤崁樓」と改め、承天府が設置
され役所の役割を果たすようになります。
鄭成功は当時の日本でもよく知られ、近松門左衛門によって『国性爺合戦』として人形浄瑠璃化
されました。

清朝の時代に入ると、反乱や地震、台風などの被害により、残念ながら赤崁樓の城部分は全壊し
てしまいます。
残された土台の上に建設された「海神廟」と「文昌閣」はこの清朝時代に建てられたもので、
中国の楼閣建築が取り入れられています。






















民権路二段と永福路二段の交差点近くにある、手書きの看板で有名なレトロな映画館
「全美戯院」です。
四本立ての映画を上映中でした。























紫陽花

2018-06-04 00:00:01 | 四季の草花

紫陽花の季節がやって来ました。
そこで今回は「台湾旅行」を中止して浜松市・龍潭寺でパチリした紫陽花をアップいたします。

次回より再び「台湾旅行」をアップいたしますので宜しくお願い致します。