飲兵衛の酔写アルバムPartⅡ

毎週1回月曜日に更新します

出雲旅行(その6・美保神社、由志園、松江城)

2023-06-19 00:00:01 | 2023年5月 出雲

出雲旅行最終回は美保神社、由志園、松江城をアップいたします。

出雲旅行三日目、
飲兵衛が泊まった美保関の福間屋旅館のすぐ隣に美保神社
があり、
旅館を出発する前にお参りしました。

美保神社は全国3000以上あるえびす様の総本宮です。
出雲大社の大国主大神は大黒様、美保神社のえびす様と
合わせて「えびすだいこく両参り」と呼ばれ、
両方合わせてお参りすることで、よりよい縁に恵まれる
といわれます。

 

 

拝殿の奥に本殿があります。

 

 


美保神社を後にして次の目的地、大根島の由志園へ向かいました。
ちょうど牡丹の季節で
、入園料が通常の900円から1,400円へと変更
されてしていましたが、
それにも負けない実に見事な池泉牡丹(牡丹池)に
感激しました。

今回の出雲旅行の「三大感激」をあげると、
・出雲古代歴史博物館の銅剣・銅鐸、
・福間屋旅館の魚尽くし料理
・由志園の池泉牡丹(牡丹池)
でしょうかね。

この牡丹池は4月29日~5月7日まで9日間しか見られないので、
本当にラッキーでした。

入り口の館を抜けると目の前に鮮やかなが池泉牡丹が広がり、
あちらこちらで歓声が沸きあがりました。

 

 

 

 

物凄い数の牡丹、圧巻です!

 

 

 

 

 

 

 

 

牡丹って本当に綺麗ですね。
お花ちゃんには興味が無い女房殿も「わ~綺麗!」の連発で
大興奮してました。

 

 

牡丹の品評会も行われていました。

 

 

牡丹の館では温度や湿度、日照時間が一定に保たれ、
季節を問わず大輪の牡丹が見られます。

 

 

 

 

由志園は牡丹だけではありません、日本庭園もとても素敵でした。

 

 

 

 

庭園内を流れる清流がとても涼しげで爽やかでした。

 

 

もっとゆっくり見て周りたかったな~。
後ろ髪を引かれる思いで由志園を後にして、最後の目的地・松江城へ向かいました。

松江城の専用駐車場(有料)には空き待ちの車が長い行列を作って
いましたが、
何と嬉しいことに、その横の島根県庁が無料で駐車場を解放していて
即車を留めることができました。
島根県庁さん~ありがとう~。

こちらが国宝・松江城の天守閣です。

 

 

下から見上げてパチリ。

 

 

天守閣を西側からパチリ!

 

 

松江城のお堀を周遊する堀川遊覧船です。

 

 

 

 

最後に小泉八雲の旧宅です。
中に入ると入場料310円がかかりますので、外からパチリしました。

 

6回に渡ってお送りしてきました出雲旅行も今回で終了しました。
お付き合い頂き本当にありがとうございました。

 


出雲旅行(その5・水木しげるロード、美保関)

2023-06-05 00:00:01 | 2023年5月 出雲

足立美術館ですっかり意気消沈の飲兵衛でしたが、
安旨の米子ラーメンで気をを取り直し、
次の目的地の境港の水木しげるロードへ向かいました。

境港駅前は水木しげるさんの妖怪キャラクターで満ち溢れていました。

 

 

執筆中の水木しげるさんを鬼太郎とねずみ男が
覗き込んでいます。

 

 

 

 

境港駅から水木しげる記念館まで約800m続く「水木しげるロード」には約200体の
ブロンズ像が並んでいます。

悪魔君とメフィストフェレス

 

 

目玉おやじ

 

 

ゲゲゲの鬼太郎

 

 

一番人気は「ねずみ男」ですね~。

 

 

河童の泉。
ネットではこの泉にお金を投げ入れるると幸運が訪れるって
書いてありましたが、
投げてる人誰もいませんでしたよ~。

 

 

何と「妖怪神社」までありました。
こちらは人が一杯=お賽銭も一杯(?)

 

 

「目玉おやじ」の清めの水です。

 

 

水木しげるロードの後は境港を後にして、その日の宿の
美保関(みほのせき)へ向かいました。

宿の夕食にはまだ時間がありましたので、先に美保関灯台を
訪れました。

 

 

近寄ってみると意外と低いですね。
日御碕灯台を見た後だけに拍子抜けしました。

 

 

これなら飲兵衛が昇っても怖くなさそうでしたが、
残念ながら現在は入場禁止になっていました。

 

 

こちらが2日目の宿「福間屋」です。
1717年(享保2年)創業の老舗旅館です。

(画面中央下のガラスの扉に飲兵衛が映ってます。)

 

さて、こちらがこの旅館の一番の売り!
大評判の魚尽くしの夕食です。

飲兵衛のヘボ写真では上手く伝わらないのですが、
とにかく物凄い量の魚、魚、魚~!
食べるのが忙しくて、ビールを飲む余裕が無い!
中瓶一本を持て余し気味になるほどのボリュームでした。

 

 

主なものを紹介しますと、
まずは蟹。

 

 

白身魚の煮物です。
腹を下にして目が左側。
「左ヒラメに右カレー」っていいますので、
ヒラメでしょうね?

 

 

刺身。
写真からは分り難いかも知れませんが、
厚くて大きなブツ切りで、かなりのボリュームでした。

薄切り自慢の浜松の回転寿司店でしたら、この一切れで
握り寿司十個は作れるかも?

 

 

鍋。

 

 

これが絶品!
黒鯛の塩焼き。

 

あまりのボリュームにビール中瓶1本がやっと。
鰻飯もありましたが、お腹が一杯で食べられませんでした。
昔は「痩せの大食い」今は「太り気味の大食い」の飲兵衛が食べ残すなんて~!
もう勿体なさ過ぎます~。
というわけで、おにぎりにしてもらって翌日食べました~。

旨い魚を腹一杯食べたい方には、福間屋さんの魚尽くし料理は絶対のお勧めです。
ビールだとお腹が苦しくなるので、日本酒が良いかも?
ただこちらの旅館は館内の隅々まで魚の臭いが染み付いていますので。
魚の臭いが気になる方にはお勧めできません。

 

次回(出雲旅行最終回)は美保神社、由志園、松江城をご紹介いたします。

 

話は変わって、
先週の土曜日(6月3日)パチリ。
我が家の紫陽花が色づきだしました~。

数年前までは青色だったのですが、昨年からピンク色に
変わりました。
土壌がアルカリ性に?

なんでだろう?

 

 


出雲旅行(その4・八重垣神、足立美術館)

2023-05-29 00:00:01 | 2023年5月 出雲

出雲旅行2日目。
素盞鳴尊(すさのおのみこと)が 八岐大蛇 ( やまたのおろち )
を退治し、稲田姫(いなだひめ)と暮らしたと伝えられる八重垣神社を
訪れました。

 

 

随神門です。

 

 

隋神門をくぐると正面に八重垣神社拝殿が見えます。

 

 

 

 

参拝者の皆さんは鏡の池で使うために、拝殿右横の神札授与所で
占いの用紙(お札)を購入します。

お二人の許可は得ていますが、念のためにお顔はマスクしました。

 

 

拝殿の奥には本殿があります。
境内を更に奥へと進むと、
佐久佐女(さくさめ)の森になります。

 

 

佐久佐女の森は、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が 八岐大蛇 ( やまたのおろち )
を退治するまで、稲田姫(いなだひめ)が大杉の周りに八重垣を築いて避難された
森です。

ちなみに、古事記では姫は櫛に変身、素盞鳴尊の髪にさされて守られましたが、
八重垣神社の伝承では日本書紀同様、櫛には変身せず、森に隠れて難を逃れて
います。

この森にあるのが「鏡の池」で、稲田姫が飲料水としたり鏡の代わりにお姿を写さ
れたと伝えられています。

鏡の池では、先ほど購入した占い用紙に百円か十円をのせ浮かべてお祈りをします。
用紙が早く沈む(15分以内)と良縁が早く、遅く沈むと縁が遅いと云われています。

 

 

 

 

さて次に訪れたのはガイドブックなどで絶賛の足立美術館
でしたが、
まずはこの入館料を見てビックリ仰天!
何と~!
入館料が2300円もするんです~!
これじゃ余りに高杉晋作!
止めようか?
と迷いましたが、一生に一度の贅沢と意を決して
入ることに
しました。

 

 

でも入館してすぐに後悔。
ここの超有名な日本庭園は回廊の中からガラス越しに見るだけ。
庭に出て直接見ることができないのです。
ガラスの無い所が数箇所あって、
そこでお決まりの記念写真を撮るだけ。
飲兵衛達(ヘボ)写真愛好家には全くのガッカリ庭園となりました。

 

 

 

 

 

後で気づいたのですが、足立美術館の駐車場で車に乗る時に
帽子を落としてしまいました。
「泣きっ面に蜂」とは正にこの事。
もうトホホホでした。

足立美術館で割に合わぬ大出費をして意気消沈の飲兵衛、
お昼はお金をかけずにラーメンにしました。
何と嬉しいことに米子ラーメンが一杯450円でしたよ~!

 

 

量はすこし少ないものの、味はなかなかでした。
そこで一曲!

♪ 安いことは 良いことだ
 美味しいことは 良いこと
 ゴクうま 米子ラーメン

 安く食べて 美味しく食べて
 450円とは 良いことだ
 ゴクうま 米子ラーメン
 ポピ ポピ♪
https://www.youtube.com/watch?v=Derx55PXa8k&t=1s

 

 

 

更に驚いたことに、何とこのラーメン昨年までは380円とのこと。
驚き!桃の木!山椒の木!
びっくりポンの浜松屋でした。

 

次回出雲の旅は、
水木しげるロード、美保関(灯台)へと続きます。

 

話は変わりますが、
昨日5月28日(日)、紫陽花を撮りに訪れた浜松市引佐町の龍潭寺で
飛んでいるトンボをパチリしました。
「ダビドサナエ」(だびど早苗)でしょうか?
体長40~50mmの小型のサナエトンボ
とまでは分るのですが、
いまいち名前がはっきりとは分りません。
どなたかお分かりの方がいらっしゃいましたら、宜しくご教示の程、
お願いいたします。

 

 

 

 

 


出雲旅行(その3・稲佐の浜、日御碕神社、日御碕灯台)

2023-05-22 00:00:01 | 2023年5月 出雲

出雲大社をまっすぐ西に向かうと稲佐の浜(いなさのはま)
になります。
神無月(出雲では神在月)の時に出雲に集まる八百万の
神々をお迎えする浜です。

こちらの砂浜に飛び出した島(岩)は弁天島と呼ばれ、かつては
稲佐湾の
沖にあったのですが、
近年急に砂浜が広がり、現在では島の後まで歩いて行けるよう
になりました。

 

 

江戸時代には弁天様が祀られていましたが、
明治政府の神仏分離令により豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)
=わだつみの神(海神)で豊玉姫の父神、が
祀られる様になりました。

飲兵衛思うに、やはりこの島には弁天様の方が似合いますね。

 

 

稲佐の浜より北へ、日御碕(ひのみさき)神社へと向かいました。

日御碕神社は、
素盞嗚尊(スサノオノミコト)を祀った「神の宮」
(上の宮)と
天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀った「日沉宮」(下の宮)
上下2社からなり、
両本社を総称して「日御碕神社」と呼ばれています。

桜門です。

 

 

 

 

楼門をくぐると、右手の小高い所に「素盞嗚尊」(スサノオノミコト)を
祀った「神の宮」(上の宮)があります。

 

 

 

 

神の宮の拝殿です。

 

 

拝殿の奥に本殿があります。

 

 

本殿を左側からパチリ。

 

 

こちらは桜門の正面、
天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀った「日沉宮」(下の宮)です。

 

現在の社殿は江戸幕府3代将軍徳川家光の命により、当時の松江藩主であった京極忠高が
1634年(寛永11年)に着手し、1644年に松平直政が完成させました。
上下の二社どちらも、朱、白、黒のコントラストがとても華やかな権現作りです。

 

駐車場横の食堂では、天日干したイカの姿焼きが売られていました。
とても美味しそうでしたが、女房殿が嫌だと言うので諦めました。
(涙・・・)

 

 

いよいよ岬の先端、日御碕灯台に到着しまいた。
青い空に白い灯台が映えてとても綺麗でしたよ~。

 

 

 

 

皆さんこんな高いとこ、お金を払ってまでよく昇りますね。
高所恐怖症の飲兵衛、お金を貰っても嫌です。

 

日御碕灯台は日没時の夕日が絶景だそうですが、
さすがにそれまでは待てず、その日の宿の玉造温泉へ向かいました。

次回は八重垣神社、安達美術館へと続きます。

 

 

 


出雲旅行(その2・出雲大社)

2023-05-15 00:00:01 | 2023年5月 出雲

ダークダックス 大黒さま 童謡・唱歌

 

 

ところでなぜ大国主命が大黒様(七福神の大黒天)なんだろう?と思い、
早速ググってみました。
どうやら「大国」→「大黒」の語呂合わせだった様ですね。

 

出雲大社は古代出雲歴史博物館のすぐ隣です。
大鳥居をくぐり松並木の参道を進むと、お囃子の音色が聞こえてきました。
なんだろう?と近寄ってみると、
神代神楽の「八戸」(やと)が演じられていました。

皆さんご存知の、須佐之男命(スサノオノミコト)が八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)
を退治して櫛名田比売(クシナダヒメ)を助けるという、
日本版アンドロメダ物語です。

古事記と日本書紀では漢字表記や人名が違っていますのでまとめてみます。

    (古事記)            (日本書紀)
・須佐之男命(スサノオノミコト)→ 素戔男尊(〃)
・八俣遠呂智(ヤマタノオロチ) → 八岐大蛇(〃)
・櫛名田比売(クシナダヒメ)  → 奇稲田姫(クシイナダヒメ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後まで観たかったのですが、
この手の伝統芸能には全く興味の無い女房殿が早く行こうとせっつくので、
残念ながら会場を後にしました。

 

 

参道を進むと拝殿になります。
こちらのしめ縄はそれなりに大きいものの、
最後ににアップした神楽殿の大しめ縄ほどではありませんでした。

 

 

拝殿の奥には御本殿がありますが、その前にこちらの
八足門(やつあしもん)があり、御本殿の敷地には入れませんでした。

 

 

東側からから御本殿の周りを半時計回りに回りました。

 

 

御本殿裏側です。

 

 

因幡の白兎でしょうか?

 

 

御本殿のちょうど真後ろに、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祀られている
素鵞の社(そがのやしろ)があります。

 

 

御本殿を西側後方から.パチリしました。
社伝によれば、出雲大社本殿の高さは、最古は約96mの巨大神殿であり、
その後約48mになったといい、
現在は約24mをはかります。 
『口遊』に登場する平安時代の出雲大社は、48mの壮大な建物であった
といわれ,、その1/10復元模型が古代出雲歴史博物館に展示されていました。

 

 

神無月(出雲では神在月)の時に、出雲の国に集まった八百万の神様達が
泊まった云われる十九舎です。
東と西にありこちらは西十九舎になります。
意外と小さい~!
これでは八百万の神様達ギュウギュウのすし詰めで、おちおち眠る事も
できなかったでしょうね?

 

 

西十九舎を過ぎて右に曲がると、出雲大社の中で一番の人気スポット
神楽殿になります。
日本最大級の大しめ縄は実に圧巻でした。

 

 

 

 

かなり下がらないと画面に全景が入りきれません。

 

出雲大社ではいたる所にお賽銭箱がありますので、
小銭が一杯必要です。
その点飲兵衛、小銭だけは一杯持っているので困りません。
でも飲兵衛がこの世で一番好きな諭吉先生は何時もいらっしゃらなくて・・・
もうトホホホなんです。
(涙・・・)


次回は稲佐の浜、日御碕(ひのみさき)神社、日御碕灯台へと続きます。

 

 


出雲旅行(その1・古代出雲歴史博物館)

2023-05-08 00:00:01 | 2023年5月 出雲

皆さんGWいかがお過ごしでしたでしょうか?
飲兵衛は5月2日~4日と2泊3日で出雲地方を旅行、
好天に恵まれ快適な旅となりました。

今まで旅行にはセントレアを利用していたのですが、
今回初めて富士山静岡空港を利用しました。

富士山静岡空港は地方のこじんまりとした空港で
飛行機も乗客も少なく、手荷物検査などの搭乗手続きも時間が
かからず、とても気楽に利用できました。
浜松からも近く、無料駐車場もあります。
運行路線は少ないのですが、もし目的地の路線があれば
とても便利です。

搭乗したのははFDA(フジドリームエアラインズ)の
小型ジェット機で、JALのコードシェア便でした。

 

富士山静岡空港を離陸しました。

 

 

画面中央に富士山が見えます。

 

 

 

 

富士山静岡空港を離陸して約1時間。
日本海が見えてきました。

 

 

富士山静岡空港を飛び立って1時間10分。
出雲空港に着陸しました。

 

 

出雲空港でレンタカーに乗り、、
歴史好きの飲兵衛が、今回の旅行で最も楽しみにしていた
「島根県立・古代出雲歴史博物館」へ向かいました。

古代出雲博物館ではイオンカードの提示により、
なんと620円の入館料が490円に割引!
いや~これはお得!
幸先の良い旅行が始まりました~。

常設展示場に入ると、
平安時代の高さ48mの出雲大社本殿の1/10の復元模型が
目に飛び込んできました。

 

まるで大空に聳え立つような。
1/10の復元模型でもこの迫力。
当時の出雲大社本殿は実に壮大な建物だったのですね。

 

 

こちらが出雲大社境内遺跡より出土した宇豆柱です。

 

 

いよいよ「神々と青銅」の展示室です。

荒神谷遺跡からは、何と弥生時代(紀元前2~1世紀)の銅剣
358本がまとまって出土しました~!
(いずれも国宝に指定)

通常遺跡から出土する銅剣は数本程度。
この様に膨大な数の銅剣がまとまって出土したのは正に圧巻!
飲兵衛達歴史マニアを驚愕させました。

こうして358本の銅剣を目の前にして、飲兵衛ただただ感激するのみ。
でも女房殿はつまらないから早く行こうって、
ほんと情けない女(ひと)ですね~。

 

 

 

 

 

 

358本の銅剣が出土した荒神谷遺跡のすぐ近く加茂岩倉遺跡からは、
これまた全国最多の39個の銅鐸が出土しました。
いずれも国宝に指定されています。

 

 

 

 

 

最初に日本を統一した古代出雲王朝の存在は、神話からも十分に想像され
ていましたが、

弥生時代の出雲の大王がこれほど大量の銅剣・銅鐸を所有=強大な権力を
持っていようとは!
「神々と青銅の世界」は正に神秘溢れる浪漫の世界。
これほどの国宝が490円で見られるなんて~!
飲兵衛大感激しました。


続いて、
これまた一度は現物を見てみたいと思っていました。
俗に「卑弥呼の鏡」と呼ばれる「景初三年」の文字が入った三角縁神獣鏡です。
景初三年(239年)は邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏に使いを送り、
銅鏡100枚を賜ったとされる年であることが知られています。

 

 

赤枠で囲ったところが「景初三年」の文字なのですが、
目を皿の様にして見てみたのですが、
残念ながら「景X三年」としか読めませんでした。

三角縁神獣鏡は本家の中国では一枚も発見されず、現存の三角縁神獣鏡
は全て日本で出土されているため、
仿製鏡(中国鏡を模倣して日本でつくられた鏡)ではないかとの説もあります。

 

 

 

最後に、弥生時代より数百年後、古墳時代(6~7世紀)の金銅装双龍環頭太刀
です。
1925年(大正14年)に発見されたものです。
発見時には鞘から刀剣が引き抜けたと記録されているように、稀に見る
保存の良さで、奇跡の輝きを今に伝えています。

 

次回は出雲大社へと続きます。