銭湯の散歩道

神奈川、東京を中心とした銭湯めぐりについて、あれこれ書いていきます。

近代産業のはじまりー横須賀製鉄所

2022-06-29 08:17:00 | 歴史

日本の近代産業のはじまりはどこから起きたのかご存知でしょうか?

一般的には貿易がはじまる日米修好通商条約あたりから横浜を起点に西洋の技術導入が広がったというイメージがあるかもしれませんが、実はその胚芽とよぶべき場所が横須賀にありました。
かつてバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎は、ロシアに勝利できたのは小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただのぶ)のおかげと述べています。
その小栗忠順がつくったのが横須賀製鉄所でした。






横須賀製鉄所は、明治政府が樹立される以前の幕末のころに遣米使節(日米修好通商条約の批准を目的とした旅)でアメリカの産業をつぶさに見学した小栗忠順が世界と互すためにも日本におなじような施設が必要だと考え、幕府に具申して実現したものです。
当時の幕府は慢性的な金欠状態で製鉄所をつくる余裕など無かったのですが、小栗が話を強引にすすめると後戻りできない状態にしてしまい、反対派の声をふうじ込めました。
それがのちに日本における近代国家の礎となったのです。


▲日本近代産業の父である小栗上野介忠順の肖像画。別名は又一。ご先祖様が戦国時代にいつも一番に駆けつけて、大将から「又お前が一番か!」と言われ、子孫も又一と名乗るように言われたからです


この横須賀製鉄所がいかに革新的だったのかは、その運営方法を知れば理解していただけると思います。
当初、横須賀製鉄所をつくるにあたってアメリカ人にたのむ予定でしたが、この時のアメリカは南北戦争の真っ最中で外国に技術者を派遣する余裕などありませんでした。
そこで白羽の矢が立ったのがフランスでした。あるいはフランスの方から歩み寄ってきたと言うべきかもしれません。というのも当時のフランスはカイコの伝染病により自国生産の生糸が壊滅的状況におちいり、伝染病に強いカイコや生糸を輸入する必要に迫られていました。当時の日本の主力貿生品は生糸だったので、双方にとって願ったりかなったりでした。
そこで駐日フランス公使や小栗らが会談して、中国にいたフランス人技術者ヴェルニーを呼び寄せ、彼に任せることになりました。
この横須賀製鉄所が現代に与えた影響はとても大きく、特によくとりあげられるのはメートル法の採用です。今では当たり前に使っている長さの基準ですが、このメートルは横須賀製鉄所から導入されました。
もしもアメリカ人に製鉄所の設計を頼んでいたなら、現代で使われている尺度はインチになっていたかもしれません。
労働管理において時間単位が導入されたのもここが初めてです。それまでは1日の仕事は日の出から日没までという季節によって時間が異なるアバウトなものでした。
そこで西洋式の時計台を作り、時間単位で労働を管理することにしました。日曜日を休日にしたのもここがはじめて。さらには給与の支払いを月給にしたのもここがはじめて。
ようするに、今では当たり前と思っている労働管理のすべてがここから始まったのです。



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