銭湯の散歩道

神奈川、東京を中心とした銭湯めぐりについて、あれこれ書いていきます。

のれんと日本人の曖昧さ

2023-04-06 06:42:00 | 銭湯考

銭湯巡りをしていると必ず遭遇するものが、暖簾(のれん)。日本独自に進化した布製の看板である。
銭湯にしても、スーパー銭湯にしても、必ずあるものだ。銭湯以外だと飲食店の入り口にも多くみることができる。
もともと、のれんはお店の名前をあしらった看板の意味もあったし、開店している目印でもある。
現代に至っては、伝統的な風情の演出に使われることがほとんどだ。

今はなくなりつつあるが、昭和の頃は家の中に珠暖簾(たまのれん)というものも取り付けられていた。ひと昔前まではのれんは家庭の中でも日常生活にとけ込んだ身近なものだった。ただ、今は廃れて見かけることがほぼない。

なぜ珠暖簾が無くなってしまったのかは定かでないが、家の作りが和風から洋風に変わったことが主な原因だろうと指摘されている。本質的には、プライバシーを明確に区別する時代になったからではないかと推察する。

のれんは目隠しであると同時に、境界を示すものであった。
ただしその特徴は物理的に遮断するものではなく、記号として見せることで相手を完全に排除するわけではないメッセージを含ませている。そして相手にそれを守ってくれるモラルがあることを前提としていた。
日本の家屋は障子に象徴されるように、完全なプライバシーを守ることはなかった。その曖昧さを良しとすることが、日本人らしい感性ではないかと感じる。

一方で、最近は曖昧さをよく思わない考え方が少しずつではあるが浸透し、世の中全体が線引きを明確にしてるように思える。
線引きがルールならば、曖昧さはマナーである。
マナーは絶対に守らなければならないわけではないが、一般的に不文律で守るべきものとされる。そこには相手が持つモラルへの期待があり、期待に応えようとする社会の成立が前提にある。
人はモラルに不信感を覚えると、マナーではなくルールを適用しようとする。
のれんの衰退は、他人への信頼やモラルに対する認識の変化とも無縁ではないのかもしれない。


風呂なし物件論争

2023-01-18 12:22:00 | 銭湯考

先日、朝のテレビ番組モーニングショーで風呂なし物件を選ぶ若者が増えているという報道がなされ、それがYahoo!に掲載されて話題になった。

風呂なし物件はほとんど昭和時代の遺構のような古いアパートではあるが、都心にありながら3万ほどとかなりの格安で借りることができる。
いまだと東京の銭湯は一回につき500円。単純計算すると毎日通うとして15000円。つまり実質的な家賃は30000万+15000円で45000円になる。
回数券は10回で4500円なので、回数券を買えば銭湯代は月13500円になる。

この話題が掲載されると、Yahoo!のコメントではお金がないから仕方なく選んでるのだろうという意見が大半だった。
たしかに金銭的な余裕があれば、あえて風呂なし物件を選ぶ人は少ないだろうとは思う。一方で銭湯がすぐそばにあれば、これはこれで十分アリな気がする。

というのも、若い人たちに話を聞くと、一人暮らしの場合はお風呂に入らない人が多い。お風呂に水を入れて、お湯を沸かして、使い終わったら洗って、という一連の作業が億劫なのだ。お風呂を使えば水道代やガス料金が掛かるため金銭的な負担も当然ながら増える。

現在の銭湯は、日常的に体を洗う場所というよりもリラクゼーションへと変貌を遂げており、新しく改装された銭湯はスーパー銭湯なみに充実した設備を用意している。毎日そうしたお風呂に入れるというのはむしろ贅沢な気がする。
これは個々人の状況によって大きく変わるだろうが、風呂なし物件は見方によっては合理的な判断なのである。

一方でデメリットもある。
銭湯業界は全体的に見ると斜陽で、近くの銭湯がずっと存続してくれる保証はない。突然、廃業しますという張り紙が張られることもありえる。
個人経営のところは毎日営業しているわけではないので、このへんも見極める必要がある。理想としては複数の銭湯が営業をしてると安心できるだろう。
基本的に15時ぐらいから開店して、ほとんどは夜中まで営業しているが、早いところは22時ぐらいで閉店する。
夏場は日中に大汗をかいてもすぐにシャワーを浴びることはできず、しかも銭湯の帰りに再び汗をかいてしまうなんてシチュエーションは十分ありえる。
このように自分の都合でお風呂に入れない不便さや、天候によっては大雨の中でも通わなくてはいけないストレスを感じる時もあるはずだ。
家賃を低くおさえる代わりに毎日広いお風呂に入れるメリットとともに、不便さとトレードオフする覚悟は必要である。

こうした風呂なし物件が若者に支持される背景には、“銭湯の再評価”があると考えられる。近年のサウナブームに後押しされた形もあるだろうが、今の20代は子どもの時にスーパー銭湯に通った経験があるだろうから大衆浴場への抵抗もなく、銭湯自体がリノベーションによって設備の充実をはかり、特にデザイナーズ銭湯は非日常空間の演出に優れている。

近年はお金の使い方で合理的に判断する若者が増えてきたことと、銭湯の再評価が一致して風呂なし物件を選ぶ若者が増えてきたのではないかと思う。
色々と賃金のあがらない問題や物価高騰など暗い話題があるが、そうした中でそれらに対応できる新しい選択肢が増え、新しい体験ができるというのは決して悪くないのではないかと考えている。





お風呂は四大欲求のひとつ?

2023-01-11 06:32:00 | 銭湯考




人間には、三大欲求とよばれるものがあります。
食欲、睡眠欲、性欲です。
食欲や睡眠はなくては生きていけないものですし、性欲は若い時こそ猛(たけ)る欲求で加齢とともに徐々に減退するという側面はあるにせよ、一般的に知られた普遍的欲求ではあります。

さらに四大欲求と呼ばれるものもあります。一般的には、承認欲求がそれです。たしかに多くの人から誉められたいという気持ちは誰しもありますよね。社会的な生き物である人間を特徴づける欲求ではないかと思うのですが、しかし個人的にはこの四大欲求は承認欲求ではなく体温欲求ではないかと考えています。
寒い時は暖まりたい。暑い時は体を冷やしたい。ごく日常的に感じる、ありきたりな感覚の欲求です。
これは単にそれぞれ個別の欲求にとどまらず、ほかの欲求とも深く関連した欲求ではないかと思うのです。

たとえば、寝るときに寒いと眠れないので、布団を被って体を暖めたいと思います。暑くて寝苦しい時はクーラーをかけて涼しくします
寒い時は、温かいものが食べたくなります。暑い時は冷たいものを食べたくなります。
このように、個々の欲求をかなえる時でも、体温の欲求に応じて嗜好が大きく変わってきます。

この体温を大きく変えてくれる場所が、まさに温泉だったり銭湯なのです。いまだとサウナブームが起きていますが、体温を上昇させるというのはとても気持ちがいいもので、自律神経を整えてくれる作用もあります。

時代とともに娯楽は増え、選択肢は多くなりましたが、そんな時代であっても温泉や銭湯はいつの時代も人気を誇っています。特に驚かされるのはスーパー銭湯で若者が多いことです。
常にスマホを眺めていないと落ち着かない人たちが多い中で、スマホを持ち込めない公衆浴場をあえて自ら来るということは、それだけ銭湯というものが人間の普遍的な欲求を叶える場所だからではないかと思うのです。


ノーベル賞で見る銭湯の適温

2022-06-02 09:00:00 | 銭湯考

2021年のノーベル賞生理学・医学賞は、「温度受容体および触覚受容体の発見」に授与されました。
人体の視覚や聴覚の仕組みは早い段階から分かっていたのですが、温度センサーに関しては20年近く前までほとんど分かっていませんでした。
20世紀末期にその実像を明らかにしたのは、米カリフォルニア大学サンフランシスコ校のジュリアス氏と、米スクリプス研究所のパタプティアン氏です。

じつはこのノーベル賞を受賞した発見には、日本人の富永真琴さん(名前は女性ぽいですけど男性の方です)という方が関わっていました。
遺伝子配列を分離するクローニング技術を学ぶためにジュリアス研究所へと留学した富永さんは、カプサイシン(お馴染みの方も多いかと思います)という辛みの成分がどの受容体で反応するのか探っていました。
やがて富永さんが所属する研究チームは、TRPV1という受容体を発見します。
TRPV1は、ショウジョウバエが持つ光の受容体と構造が酷似していました。
辛み成分に反応する受容体をみつけたジュリアスさんはミーティングの中で、「トウガラシは食べると熱を感じるから、TRPV1は熱にも反応するかもしれない」と提案し、試しに確認してみたところなんとTRPV1は熱にも反応することが判明したのです。このことがノーベル賞受賞につながりました。
英語でhotは、「辛い」と「熱い」の両方の意味を持ちますが、人間に備わったTRPV1受容体はまさに辛さと熱に反応するものだったのです。
そして興味深いのは、その反応温度です。43℃以上になるとTRPV1はカプサイシンがなくても反応を示しました。

スーパー銭湯のような大型温浴施設だとほとんどが42℃を上限に設定しています。これは快適な温度が42℃までであることを経験的に踏まえたものなのですが、ノーベル賞受賞はその温度設定が科学的に正しかったことを証明しました。

ただ、古い銭湯だとそれ以上のところがほとんどです。高いところになると47、8℃。極端な場合は、50℃以上のところもあります。

これも科学的に説明が可能で、人は痛みを感じると痛みを和らげるためにβ-エンドルフィンという神経伝達物質が分泌されます。それが痛覚を抑えるとともに脳の報酬系に働きかけてドーパミンが放出されるのです。ドーパミンは脳内麻薬とも呼ばれ、快楽を引き起こします。
この高温による気持ちよさの正体は、TRPV1を介した痛みのトレードオフによって得られた快感だったわけです。

こうした高温による楽しみ方は昭和初期から続く一つの文化ではありますが、近年の研究成果を踏まえると、やはり42℃ぐらいに抑えるのが適切と言えるかもしれません。
何事も行きすぎた行為は決して良い結果をもたらさず、銭湯に限らずですが程よいバランスをみつけて楽しむのが一番ではないかと思います。






映画と銭湯の話

2022-03-24 06:15:00 | 銭湯考

先日、Netflixで「ようこそ映画音楽響の世界へ」という番組を見ていていたら、映画業界と銭湯業界が構造的に類似していることに気が付いた。



番組は、映画の裏側を紹介したもので、関係者へのインタビュー、細分化された作業や映画史における音楽の立ち位置などを掘り下げた構成だったが、とくに映画史の変遷は銭湯業界の歩みと軌を一にしている。

映画はかつて娯楽の王様として一世を風靡したが、テレビの出現によって大きな後退を余儀なくされた。銭湯業界はというと、内風呂の出現により凋落を招いた。トドメを刺したのはスーパー銭湯だ。
風呂なし物件が大半だった時代、銭湯は絶対になくてはならないインフラだったが、内風呂の普及によって必然性を失い、非日常空間を求める人たちはスーパー銭湯に流れた。町のちいさな銭湯はどんどん消え去り、いまや風前の灯火である。

ところでテレビにより苦境にたたされた映画業界は、見事な巻き返しをはかっている。そのキッカケとなったのが音響設備だった。
従来のスピーカーは画面の奥に1つだけ設置されていたが、ステレオが映画にも応用されると、音響効果が劇的に飛躍した。
さらには現在の5.1chサラウンドであるが、これは日本人の富田勲がホルストの「惑星」を全方向音響で演じるという実験をしたことが注目を集め、アメリカの映画関係者が映画に取り入れることに成功する。こうして、テレビでは困難な差別化が可能となった。

最近ではスーパー銭湯が大きな躍進を遂げている。
様々な設備を用意して、漫画本やリラクゼーションルーム、マッサージサービス、飲食、仮眠施設等などだ。
こうしたサービスの先鋭化は、現在も進行中である。

ところで、一般の銭湯の立ち位置はどうだろうか。さながらミニシアター系といえるかもしれない。
大手映画館のような新しい設備は用意できず、古い設備を延命させながら、ニッチ産業と化している。
ただ、銭湯業界も手をこまねいているわけではなく、一部でデザイナーズ銭湯が生まれ、スーパー銭湯の設備をキャッチアップする銭湯も出現し始めている。
レトロな銭湯を再評価する声も聞かれる。

最近みたニュースの中で面白いと感じたのは、渋谷にあるTSUTAYAが昔の古いビデオ(VHS)のレンタルを開始したということだった。


VHSに関しては20代の利用者がもっとも多く見られるという。
今の20代からするとかつてのビデオは新鮮な体験をもたらしてくれるものに違いない。DVDやオンライン配信では見られなくなったコンテンツを発掘することもVHSなら可能だ。
実は銭湯もおなじで、今は失いつつあるレトロ銭湯が若者に人気である。若い人からすればノスタルジックな銭湯が新鮮な体験をもたらしてくれる。
やはりどんな時代も、新しいもの、新鮮な体験を人は求めている。それが歴史的に古いかどうかではなく、個人的に新しいかどうかだ。

時代の変遷の中で見えてくるのは、従来の秩序やヒエラルキーを破壊し、脅かしていた存在が進化の機会を与えているということである。
テレビが出現する以前の映画は工業製品のように似たような作品ばかりが乱造されていたが、テレビの出現によって映画業界はコンテンツのみならず劇場のハードも含め進化を遂げた。
銭湯もかつてはほとんど画一的なものばかりだったが、内風呂やスーパー銭湯の出現によって、それぞれの銭湯が設備を充実させてきた。
ライバルの出現は大きな痛手を被るが、長い目で見たときにその存在は自分たちを成長させてくれる貴重な存在である。

これから銭湯業界がどういう方向性を目指すのか分からないが、レトロをブラッシュアップしていくのか、個性を磨いていくのか、新しいサービスを開拓していくのか。どちらにせよ、それがほかと差別化された新しい体験である必要はあるだろう。

いつの時代も変えてはいけない普遍的な価値観と、変えていくべき新しい価値観がある。銭湯業界もその両輪が上手くかみ合ったときに、正しく前進できるのではないかと思う。