実家の片付けをしていたら親父がプリントアウトした文書が出てきた。
親父は自殺した母のことをいつも非難し、俺は被害者だと主張する文書をあちこちに送りつけていたようだ。
息子の私にも当然何通もそれは届いていたが、その中のひとつを印刷していたのだ。
もう一つはその文章に対して、私がいい加減にしろと書いて送ったメール、かなりきつい書き方をしたものをやはり印刷していた。
親父は私が返信しても反論はしてこなかった。私が指摘したことはスルーして同じような主張を繰り返した。
都合の悪いことは聞いてない事にするのか、と腹立たしかった。
だけど読んでいたんだな。
どう思っていたのだろうか。
自分なりに強固な理論武装していたから再度理屈を立てて、私に反論しようと思っていたのか。
それとも聞きたく無いことを言われて傷ついていたのか。
今となってはわからない。
親父のことについて話し合う人もいないし、文書はゴミ袋に突っ込んだ。明日ゴミで出す予定だ。
このままにしておけばいずれ自分も忘れてしまうだろう。
だけど、こんなこととがあったことを忘れたくないと思ったのでブログに書いておく。
親父は病気になっても頑なに入院を拒否し家に帰った。
ケアマネさんは、お父さんは家への愛着が強いですね、といっておられた。
認知症だったが私にわがままな事を強く要求したりすることは全くなかった。
息子に拒絶されているとわかっていて諦めていたのかもしれない。
私は誠意を持って父に接しよう、ズルや手抜きはしないでおこう、と努めてはいたが、親子としての情を抱いてはいなかった。
そして親父はそれを感じて覚悟の上で入院拒否したのだろうか。
ケアマネさんからはお父さんには、俺は十分生きた、と言われたことがあります、と暗に延命治療をしない方がいい、と伝えられたことがある。
あの人は分かっていたのか。
葬式の後、仕事が忙しく駆けずり回っていたのだが、その中でああもう親父いないのか、と思い出すことがあり、一度車椅子に乗せて近所の定食屋に連れて行ったとき、ああこんなに楽なんや、と嬉しそうだった事を思い出した。
今となってはもっと車椅子に乗せて連れ出してやればよかったな、と思う。
私が持病があってずっと体調が良くないし、店に連れて行ってもメニューにないものを欲しがるし、偏食で食が細いから出てきたものをほとんど食べないで残すし、おむつしてたからトイレが心配だし、父の友達と食べに行っても認知が進んでいるから同じことばかり話すし、いくらでも出来なかった理由は数え上げられるが、やろうと思えばいくらでも出来た。
あんなに喜んでいたのだから、もっと近場の店に車椅子で連れて行ってやればよかったと思う。
あの時は正直連休の度に帰省していつまでこんな事を続けなければいけないのだろうか。お金は保つのだろうか、いっそのこと早く死んでくれないか、とかそんな利己的なことすら考えていた。
親孝行したいときに、もう親はいない、と言われるがその通りだと思う。