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那須太社 錦輔 の日記

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街道をゆく 南蛮のみちⅡ 司馬遼太郎

2025-04-06 15:38:14 | 読書感想文

やはり普通の紀行文より知識が詰まっていて面白いのだが、司馬さん特有の無駄な饒舌さというか、その場限りのレトリックが多かった。

特に我が国日本を語るとき、やたらと謙譲しすぎるというか、下に見て語るところが気になった。

以前からなぜポルトガルはスペインと別の国なのだろうかと思っていて、司馬さんは何かおっしゃっているかなと思ったが、同じように疑問をもっていたらしいが、結局明確な答えにはたどり着けなかったという事だった。

ローマ帝国時代にはローマの属国であり、その後はゲルマン系のゴート族の支配下にはいり、八世紀初頭に西ゴート王国が滅ぶとイスラム帝国の支配をうけた。

そして、八百年の支配ののちにレコンキスタに成功しキリスト教勢力がイスラムを破って国土を再征服した。

とこれがイベリア半島の支配者の流れなのだが、ポルトガルの方が国土回復がかなり早かったらしいのだが(スペインは十五世紀末、ポルトガルは十三世紀)、それも不思議だ。ポルトガル勢力が「我々はここまで」のように線を引いて進撃を止めたのだろうか?

司馬さんによると、スペインはフランスと近いが、ポルトガルはイギリスと近しいらしいが、それも何か関係したのだろうか?確かにポルトガルはヨーロッパの西端でフランスとの間にはピレネー山脈があって陸上の往来は大変そうだ。

スペインも元々は複数の王国に分かれていて確かレコンキスタの最中に婚姻によって一つの国にまとまったのだったと思うが、なぜポルトガルだけはそうならず別の国として存在し続けたのだろう?スペインとポルトガルの間には大きな山脈のような地理的に両国を分断させるものはない、ということなので不思議である。

言語もスペイン語とポルトガル語で分かれていて、どれほどの違いなのかは分からないがポルトガルとは不思議な国だ。

あと、エンリケ航海王の母がイギリスから嫁いできた人で、イギリス人はエンリケ(英語読みヘンリー)はイギリス人だといってるとか、イエズス会はポルトガル王ジョアン三世のお抱え団体であったとか雑学が面白かった。

 

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