エムザ横から素晴らしい朝日が昇る …(5:52)我が家より
2010/04/04(日) 古代・中世の長い歴史が刻まれた峠道を歩く。。。
金沢市内(07:00)→風谷集落神社(8:20~30)→風谷番所址(8:35)→風谷峠(9:30)→
水坪山(10:20)→剱ヶ岳登山口(10:35)→剱ヶ岳山頂 568m(11:10~12:25)→剱ヶ岳登山口(12:50)
→風谷峠(13:30)~(大休憩10分)~風谷集落神社(14:30~40)→金沢市内(16:10)
久々に朝から快晴!国道8号線を 山中温泉方面に走りながら、白山が綺麗だった!
道中にチラホラ見える桜の木々も、かなり開花が進んでいるようで ピンクが目につく。
歴史には詳しくないが、単純な理由で今回の山行きに参加した!
「風谷村」と言う地名に引かれたのかも?「 風の谷のナウシカ 」 に似ていたから?^^;
そんな風谷村は、崩れかけた廃屋を含めて林道沿いに数件のみ確認したが
立派な鳥居の八幡神社も寂れた感じで、冬場は廃村同然となっているようで人影は無し。
村の林道脇に、平成17年に建てられたと言う 「風谷番所址の碑」 があった。
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碑文より …風谷村には大聖寺藩(加賀藩の支藩)の御番所が置かれ、
古代から近代にかけて、加賀と越前の国境を結ぶ交通の要地として風谷が存在した。
風谷村名の由来は、風の強い尾根に峠があったから生まれたと伝えられている。
寿永二年(1183年)木曽義仲軍が平家との戦いで風谷峠を通り、
天文三年(1534年)に一揆勢、朝倉勢の通路であったと『朝倉記』に記している。
風谷の最盛期、明治22年頃には戸数33戸、村民186名が暮らしていたが
戦後の時代の推移とともに人口が減り、昭和30年頃から急激な過疎となった。-中略-
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風谷村の今 。。。
苔蒸した石垣と立派な鳥居が見えていた神社前の空き地に車を停めて、ここから歩く。
30段ほどの階段を上がると、鳥居の奥に赤い屋根の寂れた 八幡神社 がひっそりと建っていた。
( 下山後に立ち寄って撮った画像 )
放置された廃車や廃屋同然の家 (中央の一軒は夏には戻るのだろうか?)
廃屋から風谷川沿いに数分で、風谷番所址の碑が建てられている場所があった。
風谷番所址の碑 …通りに「風谷番所址建立寄付御芳名」と記された看板があったので、
山中町や風谷村離村者の寄付により、建てられたものと思われる。
碑文の最後に「ふるさと風谷を後世に留めたい、万感の思いを込めてここに碑を建立する」と記されていた。
峠道 …深く掘られ、枯れ葉の吹き溜まりとなっていて、道も硬くサクサク歩きやすい。
古来のものか?近年植えられたのか?道中赤い 椿の花 が多く、満開で見頃だったが
里山と言ってもまだ4月上旬、途中何ヶ所か雪渓が残っていた。
風谷峠 …「加賀の国、風谷村マデ半里」と書かれた看板はあったが、古代峠道の面影なし!
いきなり舗装された立派な車道となり、ここまで歴史を偲びながら歩いてきた思いが一気に吹っ飛ぶ (>_<)
そしてここからは、あわら市(旧金津町)となり、左手方向にアスファルトの車道歩きとなる。
(左)唯一雰囲気が残る 峠のお地蔵さん。。。
(右)右手方向を見れば福井県から続く車道、右側に見える林道を行けば、車で刈安山まで行ける。
車道は何処までも続いていた 。。。
森林基幹道剱ヶ岳線と書いてあったが、福井県により延長工事は今も行われているのか?
車道の開けたところから後ろを振り返ると、福井県側からの剱ヶ岳線が良く見えた。
奥には坂井平野や北潟湖、ぼんやり日本海、そして右のピークが刈安山だ!
左手側には木々の向こうに時々、富士写ヶ岳が見えていた。
30分弱車道歩きの後、再び峠道に入る 。。。
手元の地図よりも更に車道は続いていたが、再度峠道に入り途中で水坪山に寄り道した。
林道途中の水坪山への分岐(左)と、水坪山頂 (630m)らしき、木に下げられた札(右)
車道を造ることによって寸断された峠道が、まだ残っている部分を歩いたようだった(右眼下が車道)
水坪山に行くには、峠道途中からかなりのヤブコギで、時間にして5~6分を往復することとなる。
手首に大きな引っかき傷が出来た人あり、私は背丈ほどの笹に顔が擦れてボロボロ (>_<)
水坪山頂は登山道の途中の様な狭さで、三角点らしきものは無し。
眼下に見えていた若干標高が低い 剱ヶ岳 (右ピーク)を撮るのにも、順番待ちだった^^;
水坪山頂を踏み再び車道に下りると、直ぐに 剱ヶ岳への登山口 があった。(左)
剱ヶ岳まで1kmの表示板があり、登山口前は意外と広く、車も数台置けそうだった!
何故か印象に残った登山口前にあった崩れ防止の壁(左)、ここを巻くように更に車道は続いていた。
気持ち新たに、いよいよ剱ヶ岳登山道へ 。。。
剱ヶ岳は(けんがだけ)と呼ぶが、剱は剱岳と同じ字体なので、もしや真似たのだろうか?
二つのピークには、それぞれ 小窓・大窓 と名付けられていたのが笑えた^^;
けれど、たった1キロでも侮るなかれの剱ヶ岳!アップダウンの急坂が多く、かなり足が鍛えられた!
足止めに金属の杭が打ち込まれていたり(左)、狭い尾根には転落防止の鎖があったり(右)
急坂にはロープと鎖、両方あったりして、特に大窓はけっこう急な下りが長く続く。
山頂では、狭いながらも皆で囲んだ鍋ランチ
剱ヶ岳山頂 …山頂から見えていたのは、福井のマッターホルンと言われているらしい山。
暖かうどん鍋に、食後のデザートありコーヒーありで憩いのひと時を過ごす。
お昼寝をしたいくらいのポカポカ陽気で、シャツ一枚でも日陰を探す程の暖かさ!
山頂の 石仏 と、木の間に置かれていた 三等三角点 と書かれた看板。
帰路は剱ヶ岳登山口から風谷峠までの約40分、楽々と言うか何と言うか^^; ずっと車道歩きだったが
所々残る雪上歩きも冷っとして気持ち良いと思えるほど暖かく、青空と爽やかな空気が心地よかった。
作業服風の男性が2人ずつ乗った、軽トラが4台連なって通り、
その内の1台が私の前で停まり、声を掛けられた!
「何処から来たの?風谷の方に下りるの?」と、こんな質問に答えていたら
次の車のおじさんが 「 はっはっは~っ 」 と大声で高笑いしたのがとても気になる!
こんな車道をわざわざ歩く人がいるもんだ!と思われたのだろうか?
地図によると、福井県側からは車道が整備され、剱ヶ岳登山口にも車で簡単に行けるようだった。
もしかして石川県側からも車で行けたのかも知れないが、それでは風谷の歴史は偲べない。
今回の登山の目的は、あくまでも峠道歩きだったのだ
逆光で写りは悪いが、右ピークが剱ヶ岳 でアップダウンが激しく、最後は大窓から山頂へと続く。
帰路に振り返り山様を見ると、登ったり下りたりの繰り返しだったと改めて思う (^^ゞ
道中見られた里山の春一番 。。。
車で走るだけじゃ、こんな可愛い花も見られないんだよ!笑っていたおじさん…と心でつぶやく^^;
キクザキイチゲ …葉っぱが、赤シソのような色で花弁の数も多かった。
もしかして、ちょっと珍しいタイプのキクザキイチゲか?
キクザキイチゲ …こちらは良く見かけるタイプの白と薄紫色。
(左)花名?…青く写ったが、実際は濃い紫色だった。
(右)葉っぱが赤シソ色のキクザキイチゲだが、この種は花と葉っぱが同時に開くのか?
今年始めましての イワウチワ
気温の低かった朝は、ほとんど蕾でうな垂れていたが、帰路には午後の日差しで開花していた。
低い山だったのに今日は意外と体力消耗!温泉で生き返ろうと思っていたけど
帰路は、山中温泉総湯を目の前にして通り過ぎただけの、お風呂中止宣言
予定ではお風呂に入ることになっていたので、あれれー? (@_@。。。と残念だったが
お風呂セットを持参し忘れた人が、9人中1人いた為で、リーダーの優しい配慮なので仕方ない!
車で走りながらも、温泉客が歩く歩道や店など、街の雰囲気だけは少し楽しめた
年に一度の、平井さんや地元出身者の皆さんが楽しみにされている大きなイベントですね!
そしてブログ開設頑張りましたね!訪問させて頂きました。
最初は写真1枚アップから…風谷の清流の流れがとても綺麗で、また見に行きたいくらい素敵な写真でした。
どうぞ続けて頂いて、交流会の様子を伝えて下さい。
私は6月20日、福井の赤兎山に登る予定です!
それからブログですが、年齢は全く関係ないので是非開設して欲しいです (^.^)
まずは新規登録をして、同じページに使い方が詳しく書かれているので
写真一枚アップから始めて、やりながら勉強される方が早く身に付きそうかな?
風谷の雪景色見たいですね!福井県との交流会の様子など…開設報告お待ちしています。
100名先着募集です。地元80名マスコミ 世話役50名程の 交流会の予定らしい今年は
太鼓のショウあるかな、?、
風谷の雪景色。屋根の雪の写真 太鼓シヨウ
の写真 是非見てほしいですが。
未だ(ブログ)勉強中です。年齢も関係あるかな? 良きアドバイス ねがいます。
そうでしたか (@_@)ちょっと驚きましたが、コメントありがとうございます。
登山道近くを流れていた風谷川の水は綺麗で、川沿いの沢にはセンナがいっぱいでした。
清流、空気とも最高の長寿村と言うのが納得できます。
夏はきっと涼しくて、自然に囲まれた住みやすい所なのでしょう!
15年続いている、福井県側との交流会があったんですね!
縁あって一度だけ訪れた場所ですが、何だか我が事のように嬉しい情報です。
風谷の家、雪囲いの取り付けは大変ですが、どうぞいつまでも大切にして下さいね!
5月1日取り払いました。2mを越す雪が積もります。3年前まで オーストラリヤ人の
先生が5んんえん程住んでいました。清流 空気とも 最高の長寿村でした。
風谷 二世は。医者。弁護士。建築士など教育
むらです。6月には。300人の福井県側との
交流会あり。マスコミ3社来町 15年継続