白雲去来

蜷川正大の日々是口実

少年老い易く学成り難し。を実感している。

2018-09-22 00:14:27 | 日記
九月十七日(月)晴れ。敬老の日。

来月二十日に開催する、野村先生の追悼二十五年・群青忌の準備に忙殺されている。といっても忙しいのは私だけではない。様々な仕事に携わっているスタッフも同じだ。なぜもっと早くやらなかったのだろうと、日頃からの怠惰を反省している。

群青忌当日に配布するパンフレットに掲載する「追悼文」も二十一名の方に寄せて頂いた。良い文章ばかりなので感激しているが、デザイナーのはが里枝さんに今回も構成からデザインまですべて任せっきりで、平身低頭百回では済まされない。

映像は、今までお世話になった根本順善氏が転んで大けがをして入院、リハビリ中なので、今回は、本多菊雄、大熊雄次の両氏に煩わせている。先日、仮編集の物を見たが、とても良く出来ていた。この映像を見れば、野村先生のすべてが分かる、といっても過言ではない。来月の群青忌の会場にてお会いできますことを楽しみにしています。

今日は敬老の日。私もその範疇に入っている。自分では、年寄りなどと言う自覚などないが、世間から見れば普通に老人である。「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず」と言うが、「一寸の光陰」を散々軽んじて来たから、アホは自業自得か。

敬老の日に、下の子供の二十歳の誕生日というのも、何かできすぎている。最近行きつけのイタリア料理の「オアジ」にて子供の誕生日を祝う。まあここまで恙なく育ってくれたことに感謝するか。

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一週間分書きました。

2018-09-17 09:23:33 | 日記
九月十六日(日)曇り。

さすがに、群青忌が近い時に一週間も日本を留守にしていて、帰国すれば、正に千手観音のように働かなければならない状態に追い込まれている。群青忌のパンフに掲載する原稿の整理。有難いのだが「手書き」の原稿には、大熊雄次氏や弊社のパートさんらに頼んでワードに変換してもらい、それの校正などや、自分の原稿に機関誌。一週間楽しんだ後のツケが回って来ていて、仕方なしか・・・。

八日は、国内線で湖南省長沙へ。九日は、菊の節句。毛沢東の命日とのこと。故郷を表敬訪問。中国の新幹線を初体験。十日は、北京に戻る。十一日は、念願だった万里の長城へ。十二日に帰国。蒲田で吉岡亜樹氏のお世話で安着祝い。矢崎泰之氏から、かつて横浜で共に運動していた菅野政明さんの訃報を聞く。合掌。久しぶりの我が家。家族で、近くの「浜一」にて一週間ぶりのカツオと黒霧島。

十三日(木)は曇り。嬉しいことに午前中に北海道から秋刀魚が届いた。嬉々として秋刀魚の刺身と塩焼きにを熱々のご飯で食す。午後から事務所。手紙など様々な郵便物が山ほど来ていた。夕方まで仕事。夜は、我が酔狂亭で独酌。カツオのタタキ、清風楼の焼売、栗カボチャの煮物。

十四日(金)は、雨。朝食は秋刀魚の塩焼きと蒲焼に豆腐の味噌汁。事務所にて様々な人に、様々な内容の手紙を六通と原稿書き。夕方には歯医者。夜は、酔狂亭で「やきまる君」を使って焼肉。

十五日(土)雨。朝食は、秋刀魚の塩焼き、目玉焼き、キャベツのおしんこ。子供に、秋刀魚と目玉焼きは合わないと、怒られてシュン。午後から、野村先生の奥様に群青忌の案内状を届けに行く。道路が事故で渋滞し、往復で二時間以上もかかってしまった。事務所にて機関誌の校正と、依頼されていた書評を五枚。夜は、久しぶりに、カメ&アコちゃんを誘って「やまと」へ。常連さんばかり。その後も「一休寿司」へ転戦して帰宅。

そんな訳で、一週間分を、やっつけでアップしました。明日からは、真面目に書きます。平身低頭。※万里の長城の居庸関(きょようかん)にて。上まで登る体力が無かったのが残念。もう一度訪れたい場所だ。

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北京秋天。

2018-09-14 08:49:13 | 日記
九月七日(金)晴れ。北京にて。

夜寒くて目が覚めた。エアコンを切ろうと思っても、どれがエアコンのスイッチか分からず、ベッドの脇にあるボタンを、かわるがわる押したが、部屋の電気やスタンドが点いたり消えたりして、結局、エアコンのスイッチは分からずじまいだった。仕方なく、隣のベッドの物を持って来て、ようやく眠りについた。朝七時起床。朝食は、一階のレストランのバイキング。日本から「中農ソース」を持って来ていたので、ターンオーバーの目玉焼き二つにハムとウインナー。お粥。

昼は、近年北京で人気のある「北京ダック」の名店の「大董訂卡」(DADONG)というレストランにて食事。中々予約の取れない店とあって料理はどれも絶品で、まるでフランス料理を食べているようだった。終了後は、天安門広場を散策。良くテレビなどで見る場所で、来月一日の国慶節では百万人ぐらいの人たちが集まると言う。広場にいた写真屋さんにお願いして、若島和美、横山孝平の両氏と写真に収まる。

夜は、「釣魚台国賓館」にて食事。ここは、八年前位までは国内外の賓客のための迎賓館として使われていたが、現在は一般客も宿泊可能であるとのこと。豪華すぎてぶったまげた。

ホテルに帰った後に、社友らに葉書きを書いてから寝た。もちろんエアコンを切って。

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遊学と逍遥を兼ねて北京へ。

2018-09-13 12:21:08 | 日記
九月六日(木)晴れ。北京へ。

今日から1週間、遊学と逍遥を兼ねて北京、湖南省長沙の旅に出る。羽田発、9時5分発の全日空961便に乗るために朝5時半に迎えに来て頂き、羽田へ。起床後にテレビを見たら北海道で震度7クラスの地震が起きたとのこと。緊迫した映像に釘付けとなった。北海道には知己が多い。その人たちの顔が浮かぶが、無事ていてほしいと祈るばかりである。

午後一時、北京空港着。秋晴れで、正に秋天好日。PM2・5で青空など見えないかと思っていたら、嬉しい期待外れだった。
北京着後は、北京飯店にチェックイン。ホテル内の「五人百姓」という日本料理屋で昼食。その後、紫禁城(故宮)を見学。ラスト・エンペラーの映画になった故宮は、明、清の二つの時代の宮殿として使用された。一度は訪れてみたいと思っていた場所だったので、とても感動した。

夜は、北京料理の名店と言う「正院」というレストランにて歓迎の晩さん会。見たこともない豪華な料理に舌鼓を打った。二時間ほどで終了し、ホテルに戻った。朝が早かったので、早めに寝た。※北京飯店にて。左から、平山先生の友人の唐さん。阿形先生、平山先生、横山さんと私。

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明日から一週間、ブログの更新が出来ません。

2018-09-05 18:25:36 | 日記
九月五日(水)台風一過の晴天。

夜半まで、雨と強風で心配だった。でも我が陋屋は何とかその試練に耐えた。エライ、エライ。朝食は、清風楼のシュウマイ、ハムエッグ、豆腐の味噌汁。昼は歯医者に行ったので抜いた。夜は、冷凍のカツオのカルパッチョ、海老とキノコのアヒージョ、鶏のもも肉のフライ。

台風一過で、また夏に逆戻り。各地で大きな被害をもたらした台風が去った。横浜は、近年あまり台風の被害は記憶にないが、台風銀座などと言われている、四国なども人たちは、この時期は大変だ。ビルが多くなり、家も頑丈になったとはいえ、多大な被害がでる。日本に来る手前で消えてしまえばよいのにと、いつも思う。

告知です。六日から十二日(水)まで、パソコンのメンテナスで、このブログの更新が出来ません。十三日にまとめて更新しますので、ご了承ください。スマホの使い方が、イマイチ分からないもので。

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