白雲去来

蜷川正大の日々是口実

長沙から出した葉書きがようやく着いた。

2018-09-22 23:34:01 | 日記
九月二十日(木)雨。

もしも、本当にもしもなのだが、広い家に住んでいたら、季節ごとに食器を換えてみたい。春夏秋冬の食器が違うと言うのが私のささやかな夢なのだが、実現しそうにもない。仕方がないので、茶わんや箸、お椀を三種類、気分や料理によって使い分けている。酒を飲むグラスも、自分専用の物がいくつかある。春は、松本佳展君から貰った、「桜島」と言う焼酎の名前入りのロックグラスだが、氷を入れて冷たくなると、グラスの周りの桜の花がピンク色に代わる。正に春に酔うのである。その他、バカラのグラスで焼酎を飲むと言うのも一興である。

日々の生活の中にささやかな変化をつけて楽しむ。自民党の総裁選も、私にとっては酒の肴だ。だから夜は、あまり暗いニュースや映画などは見ないようにしている。そう言えば、今月の九日に長沙のホテルから家族に宛てた葉書きが着いた。何と十一日もの長旅を経て、我が家に着いたのである。しかしながら、私が帰宅してから葉書きが着くのでは、少々シラケてしまうが、仕方がない。葉書きの上に赤いボールペンで「AIR MAIL」と書いたら、さすが漢字の国、「航空」とスタンプが押してあった。今度、台湾や中国から手紙を出す時は「航空」と書くことにしよう。

夕方からお世話になっている方の会社にて群青忌の打ち合わせ。藤巻強、大熊雄次、はが里恵さんと一緒。しゃぶしゃぶをご馳走になり、懐かしい赤坂の街を歩いてから帰宅。

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困った。

2018-09-22 01:27:11 | 日記
九月十九日(水)晴れ。

午後から、私が役員の末席を汚している大行社の幹部会議に出席。四宮正貴先生が体調を崩して欠席したために、私が顧問・相談役を代表して挨拶をさせて頂いた。四時終了。横浜に戻り、月に一度の、名前だけは真面目な「蜷川政経懇」を野毛の「弥平」にて開催。その後、有志にて関内へ転戦。

今月に入ってから、野村先生の代表句の額の注文を受けた。いつもお願いしていた額縁屋の営業が変更となり、新しいお店を紹介して頂いた。「出来ました」と連絡があり、発送しようと思って、さて困った。注文して頂いた方の電話番号をメモしたものが見つからないのだ。せっかく注文して頂いたのにも関わらず、本当に申し訳ありません。もしこのブログを見ていましたならば、ご連絡をお待ちしております。三日分をイッキにアップしました。つかれた。

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自然災害が多すぎる。

2018-09-22 00:40:00 | 日記
九月十八日(火)晴れ。

東北大震災以降、熊本や大阪の北部での地震。そして大雨による河川の氾濫での被害。先日は、大型台風で、関西を中心に被害が出て、関西空港に空港に八千人もの人が取り残された。その二日後には北海道で震度七の地震。日本はどうなるのだろうか。いやこの自然災害は、何も日本だけではなく、世界の各地でも、台風や大雨、地震などの被害に見舞われているという。災いはトランプさんだけにして貰いたいものだ。そう言えば、清末期の思想家・政治家だった康有為の詩に「神州陸沈」と言うのがあったが、さてどの本に載っていたのか思い出せない。

現在発売中の月刊誌『創』(十月号)が大行社が行った不敬映画の糾弾街宣について触れている。『創』はどちらかと言えばリベラル系の雑誌だが、『週刊新潮』が取り上げた不敬映画のことや、大行社の街宣、そして私の『週刊新潮』での発言や、ブログ「白雲去来」の文章も掲載している。発行人の篠田博之さんとは、様々なパーティーで顔を合わせる。政治家はもとより左右の人脈も広い。今回の記事も決して偏った考えではなく、事実を羅列して冷静に書かれている。大行社の幹部会でも、そのコピーを紹介していた。

一日事務所にて仕事。と言っても、群青忌の案内状に貼る住所のチェックに夕方まで。六時過ぎに自宅に戻ってからは、「黒霧島」をお供に、独酌。

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少年老い易く学成り難し。を実感している。

2018-09-22 00:14:27 | 日記
九月十七日(月)晴れ。敬老の日。

来月二十日に開催する、野村先生の追悼二十五年・群青忌の準備に忙殺されている。といっても忙しいのは私だけではない。様々な仕事に携わっているスタッフも同じだ。なぜもっと早くやらなかったのだろうと、日頃からの怠惰を反省している。

群青忌当日に配布するパンフレットに掲載する「追悼文」も二十一名の方に寄せて頂いた。良い文章ばかりなので感激しているが、デザイナーのはが里枝さんに今回も構成からデザインまですべて任せっきりで、平身低頭百回では済まされない。

映像は、今までお世話になった根本順善氏が転んで大けがをして入院、リハビリ中なので、今回は、本多菊雄、大熊雄次の両氏に煩わせている。先日、仮編集の物を見たが、とても良く出来ていた。この映像を見れば、野村先生のすべてが分かる、といっても過言ではない。来月の群青忌の会場にてお会いできますことを楽しみにしています。

今日は敬老の日。私もその範疇に入っている。自分では、年寄りなどと言う自覚などないが、世間から見れば普通に老人である。「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んず可からず」と言うが、「一寸の光陰」を散々軽んじて来たから、アホは自業自得か。

敬老の日に、下の子供の二十歳の誕生日というのも、何かできすぎている。最近行きつけのイタリア料理の「オアジ」にて子供の誕生日を祝う。まあここまで恙なく育ってくれたことに感謝するか。

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