三月二十四日(火)晴れ。
まだ花粉が原因なのか、晴れの日は目がショボショボして仕方がない。午前中は、めずらしく電話が多くて、机に向かうことが出来なかった。電話と言えば、先日、九州は天草の怪人、いや尊皇の人、大野康孝宮司から電話を頂いたが、酔っ払っている様子で、ほとんど何を言っているのか分からなかった。何でも札幌のラスプーチン清元和尚が天草に来ていて、二人で盛り上がったとのこと。大野宮司は、糖尿病でインスリンを打ちながら酔い、田中清元和尚は、重い肝臓病で、インターフェロンの苦しさに耐えながらの酒。文字通り二人供、命がけの酒だ。そういえば、我が道の兄、阿部勉さんは、肺癌の末期になっても、見舞いに行くと、病室ではなく、近くの寿司屋で「栄川」を飲んでいた。うろ覚えで申し訳ないが、辞世のようになった歌が、
われ死なば火にはくべるな栄川の二級に浸して土に埋めよ
だった。嗚呼、愛すべき我が酒友よ・・・。私への酔っ払い電話は、大野宮司と岐阜の酔人、細川嘉彦先生が常連である。かく言う私も、以前は酔うとあちこちに電話をするので家族から顰蹙を買っていた。年下の盟友、防共挺身隊の佐久間五郎氏は、幾ら飲んでも、夜は九時に寝て、朝は五時に起きるという。毎日飲んでいて、なぜそんな健康的な生活をしているのか、と聞くと、「蜷川さん。横浜と郡山とでは、四時間ぐらい時差があるんですよ」。納得した次第。
前置きが長くなってしまった。午後一時に、関内駅にて「WiLL」の花田紀凱編集長と待ち合わせ。花田氏と会うのは、実に十五年振りである。野村先生が亡くなられた年に、当時、「週刊文春」の編集長だった花田氏が、赤坂の事務所に来て、朝日新聞東京本社にて自決なされた際の録音テープを渡した。それを「文春」は、ほぼそのまま掲載して頂いた。
また「文春」には、不肖宮嶋カメラマンをはじめ現役、OBを含めて、友人が多い。先日も、現役の記者氏、OB氏と一献酌み交わしたばかりだ。花田氏から今回の新潮の問題について原稿を依頼された。もちろん快諾した。その折に頂いた「WiLL」の五月号の中に、時事評論家の本郷美則氏のコラム「今月の朝日新聞」(P140)というものがあり、例の「週刊新潮」のヨタ記事と島村証言について書いている。その記事に瞠目させられた。
島村が阪神支局に乗り付けたという「赤いボディーの『ホンダ400CC』バイク」についてだが、島村証言によれば「到着する直前、バイクに取り付けたゴルフバックの先の部分開けて『いつでも』改造銃を『取り出せる状態にした』。という証言を本郷氏は実例を挙げて否定している。文章を読んでもらうのが一番良いのだが、本郷氏によれば、島村が取り付けたという「先を開けたゴルフバック」をオートバイに取り付けるのは不可能であるというのだ。恐らく、本郷氏はバイクの愛好者なのであろう、その検証には納得が行く。更に、島村が被っていたという「フルフェイス」のヘルメットにも疑問を呈している。こんな所でも嘘がばれる。是非、ご一読頂きたい。二十六日には、大行社の三本菅先生のお世話で、阿形、犬塚、市村、木村の諸先生と私を含めた食事会がある。島村の話に及ぶことは言うまでもない。
花田氏との打合せを終えて、コーヒーショップを出ると、駅前のビルの中に人だかり。何かと思ったらWBCの試合の中継を観戦している人たちだった。九回裏で、日本がリードしている場面。慌てて車に戻り、ワンセグで見た。延長戦の末、サムライ日本の勝利。万歳!
夜は、恒例の「ヨンドン会」を野毛の「弥平」にて開催。今年最後の「アンコウ」を楽しんだ。終了後は、お世話になっている方と一緒に関内へ転戦。二軒ハシゴして帰宅。