白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「WiLL」の5月号に、凄い検証記事が。

2009-03-25 10:06:09 | インポート

三月二十四日(火)晴れ。

 まだ花粉が原因なのか、晴れの日は目がショボショボして仕方がない。午前中は、めずらしく電話が多くて、机に向かうことが出来なかった。電話と言えば、先日、九州は天草の怪人、いや尊皇の人、大野康孝宮司から電話を頂いたが、酔っ払っている様子で、ほとんど何を言っているのか分からなかった。何でも札幌のラスプーチン清元和尚が天草に来ていて、二人で盛り上がったとのこと。大野宮司は、糖尿病でインスリンを打ちながら酔い、田中清元和尚は、重い肝臓病で、インターフェロンの苦しさに耐えながらの酒。文字通り二人供、命がけの酒だ。そういえば、我が道の兄、阿部勉さんは、肺癌の末期になっても、見舞いに行くと、病室ではなく、近くの寿司屋で「栄川」を飲んでいた。うろ覚えで申し訳ないが、辞世のようになった歌が、

 われ死なば火にはくべるな栄川の二級に浸して土に埋めよ

 だった。嗚呼、愛すべき我が酒友よ・・・。私への酔っ払い電話は、大野宮司と岐阜の酔人、細川嘉彦先生が常連である。かく言う私も、以前は酔うとあちこちに電話をするので家族から顰蹙を買っていた。年下の盟友、防共挺身隊の佐久間五郎氏は、幾ら飲んでも、夜は九時に寝て、朝は五時に起きるという。毎日飲んでいて、なぜそんな健康的な生活をしているのか、と聞くと、「蜷川さん。横浜と郡山とでは、四時間ぐらい時差があるんですよ」。納得した次第。

 前置きが長くなってしまった。午後一時に、関内駅にて「WiLL」の花田紀凱編集長と待ち合わせ。花田氏と会うのは、実に十五年振りである。野村先生が亡くなられた年に、当時、「週刊文春」の編集長だった花田氏が、赤坂の事務所に来て、朝日新聞東京本社にて自決なされた際の録音テープを渡した。それを「文春」は、ほぼそのまま掲載して頂いた。

 また「文春」には、不肖宮嶋カメラマンをはじめ現役、OBを含めて、友人が多い。先日も、現役の記者氏、OB氏と一献酌み交わしたばかりだ。花田氏から今回の新潮の問題について原稿を依頼された。もちろん快諾した。その折に頂いた「WiLL」の五月号の中に、時事評論家の本郷美則氏のコラム「今月の朝日新聞」(P140)というものがあり、例の「週刊新潮」のヨタ記事と島村証言について書いている。その記事に瞠目させられた。

 島村が阪神支局に乗り付けたという「赤いボディーの『ホンダ400CC』バイク」についてだが、島村証言によれば「到着する直前、バイクに取り付けたゴルフバックの先の部分開けて『いつでも』改造銃を『取り出せる状態にした』。という証言を本郷氏は実例を挙げて否定している。文章を読んでもらうのが一番良いのだが、本郷氏によれば、島村が取り付けたという「先を開けたゴルフバック」をオートバイに取り付けるのは不可能であるというのだ。恐らく、本郷氏はバイクの愛好者なのであろう、その検証には納得が行く。更に、島村が被っていたという「フルフェイス」のヘルメットにも疑問を呈している。こんな所でも嘘がばれる。是非、ご一読頂きたい。二十六日には、大行社の三本菅先生のお世話で、阿形、犬塚、市村、木村の諸先生と私を含めた食事会がある。島村の話に及ぶことは言うまでもない。

 花田氏との打合せを終えて、コーヒーショップを出ると、駅前のビルの中に人だかり。何かと思ったらWBCの試合の中継を観戦している人たちだった。九回裏で、日本がリードしている場面。慌てて車に戻り、ワンセグで見た。延長戦の末、サムライ日本の勝利。万歳!

 夜は、恒例の「ヨンドン会」を野毛の「弥平」にて開催。今年最後の「アンコウ」を楽しんだ。終了後は、お世話になっている方と一緒に関内へ転戦。二軒ハシゴして帰宅。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい講演だった。

2009-03-24 17:03:54 | インポート

三月二十三日(月)曇り。

 機関誌の発送を終えてひと段落である。今月は、後半、来月は前半に用事がつまっている。まず、今日は、夜の七時から、情報文化センターで田母神俊夫氏の講演会がある。明日二十四日は、午後一番で「WiLL」の花田編集長と関内駅で待ち合わせての打ち合わせ。夜は、恒例の「ヨンドン会」。

 二十五日は、やはり午後一番で、朝日新聞社のO記者と待ち合わせ。夜は、宝島社のI編集長と打ち合わせ。I氏とは久し振りなので、怒涛の酒にならないように気をつけなければ。

 二十六日は、東京で諸先輩との一献会がある。二十七日は、一日原稿書き。二十八日は、私が呼びかけ人の末席を汚している朝鮮の志士、金玉均先生の墓前祭が青山墓地にて行われるので出席。夜は、マスコミ関係者向けの講演会「フォーラム神保町・現代深層研究会」という会合にゲスト出演する。コーディネーターは、お世話になっている猪野健治先生や宮崎学、二木啓孝の両氏。会場のキャパは九十名で、申し込みはインターネットとのこと。二十九日は、家族で伊勢原にお墓参り。彼岸の中日に行けなかったので、和尚さんにお経を上げて頂く。夜は、堀善太郎君のお世話で、如月の望月の頃の夜桜会。

 四月は、二日に、坪内隆彦氏が上梓した「アジア英雄伝ー日本人なら知っておきたいに十五人の志士たち」(展転社刊)の出版記念会があるのだが、生憎、三日に、「北海道青年フォーラム」があり、山浦嘉久先生の講演の前座を務めるために、打ち合わせなどで、前日から札幌に入る。四日も、行事が重なってしまった。朝一番の飛行機で羽田に戻り、午後一時から行われる後輩の結婚披露宴に出席するのだが、同じ時間に、九段会館で「戦艦大和を旗艦とするー艦隊戦士慰霊塔再建基金」のチャリティーコンサートがある。恐縮だが、代理出席とさせて頂く。六日から一週間は、検査入院の予定。当然、禁酒が続くのでゆっくり読書と原稿書きに励むつもり。と、まあこんな具合に、体だけは忙しい。

 田母神氏の講演だが、さすがに月に二十五回も講演を行っているだけあって、とても聞きやすい。東京裁判史観や教育、戦後政治について一時間半。アット言う間だった。終了後は、友人達と直会。サリーの店で仕上げして、松本君に送って頂き帰宅。いい一日だった。

0462

 機関誌の最新号です。定期購読を宜しくお願い致します。お気軽に見本誌をご請求下さい。(千円、切手可)

※クリックすると大きくなります。

0463

 

※私のブログには、どんな好意的なコメントでも、匿名、ハンドルネームでの書き込みはお断りいたします。名前を隠してコメントする、というのは、私の好みではありません。もしどうしても立場上、本名を明かせない方は、メールでハンドルネームをお知らせ下さい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本暗殺秘録」を見た。

2009-03-24 16:18:09 | インポート

三月二十二日(日)曇りのち雨。

 雨の日は、花粉が飛ばないせいか幾らか楽である。朝食後に事務所へ。今日は、機関誌の製本と発送作業を行う。三月だというのに、ようやく十月号である。購読者の皆さんには、正に平身低頭。

 午後に、社友会の松本佳展君とサエちゃんが来訪して、手伝って頂く。五時前に終了。少し早いが、伊勢佐木町裏の、炉端焼「花笠」にて夕食を兼ねて、一日遅い私の誕生会を催した。この「花笠」のオーナーの尼野保氏とは、もう三十年以上ものお付き合いである。以前は若葉町でご母堂と一緒にお店を開けていたが、今の場所に移ってから、すぐにご母堂が亡くなってしまった。この店では、開店前に勉強会を行ったり、忘年会など、随分と利用させて頂いた。

 炉端焼の店、と言ってもメインは生簀料理で、普段はイカやカワハギなどが泳いでいるのだが、三連休とあって、魚はお休み。本来の炉端焼で一杯やった。早目に自宅に戻り、木村三浩氏から借りた、東映映画「日本暗殺秘録」を見た。このビデオは、以前、山平重樹氏よりお借りしたことがあるが、編集用なので時間のクレジットが入っており、画像も少し荒かった。木村氏のものは、恐らく有線の「東映チャンネル」で放送した物のコピーで、画像は良かった。映画関係者がコピーしたのではないだろうか。

 この「日本暗殺秘録」は、「氷雪の門」と並んで、幻の映画とされている作品である。「暗殺秘録」は残念ながらDVD化されておらず、一部のマニアが、放送を見逃さずにコピーしている。「氷雪の門」は、世界日報社から八千円で発売されているので、Yahooで検索すれば、すぐに手に入れることが出来る。

 「日本暗殺秘録」は、昭和四十四年封切りの東映映画。 鈴木正の原作(原書房刊)を「緋牡丹博徒 鉄火場列伝」の笠原和夫と「おんな刺客卍」の中島貞夫が共同で脚色し中島が監督した明治・大正・昭和の暗殺ドラマである。
ストーリー  ○桜田門外の変 万延元年三月三日、薩摩浪士有村次左衛門ら十八名が江戸城桜田門外に大老井伊直弼を襲い暗殺。○大久保暗殺事件 明治十一年五月十四日東京麹町にて、島田一郎他五名が参議内務卿大久保利通を暗殺。○大隈暗殺事件 明治二十二年十月十八日、外務省正門前にて、玄洋社社員来島恒喜が投弾、外務大臣大隈重信は右脚爆砕後切断、来島は自殺。○星亨暗殺事件 明治三十四年六月二十一日、東京市役所にて心形刀流師範伊庭想太郎が東京市会参事星亨を暗殺。○安田暗殺事件 大正十年九月二十八日大磯にて神州義団主幹朝日平吾が安田財閥当主安田善次郎を暗殺。○ギロチン社事件 大正十二年九月十日、テロリスト集団ギロチン社社員古田大次郎が摂政官暗殺を計画、資金獲得のため銀行員を殺し死刑。○血盟団事件 日蓮宗行者井上日召を中心として結集した一団の民間青年と大学生たちは、国政改革を叫んで一人一殺のテロを計画、革命を志して上京した小沼正は日召に従い、昭和七年二月九日本郷駒込小学校演説会場で井上準之助前蔵相を暗殺、同年三月五日三井銀行本店正面玄関で団琢磨三井合名理事長が菱沼五郎により暗殺された。○二・二六事件 昭和十一年二月二十六日早朝、一部青年将校を先頭に兵員民間人あわせて千四百八十三名が首相官邸をはじめとした重臣たちの私邸を襲撃した。が、数日を待たず鎮圧された。襲撃を受けて死んだ者九名。決死部隊死刑十七名、自決した者二名だった。 

Photo

「日本暗殺秘録」のポスター。※クリックすると大きくなります。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生日でした。

2009-03-23 10:12:39 | インポート

三月二十一日(土)晴れ。

 今日は、私の誕生日である。ついに野村先生の晩年と同じ歳になってしまった。キザなようだが、この歳になって中々死に場所を探せない。あらためて恩師の偉大さを感じる。

 お墓参りに行こうと思ったが、二十九日に伊勢原に行くので、その時に家族で行くことにした。嬉しいことに、ニュージーランドに行っていると言う社友の堀善太郎君や福井英史さん、札幌の石澤博文、梶浦直樹の両君、岐阜の細川嘉彦先生、成田功君、松本佳展君などからお祝いのメッセージが入る。正直言って、もうこの歳になると誕生日などiに余り感慨がない。門松ではないが、正に冥途の旅への一里塚、である。それでも早生まれなので、同級生よりも一つ若い、という現実のみが嬉しい。

  良い天気である。朝食の後に、すっ飛んで事務所に行き、機関誌の印刷を行った。天気が良いので事務所の窓を全て開けて、換気扇も全開にして空気の入れ替えを行った。印刷をしている間に、散らかっている本や送られてくる機関紙、手紙の整理も行う。凄い量で、気合を入れて片付けた。アルバイトの女性やお手伝いに来てくれた社友には、もっぱら掃除を担当してもらい、家族も加わって大騒ぎである。それでも印刷の終了した五時過ぎには、事務所はとてもきれいになった。手伝って頂いた方たちにお礼を言って解散。製本や発送は明日にして、自宅に戻った。

 夜は、我が家に友人ら三名が来訪しての一献会。念の為に言うと、私の誕生日の祝いの酒ではない。偶然に集っただけである。「黒霧島」で十時まで。恙無く一日が終わった。天気が良く、仕事も済ませ、誕生日を向かえ、家族も元気で、友も来て酒。金なんてなくとも、こんなに充実している。何となく、ザマーミロと大声で叫びたくなる。誰に対して?、もちろん貧乏神に・・・。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今、マスコミの真価が問われているのではないか。

2009-03-21 08:32:50 | インポート

三月二十日(金)雨のち晴れ。春分の日。

 朝方、激しい雨と風で目が覚めてしまった。我が陋屋は、風雨の強い日は、何処からか雨が吹き込んできて、雨漏りがする。一度、天井裏を覘いてみたが、素人には分からずじまいだった。

 昨夜から、知り合いのマスコミの人たちから電話を沢山頂く。何でも、例の米大使館に勤務していたという「佐山」が、新潮社と和解したらしい。とのこと。そりゃそうだろう。編集長の交代という大事な時に、次の体制にやっかいな問題を引きずりたくない。というのが本音だろう。

 そんなことは充分考えられるのに、佐山を放っぽりぱなしにしておいた、他のマスコミが甘すぎる。新潮社は今回の問題の真相が立証されたら、週刊新潮の廃刊もありうる。その重要な人物は、島村と佐山の二人であることは言うまでもない。恐らく、弁護士立会いで、金でも貰って、念書を取られたに違いあるまい。

 あくまでも噂の域を出ないが、島村は今月一杯、新潮の方が、抱えており、やっかいなのでパスポートを取らせて台湾に逃がした、との情報がある。二台持っている携帯の一つの液晶がダメになり、新しいのを欲しいとKに話したら、断られた。とも・・・。

 まあ、勘違いしないでほしいのは、あくまで新潮社と我々の問題は、児玉、野村両先生と、右翼を名乗り、米大使館から金を貰い、金のために人殺しをした。という三点に尽きる。記事の信憑性や報道の姿勢を問い、その信憑性を追及するのは、マスコミ全体の問題ではないのか。マスコミの真価が問われている、という危機感や同業者の不正を放置しておいて、政治の腐敗や世の正義を口にすることなどできようか。昨日、山平重樹氏との話の中で、「新潮社が歩いた後はペンペン草も生えない」というほど、昔は徹底的な取材をしたことで有名だったのに、小学生でも分かるような詐欺話にひっかかり、ロクな取材もしないで、あんな記事を掲載するなんて、新潮も終わりましたね。と話していた。

 雨が上がり、天気が良くなったので、家族で大掃除。上の娘がボーイスカウトの行事に出かけているのを迎えに行き、郵便物の確認のために事務所へ。帰りに、夕食の買い物。帰宅後は、機関誌の校正を行った。久し振りに休肝日とした。

 事務連絡です。来る三月二十三日(月) 午後六時より、田母神俊雄氏の講演会があります。ご参加は自由です。是非、ご出席下さい。

0455 ※クリックすると拡大で見れます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする