三月十二日(木)曇り。
昨日と打って変わって朝から忙しかった。頼まれた原稿の締め切りを忘れて、七時前に起きて机に向かった。原稿用紙七枚に三時間もかかった。
正午過ぎに友人が来訪。「コシヒカリ」五キロと、「韓国のり」を差し入れして頂く。ありがたし。
二時過ぎに事務所へ。鈴木邦男さんの新刊「蟹工船を読み解く」(データハウス・千三百円)が届いていた。昨今の「蟹工船」ブームを解説した本だが、読みやすく、アット言う間に読了した。私は、出張先が網走ということもあって、その本は、工場官本(分かるかなー)読んだ事がある。感性が鈍いせいか、ほとんど感動しなかった。憶えているのは「共産党のプロパガンダ」という印象だけだ。鈴木さんの本の中に出てくる「二十歳の原点」や倉橋由美子の「パルタイ」も読んだが、心に響かなかった。獄中で読んだ本で、一番、心に残っているのは高橋和巳の本だ。彼の全集を読めただけ、網走に行った甲斐があるというものだ。
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「蟹工船」の本が売れて、共産党へ入党する者が増えたと、何かの本で読んだが、私は、それはウソだと思う。共産党員が増えたのは、「蟹工船」の本のせいではなく、自民、民主の二大保守政党の政治、即ち、社民党と共産党以外は全て保守政党という中にあって、区別化、あるいは、保守の胡散臭さに抵抗を感じる若い人たちが増えたのではないかと思う。恐らく、次の選挙では民主党左派のかさぶたのような社民党は消えて行く運命にあろう。その点、残念だが、共産党は分かりやすい。「保守ブーム」の中にあって、それにノーと言う人たちがいることは否定できない。
司馬遼太郎の「竜馬が行く」と「蟹工船」とどちらが読まれているのか。発行部数においては「蟹工船」など遠く及ぶまい。しかし幾ら「竜馬が行く」が読まれても、現代の坂本龍馬たらんとして、仕事や生活を投げ打って政治運動に身を投じようと思う青年は、皆無に等しい。結婚して出来た男の子に龍馬や慎太郎といった歴史上の人物の名前をつけることが、維新の志士への憧れから来る連帯かも知れないが、政治行動に結びつくわけではない。
人は、読み物に影響されるよりも、行いに影響されるような気がする。例えば、公安部の発表によれば、平成五年以降に民族派運動に入った者の六割以上が、野村先生の自決事件に影響されている、とのことである。そういう私も、昭和四十五年の三島、森田両烈士の自決事件、いわゆる「楯の会義挙」に影響されて、この運動に入った。あの事件が無ければ、きっと別の人生を歩んでいたに違いない。
しかし「蟹工船」も読み物としては面白い。未読の方は是非、ご一読を。タコ部屋も刑務所も同じようなものなので、あわせて吉村昭の「赤い人」「破獄」も薦めたい。世の中の不条理と権力悪を知る良い教材である。
夜は、友人と久し振りに、自宅の近くの「徳よし」という寿司屋で一杯やった。ここの寿司屋は、私好みで、酒の肴がとても美味い。中破・良飲。